官僚やジャーナリストが、学問的には30年以上前に否定されたIS-LM図式を脱却できない一つの理由は、最近の動学マクロが数学的にむずかしく、直感的にわかりにくいことだろう。この問題を解決するために、次のような図を考えよう。これはおなじみのエッジワース・ダイヤグラムで、上に凸の曲線Tが企業の生産可能曲線、下に凸の曲線U2が消費者の無差別曲線、斜めの直線Lが相対価格である(Clower, "The Keynesian Counterrevolution"1965)

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一つだけ普通の図と違うのは、この価格では均衡が成立していないことだ。消費者は財をdg消費したいのだが、この価格では企業はsfしか売らない。こういう場合、ミクロ経済学では賃金が下がって均衡が成立する(二つの曲線が接するようになる)と教わるが、このためには企業と消費者が現在の価格で取引をせず、(せり人が)新しい価格を決めて再契約しなければならない。これは奇妙な仮定である。あなたがスーパーマーケットへ行って商品の値段が高かったとき、「価格を変更して再契約しよう」とスーパーに提案するだろうか?

現代の産業社会では、店頭で価格交渉なんかしない。消費者は定価で買い、スーパーは売れ残ったら在庫を抱える。また経営者が「失業があるから賃金を下げる」という交渉を労働組合とすることは不可能だから、雇用を削減する。つまり、たまたまこの図のような価格が与えられたら、人々はその価格で取引して数量調整を行なうので、非自発的失業が発生する。失業者には所得がないので有効需要はsgにとどまり、需給ギャップdg-sgが残る。

私の学生のころには、こういうBarro-Grossmanなどの「一般不均衡理論」が流行したが、しばらくするとLucasの合理的期待論のほうが優勢になり、Barroも不均衡理論を放棄してしまった。その理由は、こうしたモデルでは不均衡状態が長期にわたって続く理由を説明できないことだ。スーパーは短期的には数量調整しても、売り残ったら翌日は価格を下げるだろうし、求人倍率が下がったら賃金も下がるので、長期ではワルラス的な均衡が成立する。不均衡がナッシュ均衡になるcoordination failureも起こるが、マイナーな撹乱だ。

・・・というのが通説だが、現在の状況について均衡理論は何も教えてくれない。Lucasのいうように人々が完全な情報をもっているなら、そもそも金融危機なんて起こらない。この図でYとLを二つの証券の供給量とすれば、派生証券の値がつかない状態の表現にもなる。こうした不均衡状態から、人々が試行錯誤によって均衡価格をさがす過程を明示的に考えるほうが建設的だろう。そういう理論的な試みは始まっている。いずれにしても、こうしたmicrofoundationのないIS-LMが何の説明にもなっていないことは、学問的なコンセンサスである。

追記:図の符号がおかしかったので修正した。