今週の「サイバーリバタリアン」のテーマは「撤退」。今週もソニーがドコモの端末から撤退するとか、新銀行東京も撤退論が与党にも出てくるなど、撤退の価値が話題になっている。

先週の記事では、マイクロソフトが大きくなりすぎたのがよくないと書いたが、今回のコラムでは、日本の携帯電話メーカー11社を合計してもノキアの1/3にもならない「過小規模」が競争力の弱い原因だと書いた。両者は矛盾しているようだが、そうではない。前者は、OSとアプリケーションのような異なる部門を社内にもって部品を自社生産することによる範囲の経済、後者は固定費が大きい場合、大量生産することによって単価が下がる規模の経済の問題だ。

IT産業では、部品がモジュール化されてグローバルな市場が成立しているので、範囲の経済はほとんどない。他方、規模の経済は多くの工業製品にみられるが、IT産業ではソフトウェア開発のような固定費が大きくなる一方、半導体のコストが下がったため、この効果が特に強い。もう一つ、ある規格が標準になると、多くの人が使うがゆえに普及するというネットワーク外部性もある。

ITバブルのころは、これらを全部ごちゃごちゃにして収穫逓増と呼び、「シナジー」とか「ひとり勝ち」などの効果を誇大に宣伝する経済学者がいた。それを真に受けて、ソニーの出井社長は900社以上の連結子会社をつくったが、結果的にはソニーのコーポレート・アイデンティティが曖昧になり、イノベーションを生み出せなくなってしまった。

特にiPodより先に音楽配信市場に出ていながら、自社レーベルの「知的財産権」にこだわってMP3をサポートしなかったのは、典型的な「範囲の不経済」である。PS3の開発のときの最大の誤りは、ゲーム機単体ではなく、CPU「セル」の外販で採算をとる計画になっていたことだ。結果的には、この範囲の経済もないことが判明し、セルの製造部門は東芝に売却された。残されたPS3だけで投資を回収するのは、絶望的だ。

他方、通信(特に携帯電話)やコンピュータの場合は、国内のクライアントに固有の規格に特化してしまい、国際競争がないため、「パラダイス鎖国」の中で、規模の経済のない会社が仲よく共存してきた。かりに日本メーカーの端末の開発費がノキアと同じだとしても、1台あたりの固定費は10倍以上ちがうので、とても競争にならない。ここでも「開国」によってグローバルな競争にさらし、資本市場で集約する必要がある。