拙著のサポートページでも補足したが、大恐慌の最中にハイエクとケインズが行なった論争は、今日でも重要な意味がある。テクニカルな話なので、経済学に興味のない人は無視してください。

ハイエクのケインズ批判はきわめて難解で、その資本理論は混乱しており、『一般理論』が大成功を収めたため、この論争はケインズの勝利に終わったと思われているが、いま読み直してみると、別の見方も可能だ。ハイエクの主要な論点は、失業の原因はケインズの考えていたような集計的な過少消費ではなく、個々の産業で労働供給と需要の一致しない状態が続く市場の歪みだということだった。

当時はミクロ的な調整メカニズムを実証的に分析するツールがなかったため、ハイエクの理論は無視されたが、こうしたコーディネーションの問題はのちにClower-Leijonhufvudの不均衡理論や、Lilienのsectoral shift理論として定式化された。また名目賃金などの固定性がなぜ生じるかという説明も、Mankiw-Romerらの「新ケインズ派」によって行われた。こうした議論は、90年代にはRBCなどの超合理主義理論に圧倒されて消えてしまったが、最近はNew Classicalも行き詰まりを見せ、あらためてコーディネーションの問題を理論的に説明しようという試みも出ている。

Caballeroは、不均衡をHart不完備契約理論で説明するものだ。超簡単にいうと、Hartのモデルでは1(補完的)か0(独立)かという2値で考えていた生産要素の特殊性(specificity)を連続なパラメータとし、労働者と資本家の交渉問題を考えると、特殊性の高い(稀少な)生産要素が有利になる。不況で資金制約の強いときには資本が稀少になるので、産出量の調整は雇用で行われ、(労資の交渉力を均等化する)自然率を上回る失業が発生する。他方、景気がよくなると労働がボトルネックになるので、産出量の調整は資本で行われ、過剰投資(バブル)が発生する。要するに景気循環の過程で行われる労働・資本の再配分は、pro-cyclicalになるのである。

これはハイエクが70年前にのべた「不況の原因は要素価格の(ヴィクセル的)自然率からの乖離である」という主張と本質的に同じである。不況の原因が過少消費(有効需要の不足)ではなく、こうしたコーディネーションの失敗だとすれば、その対策はヘリコプターから無差別に金をばらまくような政策ではありえない。重要なのは、市場を競争的にして、景気循環を増幅する労働と資本の特殊性を減らすことだ。特にCaballeroも指摘するように、日本のゾンビ企業を生み出したのは、不透明な会計基準、機能しない資本市場、そして過剰に規制された労働市場である。

この観点からみると、今度の総選挙は不毛の選択といわざるをえない。麻生首相は「景気対策」と称して中小企業に金をばらまき、小沢一郎氏は「格差是正」と称して2ヶ月以下の派遣労働を禁止するという。このように企業の退出を阻害し、労働の固定性を高めることは、ますます景気を悪くするばかりでなく、日本経済の生産性も低下させる。漫画しか読まない麻生氏には期待できないが、小沢氏はハイエクぐらい読んだことがあるはずだから、もう一度、市場経済の原則を考えてみてほしい。