木曜の記事には、記録的な数のリンクが張られた。活発な議論が行なわれるのは結構だが、たとえば「日本の子供たちからインターネットが消える日」という記事では、いかなる規制にも絶対反対し、「紛争処理機関も認めない」と主張している。この類の「自由放任主義」も、ひとつの神話にすぎない。

こうした「反権力」的な言説によく出てくるのが、フーコーの「パノプティコン」だが、これはベンサムが設計した図面にすぎず、実際に建設されたものではない。フーコー自身も、晩年のインタビューで「パノプティコンは権力の概念の誤ったメタファーだった」と否定している。本質的な生権力(biopouvoir)は、そういうわかりやすい形で局在するのではなく、人々のネットワークの中に遍在しているのだ。

反権力派のよりどころとする自由な主体という概念こそ生権力の鏡像である、とフーコーは『知への意志』で指摘する。主体(sujet)の原義は、公教育や軍隊などによって植えつけられた「規律に従う者」という意味だ。そしてフーコーは、こうした主体の概念を解体した先に、真理の概念こそ究極の権力装置だという言説を未完成で残したまま、この世を去る。

本書は、この最晩年のフーコーの真理論をニーチェまでさかのぼって解説したものだ。さほど斬新な洞察が含まれているわけではなく、木田元『マッハとニーチェ』で論じられたようなヒューム~ニーチェ~マッハ~ヴィトゲンシュタインと続く懐疑主義の系譜が無視されているのは物足りないが、「インターネット無政府主義」をナイーブに信じる人々の目を覚ますぐらいの役には立つだろう。