麻生太郎氏の政見には語るに足るものはないが、唯一おもしろいと思ったのが「安倍晋三氏には岸信介以来の保守の理念に殉じる気概があったが、私の政治哲学は吉田茂以来のプラグマティズムだ」という話だ。
戦後の占領期に7年以上も政権にあった吉田は、日本の戦後体制をつくったといってもよい。安倍氏の否定する「戦後レジーム」というのは「吉田レジーム」である。しかし、そこに一貫した信念があったわけではない。吉田は「平家・海軍・外務省」といわれる傍流の外交官であり、敗戦で本流の陸軍や内務省が解体されたために「消去法」で首相になったにすぎない。彼はリベラルでも平和主義者でもなく、晩年には「憲法第9条は間近な政治的効果に重きを置いたものだった」と語っている。平和憲法は「侵略国」とか「軍国主義」というイメージをぬぐい去るための機会主義的なレトリックであり、いずれ日本が豊かになれば改正が必要だと考えていたのである。
講和条約や安保条約で対米依存路線を敷いたのも吉田だが、これも貧しい日本が米軍に「ただ乗り」し、復興に資源を集中しようという機会主義だった。憲法をつくったGHQ民政局のケーディス次長などの社会主義者は、第2次大戦を「最後の戦争」と考え、20世紀後半には軍備は不要になると考えていたが、その見通しは講和条約が結ばれる前に、朝鮮戦争で崩れてしまった。ダレス国務長官は、講和にあたって憲法を改正して再軍備することを要求したが、吉田は「平和国家」をとなえて軽武装路線を貫いた。
本流の国家社会主義は、戦後しばらく雌伏を強いられたが、岸はCIAの金を使って1957年に首相として復権した。それ以降、福田・中曽根系の「右派」と田中・大平系の「左派」が、疑似政権交代を続けてきた。この対立軸は欧米とは違うもので、右派が「戦後の総決算」とか「戦後レジームの清算」などのconstructivismを打ち出すのが特徴だ。これはバーク的な保守主義とは違い、北一輝以来の「革新官僚」の流れである。これに対して、左派が既成事実としての憲法を守る立場に立ち、こちらが伝統的な保守主義に近い。
権力の中枢を握っていたのは、戦前から続く官僚社会主義に根ざした右派だったが、憲法という呪文を解くことは、予想以上にむずかしかった。このため戦後の日本では、保守すべき伝統が憲法と対米依存というリベラリズムになる「ねじれ」が生じた。これに対してナショナリズムを掲げる右派の主張は、「憲法は押しつけで、戦前の日本こそ保守すべき伝統だ」という無理のあるもので、平和主義の建て前をアカデミズムやジャーナリズムが真に受けたため、右派は言論の世界ではつねに少数派だった。
今回の麻生/小沢の対決は、このように自民党内で繰り返されてきた対立が、自民/民主という政権選択として出てきたものだ。ここで保守本流を継承するのが、野党の小沢氏だというのが皮肉なところである。麻生氏の機会主義が何も変えられないことはいうまでもないが、小沢氏の計画主義も、霞ヶ関の協力なしでは何もできないだろう。両方とも、日本的パターナリズムの変種にすぎないからだ。
戦後の占領期に7年以上も政権にあった吉田は、日本の戦後体制をつくったといってもよい。安倍氏の否定する「戦後レジーム」というのは「吉田レジーム」である。しかし、そこに一貫した信念があったわけではない。吉田は「平家・海軍・外務省」といわれる傍流の外交官であり、敗戦で本流の陸軍や内務省が解体されたために「消去法」で首相になったにすぎない。彼はリベラルでも平和主義者でもなく、晩年には「憲法第9条は間近な政治的効果に重きを置いたものだった」と語っている。平和憲法は「侵略国」とか「軍国主義」というイメージをぬぐい去るための機会主義的なレトリックであり、いずれ日本が豊かになれば改正が必要だと考えていたのである。
講和条約や安保条約で対米依存路線を敷いたのも吉田だが、これも貧しい日本が米軍に「ただ乗り」し、復興に資源を集中しようという機会主義だった。憲法をつくったGHQ民政局のケーディス次長などの社会主義者は、第2次大戦を「最後の戦争」と考え、20世紀後半には軍備は不要になると考えていたが、その見通しは講和条約が結ばれる前に、朝鮮戦争で崩れてしまった。ダレス国務長官は、講和にあたって憲法を改正して再軍備することを要求したが、吉田は「平和国家」をとなえて軽武装路線を貫いた。
本流の国家社会主義は、戦後しばらく雌伏を強いられたが、岸はCIAの金を使って1957年に首相として復権した。それ以降、福田・中曽根系の「右派」と田中・大平系の「左派」が、疑似政権交代を続けてきた。この対立軸は欧米とは違うもので、右派が「戦後の総決算」とか「戦後レジームの清算」などのconstructivismを打ち出すのが特徴だ。これはバーク的な保守主義とは違い、北一輝以来の「革新官僚」の流れである。これに対して、左派が既成事実としての憲法を守る立場に立ち、こちらが伝統的な保守主義に近い。
権力の中枢を握っていたのは、戦前から続く官僚社会主義に根ざした右派だったが、憲法という呪文を解くことは、予想以上にむずかしかった。このため戦後の日本では、保守すべき伝統が憲法と対米依存というリベラリズムになる「ねじれ」が生じた。これに対してナショナリズムを掲げる右派の主張は、「憲法は押しつけで、戦前の日本こそ保守すべき伝統だ」という無理のあるもので、平和主義の建て前をアカデミズムやジャーナリズムが真に受けたため、右派は言論の世界ではつねに少数派だった。
今回の麻生/小沢の対決は、このように自民党内で繰り返されてきた対立が、自民/民主という政権選択として出てきたものだ。ここで保守本流を継承するのが、野党の小沢氏だというのが皮肉なところである。麻生氏の機会主義が何も変えられないことはいうまでもないが、小沢氏の計画主義も、霞ヶ関の協力なしでは何もできないだろう。両方とも、日本的パターナリズムの変種にすぎないからだ。