9ee53a3f.jpg本書は2004年に行なわれた講演の記録で、正味160ページの小冊子だが、長大で読みにくい著者の本を敬遠している人にとっては、彼の思想を超簡単にまとめた「寝ころんで読めるウォーラーステイン」として便利かもしれない。

著者の歴史理論は、16世紀以降、近代西欧から生まれた「近代世界システム」が経済・政治・文化などのあらゆる面で世界を飲み込むプロセスとして近代の世界史を描こうとする壮大なものだ。そのシステムの特徴は、他の世界を戦争で征服するのではなく、資本主義の中に包摂(incorporate)するメカニズムである。世界各地に固有の生産システムを市場に組み込むことによって、それと一体の「ヨーロッパ的普遍主義」を広めてゆくのだ。

この基本的な考え方は、市場による流通が生産を「包摂」するシステムとして資本主義をとらえた宇野弘蔵と同じだ。そして「ヨーロッパ的普遍主義」というのはサイードのオリエンタリズムの言い換えにすぎない。どんな社会システムも固有の宗教を文化的な土台にしているために普遍化できないのだが、キリスト教は宗教から中立にみえる「近代科学」に装いを変えることによって全世界の文化を包摂することができた。

ただ著者は、20世紀後半以降、近代世界システムは崩壊の局面に入ったと論じている。その主要なメカニズムは、中心国家が周辺国家の生産を支配する垂直統合による分業構造だが、最近のグローバリゼーションは周辺国家の自立を促進し、近代世界システムの階層構造を脅かしている。

こうしたヨーロッパ的普遍主義を知的に支えていた大学も、没落している。大学は中世に神学者の養成機関として生まれ、18世紀にほぼ消滅したが、科学技術の研究機関として19世紀以降、復活したものだ。しかし今日、科学技術の主役は企業に移り、ごく一部のエリート大学を除いて、大学は知的な生産性を失ってしまった。

著者は言及していないが、近代世界システムにとってもっと根本的な脅威は、デジタル革命である。無限にコピー可能で稀少性のないデジタル情報は、原理的に資本主義に包摂できない。それを無理にやろうとすると、「知的財産権」などの人工的な概念をつくって国家権力が個別に強制しなければならない。その莫大なコストが知的生産を抑圧し、政府への反抗をまねいている。ネグリ=ハートも含めて、情報ネットワークの問題を組み込めないところが、こうしたマルクス的「危機論」の限界だろう。