ペレルマンのことを書いたついでに、去年の本だがおもしろいので紹介しておこう。この種の本としては、傑作『フェルマーの最終定理』が文庫になったのでおすすめするが、本書もそれに劣らずよく書けている。

テーマになっているポアンカレ予想は、本書によれば「3次元物体にかけた輪ゴムを一点に縮めることができるのは(トポロジカルな意味の)球面だけだ」という、子供の遊びみたいな命題だ。しかも、これは4次元以上では証明されたのに、3次元(といっても多様体だから普通の球体ではない)だけが残されていた。それをウェブサイトに投げたドラフトで証明してしまったのがペレルマンである。

一般の読者には、彼の証明までの20世紀のトポロジーの歴史がやさしく解説されているのが便利だ。その証明の内容もていねいに説明されているが、さっぱりわからない(一般人が理解するのは無理)。しかし、これによって「トポロジーを研究する数学者の仕事はなくなった」といわれるほど革命的な業績らしい。

この証明が世の中的に有名になったのは、何といってもペレルマンがフィールズ賞を拒否した事件のおかげだろう。彼はハーバード、スタンフォード、プリンストンなどからの教職のオファーも100万ドルの賞金も拒否し、ロシアの研究所も辞めて、行方不明になってしまった。その原因には諸説あるが、New Yorkerによれば、トポロジー業界のボス、丘成桐(Yau Shing-Tung)の政治工作が原因らしい。

ハーバード大学教授であるヤウは、中国政府に国立の数学研究所をつくらせ、中国数学会の学会誌を創刊して編集長になり、そこに自分の弟子がペレルマンの証明を丸写しした論文を(査読もすっ飛ばして)「ポアンカレ予想の最初の証明」と題して載せ、フィールズ賞を共同受賞させようと画策したのだ。「数学界では倫理基準を破った人が批判されず、私のような一匹狼は追放される」というペレルマンの言葉が、彼の引退の理由を暗示している。

しかし私などは、これぐらいえげつなく「中国は数学でも一流だ」とアピールし、世界の学界のリーダーシップを握ろうとする中国人の迫力に、むしろ感心してしまう。国際会議でプレゼンも原稿の棒読みで、欧米勢が勝手に標準を決めてもじっと黙っている日本人を見ていると、科学技術の世界で中国に抜かれる日も遠くない(もう抜かれている?)ような気がする。