年末年始のNHKニュースは、「派遣切り」などの雇用企画で埋まっていた。「朝まで生テレビ」でも雇用規制強化の大合唱で、民主党の枝野幸男氏が「労働者派遣法の改悪に賛成したのは間違いだった」と反省したそうだ。かつてこういう日本的情緒を否定したはずの小沢一郎氏も、「ニコニコ動画」に出演して「われわれが政権を取ったら派遣法を見直す」と語った。こういうパターナリズムは、彼らの意図とは逆に失業率を高め、「ワーキングプア」を「プア」にするだろう。
こういうとき、よく出てくるのが「労働者を商品として扱うな」という話だが、労働者は商品ではない。近代社会では奴隷は禁止されているので、労働者(人的資本)を売買することはできない。商品として取引されるのは労働サービスである。もし人的資本の売買が認められていれば、労働者は自分を企業に売り切り、企業は経営が苦しくなったら彼を解雇する必要はなく、他の企業に転売すればよい。人的資本を物的資本と同じように市場で取引できる奴隷制のほうが、近代の雇用契約より効率的だというのが、フォーゲルの有名な研究である(彼はノーベル賞を受賞した)。
ただ近代社会には、すべての個人はひとしく「譲渡不可能な基本的人権」をもっているという(根拠のない)信念があるので、労働者を売買することは許されない。企業という組織は、こうした非対称な制度のもとで労働者を実質的に奴隷化するしくみだ。資本家は労働者の人的資本を所有できないが、物的資本は所有できるので、雇用契約によって資本と労働を結合し、労働者を資本から切り離す権利によって間接的にコントロールする、というのがHartの契約理論のエッセンスである。
労働者をコントロールする上で重要なのは、資本の所有権を資本家が独占することだ。市民社会の原則では資本家と労働者は対等だが、資本家は物的資本を支配することによって、それなしで価値をもたない人的資本を間接的に支配するのだ(このメカニズムを最初に明らかにしたのはマルクスだったとHartは認めている)。もう一つの条件は、労働市場の不完全性だ。もし労働者が解雇されてもまったく同じ条件で他の企業に移れる(他の資本と結合できる)外部オプションがあると、労働者は資本家と対等になるので、雇用契約によってコントロールできない。
だから理論的には、雇用問題を解決する最善の方法は、人的資本の売買を合法化することだ。奴隷のように一生コントロールする契約ではなく、たとえば1年間は人的資本の所有権を資本家に売り、転売を認めるという雇用契約でもよい。企業が労働者を解雇する代わりに転売できれば、失業は原理的になくなる。野球選手の契約はこれに近いが、最終的に雇用契約を離脱する権利が担保されていれば人権侵害にはならない。
しかし人身売買を自由化することは政治的に不可能なので、次善の解は雇用規制を撤廃して競争的な労働市場を作り出すことだ。技術がモジュール化されて資本と労働の補完性(資産特殊性)がなくなり、労働者の外部オプションが内部労働市場と同じになれば、労働者の交渉力は資本家と同じになり、彼らを企業組織で拘束する必要もなくなる。シリコンバレーのように自由に企業間を移動できると、巨大な企業組織も労働組合も必要なくなり、すべての労働サービスは契約で提供できるのだ。
以上は所得分配の問題は除外しているので、あとは負の所得税で再分配すればよい。失業をなくすために重要なのは労働サービスの配分の効率性で、これは分配の公平性とは独立の問題である。
こういうとき、よく出てくるのが「労働者を商品として扱うな」という話だが、労働者は商品ではない。近代社会では奴隷は禁止されているので、労働者(人的資本)を売買することはできない。商品として取引されるのは労働サービスである。もし人的資本の売買が認められていれば、労働者は自分を企業に売り切り、企業は経営が苦しくなったら彼を解雇する必要はなく、他の企業に転売すればよい。人的資本を物的資本と同じように市場で取引できる奴隷制のほうが、近代の雇用契約より効率的だというのが、フォーゲルの有名な研究である(彼はノーベル賞を受賞した)。
ただ近代社会には、すべての個人はひとしく「譲渡不可能な基本的人権」をもっているという(根拠のない)信念があるので、労働者を売買することは許されない。企業という組織は、こうした非対称な制度のもとで労働者を実質的に奴隷化するしくみだ。資本家は労働者の人的資本を所有できないが、物的資本は所有できるので、雇用契約によって資本と労働を結合し、労働者を資本から切り離す権利によって間接的にコントロールする、というのがHartの契約理論のエッセンスである。
労働者をコントロールする上で重要なのは、資本の所有権を資本家が独占することだ。市民社会の原則では資本家と労働者は対等だが、資本家は物的資本を支配することによって、それなしで価値をもたない人的資本を間接的に支配するのだ(このメカニズムを最初に明らかにしたのはマルクスだったとHartは認めている)。もう一つの条件は、労働市場の不完全性だ。もし労働者が解雇されてもまったく同じ条件で他の企業に移れる(他の資本と結合できる)外部オプションがあると、労働者は資本家と対等になるので、雇用契約によってコントロールできない。
だから理論的には、雇用問題を解決する最善の方法は、人的資本の売買を合法化することだ。奴隷のように一生コントロールする契約ではなく、たとえば1年間は人的資本の所有権を資本家に売り、転売を認めるという雇用契約でもよい。企業が労働者を解雇する代わりに転売できれば、失業は原理的になくなる。野球選手の契約はこれに近いが、最終的に雇用契約を離脱する権利が担保されていれば人権侵害にはならない。
しかし人身売買を自由化することは政治的に不可能なので、次善の解は雇用規制を撤廃して競争的な労働市場を作り出すことだ。技術がモジュール化されて資本と労働の補完性(資産特殊性)がなくなり、労働者の外部オプションが内部労働市場と同じになれば、労働者の交渉力は資本家と同じになり、彼らを企業組織で拘束する必要もなくなる。シリコンバレーのように自由に企業間を移動できると、巨大な企業組織も労働組合も必要なくなり、すべての労働サービスは契約で提供できるのだ。
以上は所得分配の問題は除外しているので、あとは負の所得税で再分配すればよい。失業をなくすために重要なのは労働サービスの配分の効率性で、これは分配の公平性とは独立の問題である。