私は世の中的には「右派」とみられているようで、『文藝春秋』、『諸君!』、『Voice』などが毎月、送られてくる(*)。執筆依頼もこういう雑誌だけで、『論座』や『現代』からは依頼はこなかった(両方とも廃刊)。こういう右派の雑誌の基本的な立場は、政治的にはナショナリズム、歴史的には「自虐史観」を否定するのが売り物で、毎月ほとんど同じ話の繰り返しだ。
ところが経済については、対立軸が狂っている。今月の『Voice』も、宮崎哲弥氏と山形浩生・若田部昌澄氏の3人で「リフレ座談会」をやっている。宮崎氏と山形氏は、あいかわらず「構造改革は清算主義だ」とか下らない話をしているが、若田部氏の立場は微妙に変化している。彼らの賞賛する高橋洋一氏が、短期的には金融緩和を唱えながら、構造改革の先頭に立っているからだ。
世界的にみると、高橋氏の立場のほうが標準に近い。彼はバーナンキの弟子だった影響で、かつてはインフレ目標を激しく主張したが、最近はいわなくなった。彼や竹森俊平氏は金融政策の効果を過大評価するバイアスがあるが、彼らの推奨する非正統的な金融政策(利下げや量的緩和)は新しいコンセンサスの枠内だ。高橋氏は財政政策を全面的に否定する点では、宮崎氏と対立している。つまり経済学者の中の対立は、あまり大きくない。対立しているのは、経済学者と(宮崎・山形のような)素人なのである。
論争でもっとも重要なのは、アジェンダの設定である。かつて朝日・岩波が設定した「資本主義か社会主義か」というアジェンダは意味がなくなったが、それに代わって世界的には、NYタイムズのような政府の経済への介入を求めるリベラル派と、Economistのように市場を重視する保守派の論争が続いてきた。ところが日本では、朝日新聞が「格差是正」などの介入主義を主張するのは欧米のリベラル派に近いが、それに反対する(経済的な)保守派のメディアがない。そもそも保守すべき市場が存在しないからだ。
右派メディアは、世界的にはケインズ経済学を「社会主義」として批判するのが普通だが、日本では文学部卒の編集者が経済学を理解していないため、大昔のケインズ理論=「近経」がマル経を否定する新理論に見えるのだろう。おかげで日本の論壇は、世界的には絶滅した金子勝氏や内橋克人氏のようなマル経の亡霊と、リフレ派や地底人のようなケインズの亡霊が対立する「亡霊の論争」になっている。誤ったアジェンダでいくら論争しても、正しい答には到達できない。経済学の常識を踏まえたアジェンダを設定しないと、いつまでたっても日本のぐだぐだの経済政策は直らない。
左派の論壇誌がつぶれたのは慶賀の至りだが、残る右派の雑誌もかなりきびしい経営状況のようだ。悪いけど、無料で送ってきても毎月「東京裁判批判」の繰り返しでは読む気にならない。マーケティング的にも、日本に存在しないEconomistのようなリバタリアンの論陣を張ってはどうだろうか。教科書としては、ケインズ政策を徹底的に批判した『資本主義と自由』をおすすめする。日本の経済論壇は、この50年前の本から出発しないといけないトホホな状況なのである。
(*)文春はなぜか2冊送られてくるので、1冊にしてください。献本は右のSBI Businessに書いた自宅へどうぞ。
ところが経済については、対立軸が狂っている。今月の『Voice』も、宮崎哲弥氏と山形浩生・若田部昌澄氏の3人で「リフレ座談会」をやっている。宮崎氏と山形氏は、あいかわらず「構造改革は清算主義だ」とか下らない話をしているが、若田部氏の立場は微妙に変化している。彼らの賞賛する高橋洋一氏が、短期的には金融緩和を唱えながら、構造改革の先頭に立っているからだ。
世界的にみると、高橋氏の立場のほうが標準に近い。彼はバーナンキの弟子だった影響で、かつてはインフレ目標を激しく主張したが、最近はいわなくなった。彼や竹森俊平氏は金融政策の効果を過大評価するバイアスがあるが、彼らの推奨する非正統的な金融政策(利下げや量的緩和)は新しいコンセンサスの枠内だ。高橋氏は財政政策を全面的に否定する点では、宮崎氏と対立している。つまり経済学者の中の対立は、あまり大きくない。対立しているのは、経済学者と(宮崎・山形のような)素人なのである。
論争でもっとも重要なのは、アジェンダの設定である。かつて朝日・岩波が設定した「資本主義か社会主義か」というアジェンダは意味がなくなったが、それに代わって世界的には、NYタイムズのような政府の経済への介入を求めるリベラル派と、Economistのように市場を重視する保守派の論争が続いてきた。ところが日本では、朝日新聞が「格差是正」などの介入主義を主張するのは欧米のリベラル派に近いが、それに反対する(経済的な)保守派のメディアがない。そもそも保守すべき市場が存在しないからだ。
右派メディアは、世界的にはケインズ経済学を「社会主義」として批判するのが普通だが、日本では文学部卒の編集者が経済学を理解していないため、大昔のケインズ理論=「近経」がマル経を否定する新理論に見えるのだろう。おかげで日本の論壇は、世界的には絶滅した金子勝氏や内橋克人氏のようなマル経の亡霊と、リフレ派や地底人のようなケインズの亡霊が対立する「亡霊の論争」になっている。誤ったアジェンダでいくら論争しても、正しい答には到達できない。経済学の常識を踏まえたアジェンダを設定しないと、いつまでたっても日本のぐだぐだの経済政策は直らない。
左派の論壇誌がつぶれたのは慶賀の至りだが、残る右派の雑誌もかなりきびしい経営状況のようだ。悪いけど、無料で送ってきても毎月「東京裁判批判」の繰り返しでは読む気にならない。マーケティング的にも、日本に存在しないEconomistのようなリバタリアンの論陣を張ってはどうだろうか。教科書としては、ケインズ政策を徹底的に批判した『資本主義と自由』をおすすめする。日本の経済論壇は、この50年前の本から出発しないといけないトホホな状況なのである。
(*)文春はなぜか2冊送られてくるので、1冊にしてください。献本は右のSBI Businessに書いた自宅へどうぞ。