やっとハイエク本ができた。発売は19日だが、アマゾンでは予約の受付が始まった。あくまでも新書なので、「ハイエク入門」として誰でも読めるようにやさしく書き、専門的な議論や文献は省いた。しかしケインズとの論争は現在の世界経済を考える上でも示唆に富んでいるし、彼の法哲学はShleiferなどの実証研究でホットな話題になっている。また「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否した彼は、行動経済学の元祖としても再評価されている。そういう専門的な議論や参照文献のリストアップは、サポートページでやる予定である。序文を引用しておこう:
——
世界の金融市場を、前代未聞の危機がおおっている。現代の金融商品は数学やコンピュータを駆使した「金融工学」によって合理化され、あらゆるリスクは技術的にヘッジされ、世界中の市場がいっせいに暴落するパニックは起こりえないはずだった。今回のサブプライム・ローン危機による株価の暴落は、通常の金融工学の想定にもとづくと「百億年以上に一度」しか起こりえないはずだった。
しかし10年前には、同じような全面的危機によって、金融工学の基礎を築いたノーベル賞(正確にはノーベル記念スウェーデン銀行賞)受賞者をパートナーとする投資ファンド、LTCMが破綻した。その10年前には「ブラックマンデー」によって全世界の株式市場が同時に暴落した。世界の金融市場では、百億年に一度のはずの危機が10年に一度、起こっているのだ。
このような特異現象を、数学者ナシーム・タレブは「ブラック・スワン」と呼び、彼の本は2007年のアマゾン・ドットコムの年間ベストセラー第1位(ノンフィクション部門)となった。今まであなたが見た白鳥がすべて白かったとしても、それはあす黒い白鳥が出現しないことを保証しないのだ。
通常の金融理論では、すべての市場参加者が完全な知識にもとづいて「合理的」に行動すると仮定し、市場は効率的なので、市場に勝ち続けることはできないと教える。しかし現実には、年率80%以上の高い収益を上げ続けるヘッジファンドがある一方で、LTCMのように一夜にして破綻するファンドもある。
このような不確実な世界を正しく予測していた、ほとんど唯一の経済学者としてタレブが評価するのが、フリードリヒ・A・フォン・ハイエク (1899~1992)である。彼は生涯を通じて、社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提を攻撃し続けた。その結果、彼は主流の経済学からは徹底して無視され、「反共」や「保守反動」の代名詞として「進歩的知識人」から嘲笑されてきた。
しかし彼の死後15年以上たって、経済学はハイエクを再発見しはじめている。合理的な人々の行動を記述する「合理的期待」派のマクロ経済学やゲーム理論が行き詰まり、新古典派理論の根本的な前提である「合理的経済人」の仮説が、「行動経済学」の多くの実験で疑問の余地なく反証された。人々の行動に非合理的な「バイアス」がともない、しかもそのバイアスに明らかな法則性があることを示した。今回のサブプライム危機も、こうした立場からは容易に説明できる。
ハイエクは、人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をすると考えた。それは若いころからの彼の一貫した信念であり、社会主義やケインズ的な「計画主義」が全盛だった1930年代に、彼はほとんどたった一人で、その通念に挑戦した。
しかし20世紀の最後の四半世紀は、ハイエクの思想が正しかったことを証明した。彼は1974年にノーベル賞を受賞し、彼を崇拝するマーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンが英米で政権をとって世界の経済政策を大きく変え、社会主義は崩壊し、ケインズ政策は放棄された。
そして各国政府や電話会社が建設しようとした社会主義的な「情報スーパーハイウェイ」が失敗する一方、ボランティアの技術者たちがつくったインターネットが、1990年代以降あっという間に世界に広がり、サイバースペースにグローバルな「自生的秩序」ができた。これは計画経済に対する市場経済の勝利と似た出来事だった。それは「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を証明したのである。
しかしグローバル資本主義に対する反発も強い。「市場原理主義」を攻撃する自称エコノミストが喝采を浴び、「反グローバリズム」を叫んで先進国首脳会議などを阻止しようとするデモの隊列が絶えない。たしかに現在の世界は不平等と不正と混沌に満ちているが、それを「賢明な政府」が指導すれば、世界は今よりもよくなるのだろうか?
