年末になって、本屋にはぞろぞろ「大恐慌本」が出てきた。現在の不況を「世界恐慌」などと名づける本は、それだけで読まないほうがいい。それは著者が1930年代と現在の違いを理解していないことを示すからだ。しかし官僚やメディアにはそのレベルの理解も共有されていないようなので、今年の記事のリンクで金融危機についての入門的な知識をまとめておこう。ちょっと長いので、いつも読んでいる読者は飛ばしてください。
  1. 金融危機の原因は大恐慌とは違う:今回のアメリカの金融危機の最大の原因は、住宅バブルの崩壊にともなって、複雑でリスクの見えにくい金融商品の逆淘汰が起こったことによる金融システムの崩壊だ。これは30年代の大恐慌とも日本の90年代とも異なる21世紀型の危機であり、既知の処方箋はない。マクロ政策は、一時的な「痛み止め」の意味はあるが、今回の危機はそれだけで自然治癒するほど軽傷ではない。

  2. 大恐慌は再来しないシュワルツも証言するように、大恐慌の最大の原因はフーバー政権におけるFRBの「清算主義」的な金融政策で、それが金本位制によって世界に拡大したというのが、今日の標準的な理解である。これについて指導的な役割を果たした研究者が、ほかならぬバーナンキだ。したがって管理通貨制度のもとで中央銀行が金保有量の制約なしに通貨供給を拡大できる現在では、名目GDPが半減するような「大恐慌の再来」はありえない。

  3. 大量失業の原因は「需要不足」ではない:ケインズの「有効需要の不足が非自発的失業の原因だ」という説明は、今日ほぼ否定されている。アメリカの急激な経済収縮が1933年に終息したあとも、20%近い高い失業率が続いた最大の原因は、Kehoe-Prescottなどの世界規模の実証研究によれば、ワグナー法による労組の結成で製造業の実質賃金が上昇した(名目賃金が下がらなかった)ことだ。

  4. 日本の長期衰退の原因も需要不足ではないHayashi-Prescottが指摘したように、日本の90年代以降の長期低迷の原因は、短期の需要不足ではありえない。ケインズ的な理解でも、投資水準の変わる長期では、需要不足は価格によって調整されるはずだ。10年以上も名目ゼロ成長が続く原因は短期的な景気循環ではなく、生産性(TFP)の低下という長期の要因である。

  5. 財政政策で問題は解決しない:アメリカで財政出動が行われているのは応急処置で、問題の解決にはならない。それを見て日本でも「もっと財政刺激を増やせ」という声が強いが、財政政策は日本経済にとって有害無益だったというのが多くの実証研究の結論だ。「全治3年」というなら、その3年間にどういう病気をどうやって治すのか明示しないかぎり、財政政策は一時しのぎにしかならない。

  6. 伝統的な金融政策はきかない:大恐慌と現在が似ているのは、30年代には商業銀行で取り付けが起こったのに対して、今回は影の銀行システムで取り付けが起こり、金融システムが崩壊したことだ。したがって欧米の最優先の問題は、金融システムの再建であり、利下げや流動性の供給などの金融政策はその補助でしかない。日本でもゼロ金利に近い状態になった段階で伝統的な金融政策は終わりで、それ以上の緩和は意図せざるバブルをもたらすリスクがある。

  7. 日本の不況は「輸出バブルの崩壊」だ:これに対して、邦銀はハイリスクの金融商品にあまり投資しなかったので、欧米のような金融危機は起こっていない。主要な問題は、トヨタの赤字転落に象徴される、輸出産業だけで日本経済を支えてきた「片肺飛行」の終わりであり、これは国内の非製造業の生産性が上がらないかぎり、長期化するおそれが強い。

  8. 輸出不況には二重の原因がある:輸出が激減して貿易赤字になった最大の原因は、2000年代の金融政策による円安バブルの崩壊だが、もうひとつの原因はアメリカのGDPの6%にのぼる経常赤字の水準訂正だ。この背景には、医療費と住宅費が支出の半分を占めるアメリカの過剰消費構造があり、是正には長期間を要するだろう。

  9. 過剰貯蓄が世界経済を不安定にする:アメリカの経常赤字が縮小することは世界経済にとっては望ましいが、世界のGDPの2%にのぼる日本や新興国などの過剰貯蓄が行き場を失い、新たなバブルを引き起こすリスクも大きい。特に日本は、国内で投資機会を増やさないかぎり、長期衰退は避けられない。

  10. 非伝統的な金融政策の効果は疑問だ自然利子率が負になった段階で、金融政策の効果はなくなる。FRBがリスク資産の購入などの非伝統的な金融政策に踏み込んだのは「背に腹は代えられない」ためで、成算があってのことではないだろう。このような政策は2000年代の初めに日銀が一通り実行したが、白川総裁の総括によれば、その金融政策としての効果は限定的で、主要な効果は銀行の不良債権処理を促進したことだった。

  11. 人為的インフレ政策はきかない:デフレの状態で中央銀行がインフレ目標を掲げて「インフレにするぞ」と宣言し、通貨を無限に供給すればデフレを脱却できるというクルーグマンの提案は、日銀が「時間軸政策」として実施したが、大した効果がなかった。クルーグマンも明示的に撤回し、バーナンキも実施しない。かつて人為的インフレを「世界標準だ」と称して日銀を罵倒した岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。

  12. 雇用規制の強化は「官製失業」を生み出す:30年代の経験でも明らかなように、デフレ期に雇用規制を強化することは平均賃金を引き上げ、失業率を増やす。財界に賃上げを要請する経産省の雇用カルテルは、失業者の犠牲によって労組の既得権を守る不況促進策だ。

  13. ドル基軸の世界経済構造は変わらない:今回の危機を「ドル覇権の終焉」などと結びつける議論があるが、現実には欧州通貨の減価のほうが激しく、ドルが基軸通貨の地位を明け渡すことは考えられない。「アメリカ資本主義の終焉」などという粗雑な議論をする前に、今回の危機の生じたメカニズムを具体的に分析する必要がある。
ここに書いたことは、現在の学界のほぼ標準的な考え方で、たとえばMankiw's blogに書かれていることとほぼ同じだ。30年代と現在は違い、日米の危機も質が違うので、学説史的な議論は現状を理解する役には立たない。したがって今後とるべき政策についても、前例はないので、政策担当者や経済学者が試行錯誤しながら考えるしかないだろう。そのために必要なのは、頭にしみこんでいるケインズの亡霊を払拭することである。参考文献もリストアップした。