『諸君!』11月号に上杉隆・伊藤惇夫・宮崎哲弥3氏の座談会が出ている。そこで3人とも麻生首相のバラマキを批判しているのだが、宮崎氏が「今の景気をみれば、財政出動型の経済政策そのものは正しい」というと、他の2人も「それはわかります」と同意している。経済学の常識は、まだジャーナリストの常識にもなってないらしい。上杉氏は当ブログを読んでいるようなので、マクロ経済学の初歩をジャーナリストにも3分でわかるようにまとめておこう。

ジャーナリストも政治家も、わからないことはその道の専門家に質問できるという特権があるので、耳学問で結論は知っているが、論理的に理解していない。特に時間をかけて基礎的な勉強をしないので、学生時代の知識がそのまま残っていることが多い。私の学生時代に、サミュエルソンの教科書の最初に出てきたのは、次のような図だった:


この45度線は所得と支出が等しくなる水準をあらわしている。有効需要(消費+投資)は所得の関数として決まるので、これが45線と交わるところで、支出=所得となってマクロ的な均衡が成立する。しかし有効需要が不足すると、この均衡水準は完全雇用水準と一致せず、失業が発生するので、この需給ギャップを政府の財政支出で埋めれば完全雇用が達成される――というのが初等的なマクロ経済学の説明だ。

しかしよく考えると、この図はおかしい。所得や支出はフローの数字なので、財政支出で完全雇用が達成されるとしても、それをやめたら元に戻ってしまう。民間の有効需要が青の実線の水準である限り、永遠にバラマキを続けないと完全雇用は維持できない。そもそも本来は民間の有効需要と供給が一致するように価格で調整されるはずなのに、このギャップがいつまでも埋まらないのはなぜなのか?

実は、この図には価格は変化しないという前提がある。これは奇妙な話だ。ミクロ経済学では、需要と供給が価格で調整されて一致すると教わるのに、マクロになるとどんなに大きな需給ギャップがあっても価格が動かないと仮定されているのだ。ケインズは、これを短期の問題として正当化し、彼の結論のほとんどはこの仮定から導かれる。価格が伸縮的だとすると、ミクロとマクロは同一になる。

これがきのうの記事で書いたコーディネーションの問題である。つまり本質的なのは、需給ギャップが価格によって調整されない状態が続くことなのだ。その原因はいろいろ考えられるが、ハイエクが指摘したのは、資本や労働に固定性があって、ある部門の需要が急に減って他の部門で増えても、簡単に生産要素を部門間で移動できないということだ。

普通こうした不均衡は過渡的なもので、需要の減った企業はつぶれ、失業者が他の企業に移ることで均衡が回復するが、政府が財政支出によってつぶれるべき企業を延命すると、それが「ゾンビ化」して、いつまでも需給ギャップが残る。90年代に公共事業で支えられた土建業者が、公共事業がなくなるとつぶれるように、基礎体力をつけないで点滴で延命しても、点滴をはずしたら元の木阿弥だ。根本的な解決策は、需要の減った部門の生産要素を需要の増えた部門に移すしかない。

ケインズは投資水準が一定の場合の短期の政策として財政政策を提案したが、彼の理論は成長理論などの長期の理論とつながらない。上にみたように、長期的な整合性のない短期的な「景気刺激」は維持しえない。バラマキであろうとなかろうと、財政政策は長期的には効果がないのだ。本質的な問題は、生産要素のコーディネーションがすみやかに行われるように、資本市場と労働市場を競争的にする改革である。