こうした言説は、今から半世紀以上前に、ハイエクが論破したものだ。彼は社会主義経済の不可能性を証明しただけではなく、ケインズ政策や「福祉国家」も含めて、およそ経済を「計画的」に運営することは不可能で有害であることを証明したのだ。
現実がハイエクに追いつくには、20世紀末までかかったが、こうした変化はまだ始まったばかりだ。21世紀が「知識社会」になるとすれば、その知識が不完全で不合理だということを明らかにしたハイエクの理論は、情報ネットワーク社会の秩序のあり方を考える基礎になろう。
——
世界の金融市場を、前代未聞の危機がおおっている。現代の金融商品は数学やコンピュータを駆使した「金融工学」によって合理化され、あらゆるリスクは技術的にヘッジされ、世界中の市場がいっせいに暴落するパニックは起こりえないはずだった。今回のサブプライム・ローン危機による株価の暴落は、通常の金融工学の想定にもとづくと「百億年以上に一度」しか起こりえないはずだった。
しかし10年前には、同じような全面的危機によって、金融工学の基礎を築いたノーベル賞(正確にはノーベル記念スウェーデン銀行賞)受賞者をパートナーとする投資ファンド、LTCMが破綻した。その10年前には「ブラックマンデー」によって全世界の株式市場が同時に暴落した。世界の金融市場では、百億年に一度のはずの危機が10年に一度、起こっているのだ。
このような特異現象を、数学者ナシーム・タレブは「ブラック・スワン」と呼び、彼の本は2007年のアマゾン・ドットコムの年間ベストセラー第1位(ノンフィクション部門)となった。今まであなたが見た白鳥がすべて白かったとしても、それはあす黒い白鳥が出現しないことを保証しないのだ。
通常の金融理論では、すべての市場参加者が完全な知識にもとづいて「合理的」に行動すると仮定し、市場は効率的なので、市場に勝ち続けることはできないと教える。しかし現実には、年率80%以上の高い収益を上げ続けるヘッジファンドがある一方で、LTCMのように一夜にして破綻するファンドもある。
このような不確実な世界を正しく予測していた、ほとんど唯一の経済学者としてタレブが評価するのが、フリードリヒ・A・フォン・ハイエク (1899~1992)である。彼は生涯を通じて、社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提を攻撃し続けた。その結果、彼は主流の経済学からは徹底して無視され、「反共」や「保守反動」の代名詞として「進歩的知識人」から嘲笑されてきた。
しかし彼の死後15年以上たって、経済学はハイエクを再発見しはじめている。合理的な人々の行動を記述する「合理的期待」派のマクロ経済学やゲーム理論が行き詰まり、新古典派理論の根本的な前提である「合理的経済人」の仮説が、「行動経済学」の多くの実験で疑問の余地なく反証された。人々の行動に非合理的な「バイアス」がともない、しかもそのバイアスに明らかな法則性があることを示した。今回のサブプライム危機も、こうした立場からは容易に説明できる。
ハイエクは、人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をすると考えた。それは若いころからの彼の一貫した信念であり、社会主義やケインズ的な「計画主義」が全盛だった1930年代に、彼はほとんどたった一人で、その通念に挑戦した。
しかし20世紀の最後の四半世紀は、ハイエクの思想が正しかったことを証明した。彼は1974年にノーベル賞を受賞し、彼を崇拝するマーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンが英米で政権をとって世界の経済政策を大きく変え、社会主義は崩壊し、ケインズ政策は放棄された。
そして各国政府や電話会社が建設しようとした社会主義的な「情報スーパーハイウェイ」が失敗する一方、ボランティアの技術者たちがつくったインターネットが、1990年代以降あっという間に世界に広がり、サイバースペースにグローバルな「自生的秩序」ができた。これは計画経済に対する市場経済の勝利と似た出来事だった。それは「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を証明したのである。
しかしグローバル資本主義に対する反発も強い。「市場原理主義」を攻撃する自称エコノミストが喝采を浴び、「反グローバリズム」を叫んで先進国首脳会議などを阻止しようとするデモの隊列が絶えない。たしかに現在の世界は不平等と不正と混沌に満ちているが、それを「賢明な政府」が指導すれば、世界は今よりもよくなるのだろうか?
こうした言説は、今から半世紀以上前に、ハイエクが論破したものだ。彼は社会主義経済の不可能性を証明しただけではなく、ケインズ政策や「福祉国家」も含めて、およそ経済を「計画的」に運営することは不可能で有害であることを証明したのだ。
現実がハイエクに追いつくには、20世紀末までかかったが、こうした変化はまだ始まったばかりだ。21世紀が「知識社会」になるとすれば、その知識が不完全で不合理だということを明らかにしたハイエクの理論は、情報ネットワーク社会の秩序のあり方を考える基礎になろう。