先月、情報大航海プロジェクト(通称「日の丸検索エンジン」)のシンポジウムが行なわれた。席上、プロジェクト側が技術的な成果を説明したのに対して、会場からは「こういう産業政策はもう古いのではないか」とか「ビジネスモデルが見えない」といった疑問が相次ぎ、演壇の某教授(学界の長老)が「若者を育てようとしているのに、それをdiscourageするような話ばかりするな」とキレたそうだ。ここに問題が象徴されている。その長老教授は、主観的には善意で新しいプロジェクトを育てているつもりなのだ。

このプロジェクトの名前に「大航海」とついているのも皮肉である。以前の記事でも書いたように、株式会社という制度は、この大航海時代に生まれたものだ。それは、出航した船の半分以上は帰ってこない、非常にリスクの高いプロジェクトの資金を調達するため、リスクを株式という形で小口にわけ、無事に帰ってきたらもうけは株主が山分けできるが、失敗しても株式が紙くずになるだけという有限責任によってリスクを分散するシステムだったのである。

その意味で、現代が「情報大航海時代」だというネーミングは当たっている。一山あてようとする冒険家が、いかがわしい企画書をもって資金を得ようと競い、金を出すベンチャーキャピタルも危ないとわかっているが、10のうち1ぐらい当たればいいぐらいのつもりで、多くの冒険的なプロジェクトに薄く広く投資する。そして第1ラウンドがうまく行ったら追加出資し、だめだったら資金を打ち切るという進化論的メカニズムで冒険家たちは淘汰されてゆく。

ところが、この長老教授のように与えられた目的に向かって若者を育てるという発想だと、みんなの力を総動員してグーグルに対抗しようという話になる。プロジェクトが失敗するリスクは想定されず、全員が無限責任を負っている結果、だれも失敗の責任は問わない。通産省のやった「大型プロジェクト」の大部分は失敗だったが、その事後評価さえほとんどされていない。

このシステムを支えているのが、理科系の御用学者だ。学界というのは猿山みたいなもので、ボスが役所の審議会の委員として官僚の決めた政策にメクラ判をつき、その見返りに数十億円の研究費を取り、それを弟子に分配して仕事を丸投げし、弟子は大学院生を総動員して与えられた目標を達成し、研究費の分け前にあずかる、というゼネコン構造になっている。

こういう構造は、大航海時代には向いていない。だれにも何が当たるかわからないのだから、なるべく多様な冒険を許し、失敗したらすぐ撤退して別のプロジェクトに投資する、株主資本主義が向いているのだ。株式会社が生まれた16世紀、イギリスはまだ小国で、世界最大の帝国は明だった。こうした帝国型システムは、軍事力を総動員するには向いているが、新しい冒険はきらう。その後400年余りの「制度間競争」の歴史は、経済システムとしてどっちがすぐれているかを示した。

NTTにぶら下がっていた通信業界は壊滅し、役所や銀行を食い物にしてきたコンピュータ業界も、世界市場では相手にされない。それなのに、まだ「羅針盤」として民間企業を指導しようとしている役所も救いがたいが、もっと根深い問題は、こういう構造を学問的に支えている御用学者だ。彼らはリスク管理という概念も知らず、役所に与えられた目的に従って「ものづくり」に励めばいいと思い込んでいる。

このように政策立案を官僚が独占し、学者がその下請けをやっている状態では、いつまでたっても日本の病根である官僚社会主義を解体することはできない。アメリカでは、シンクタンクが第5の権力ともいわれるほど影響力をもっているが、日本で「**総研」とつくのは、役所にぶら下がる「研究ゼネコン」である。真の意味での独立系シンクタンクが出てこないと、日本の政治はいつまでたっても進歩しないだろう。