かつての櫻井よしこ女史のように「ストリートビューは国民を裸にするものだ!」と叫ぶイナゴが大量発生しているようだ。同じ話を繰り返したくないが、今後も同様の騒ぎが起こりそうなので、基本的なことだけ:

まず海外まで紹介された樋口理氏の文化論はナンセンスである。私的な空間についての自衛意識は、欧米人のほうがずっと強い。日本の少年がハロウィーンで庭に入り込んで射殺された事件を覚えている人も多いだろう。「他人に自宅を撮られるのは気持ち悪い」というのは東洋も西洋もなく、現に欧米で訴訟が起こっている。

「地図データとリンクされるのがプライバシー侵害だ」という批判も、以前の騒動のとき、地図データベースについて出てきた話だ。おかげで田園調布などの住宅地図は、空白だらけで使い物にならない(個人情報保護法で世帯主の氏名は個人情報に含まれるので、これは助からない)。ストリートビューもopt outにしているようなので、穴だらけで使い物にならなくなるおそれが強い。

根本的な点は、プライバシーは法的に保護さるべき人権ではない、ということだ。これは普遍的な権利ではなく、1890年にWarren-Brendeisの論文で「有名人が私生活を撮影されない権利」として提唱された特殊な概念にすぎない。プライバシーを人権とするかどうかについては、1980年代に論争があったが、これは表現の自由を侵害する権利なので実定法で保護するのは好ましくない、というのが世界の通説だ。日本の法律も「プライバシー」という言葉は避けている。

ところが日本人は、もともとプライバシーという概念を知らない(訳語さえない)ので、逆にそれを絶対視するのが「進歩的」だと思い込む傾向が強い。日弁連は、2002年の人権擁護大会で「自己情報主権」なるものを宣言した。これを主張する藤原宏高弁護士に「ではあなたが私を批判した文章から私が『自己情報』を削除しろと要求したら、あなたは従うのか」と討論会で質問したら、彼は絶句してしまった。

このように短絡的な感情論で新しい技術を拒むLudditeが、インターネットを殺すのだ。これ以上、同じ話はしたくないので、厳密な議論は論文を読んでください。きちんと勉強したい人は、Posnerの"The Economics of Justice"をおすすめする。