IPA主催による、IT業界の重鎮と学生の対話集会が、今年も開かれた。去年の集会では「3Kの“帰れない”は、帰りたくない人が帰れないだけ。スケジュール管理の問題だ」という重鎮の発言で、かえってIT業界のネガティブイメージが定着してしまったが、今年はIPAの西垣浩司理事長(元NEC社長)の「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」という発言に、学生はみんな唖然としたらしい。

これは伊藤忠の丹羽宇一郎会長の言葉で、このあと「最後の10年はマネジメントを大いにやってもらう」と続くそうだが、これじゃ霞ヶ関の役人と同じだ。若いときは「雑巾がけ」で会社にご奉公し、年をとってから楽なマネジメントで取り返すという徒弟修業型のキャリアパスは、組織が永遠に不変で、自分がそこに定年まで終身雇用で勤務するという前提でのみ成り立つインセンティブ・システムである。

日本の年功序列型の賃金プロファイルは、若いとき会社に「貯金」し、年をとってからその貯金を回収するようになっている。これは、実はグラミン銀行などと同じ村落共同体型のガバナンスだ。新入社員は会社というムラに「贈与」するので、それを取り返すまではやめられない。ところが、取り返せる40代になると、もうつぶしがきかないので、しかたなく会社に一生ぶら下がる・・・というタコ部屋になっているわけだ。

こういう組織は、メインフレームのように工程が複雑で、多くのエンジニアの集団作業が必要な場合には、それなりに機能した。しかし当ブログでも書いてきたように、そういう製造業型の構造は、PCやインターネットのモジュール型の工程には適していない。労働者の技能がポータブルになるため、長期的関係にロックインできないからだ。ところが経営者の頭が、いつまでもムラ的発想を抜け出せないから、日本のコンピュータ産業は中国やインドにも抜かれ始めているのだ。

それなのに、経営者がそれも自覚していないばかりか、若者に丁稚奉公を説教する現状は、きのうの記事のアップルと比較すると、絶望的というしかない。日本のIT産業を救う道は、マックス・プランクの次の言葉しかないのだろう ― Science advances funeral by funeral.