私のブログやコラムで、「匿名」という文字が出てくると、いつもイナゴが大騒ぎする。他人を「闇討ち」できる既得権が、何より大事なのだろう。私は「日本人は個が確立していない」という類の近代化論的ステレオタイプは好きではないが、彼らの言動をみていると、そういう類型的な「古い日本人」のDNAが若い世代にも受け継がれていることにうんざりする。こういう状況は、ウェブだけではない。会社でも、飲み屋ではグダグダ上司の悪口をいうくせに、会議では黙っている「内弁慶」は多い。
このように人々を支配する空気を、阿部謹也は世間とよんだ。彼の『ヨーロッパを見る視角』によれば、「個人」の概念が生まれたのは近代資本主義の時代ではなく、11~2世紀だという。古代の欧州は、ほとんどの社会と同様、世間の空気に支配される共同体だった。古代ローマがイスラムによって破壊され、こうした古代的秩序が失われたあと、11世紀以降に欧州を統合したのがキリスト教だった。キリスト教会は、非人格的な「神の掟」にもとづく共同体であり、近代法の源泉も教会法にあったといわれている(Berman)。
キリスト教では、すべての個人は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは彼個人の行動に依存する。つまり個人主義というのは、ギリシャの合理主義とキリスト教の普遍主義が混じってできた特殊ヨーロッパ的な思想なのだ。ただ、こういう非人格的ルールが遠隔地貿易で有利になり、欧州の経済的な(したがって軍事的な)優位の源泉となったことは、Greifなどの研究で示されたとおりだ。
だから「世間」の空気を読む日本人の行動様式は特殊なものではなく、むしろ欧米圏以外のあらゆる文明圏(イスラムは特殊だが)にみられるものであり、かなりの部分は遺伝的にインプットされていると思われる。世間を恐れて身分を隠すイナゴの行動は、「古い脳」による文字どおりの脊髄反射なのだ。
しかし、こういう匿名で群れる「部族社会」は、インターネットには適応できない。よくも悪くもE2Eの原則は、ネットワークをユーザーがコントロールする、キリスト教的な強い個人を前提にしているからである。日本人がウェブに立ち遅れている原因は、日本語の壁よりもっと深い部分にあるような気がする。
このように人々を支配する空気を、阿部謹也は世間とよんだ。彼の『ヨーロッパを見る視角』によれば、「個人」の概念が生まれたのは近代資本主義の時代ではなく、11~2世紀だという。古代の欧州は、ほとんどの社会と同様、世間の空気に支配される共同体だった。古代ローマがイスラムによって破壊され、こうした古代的秩序が失われたあと、11世紀以降に欧州を統合したのがキリスト教だった。キリスト教会は、非人格的な「神の掟」にもとづく共同体であり、近代法の源泉も教会法にあったといわれている(Berman)。
キリスト教では、すべての個人は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは彼個人の行動に依存する。つまり個人主義というのは、ギリシャの合理主義とキリスト教の普遍主義が混じってできた特殊ヨーロッパ的な思想なのだ。ただ、こういう非人格的ルールが遠隔地貿易で有利になり、欧州の経済的な(したがって軍事的な)優位の源泉となったことは、Greifなどの研究で示されたとおりだ。
だから「世間」の空気を読む日本人の行動様式は特殊なものではなく、むしろ欧米圏以外のあらゆる文明圏(イスラムは特殊だが)にみられるものであり、かなりの部分は遺伝的にインプットされていると思われる。世間を恐れて身分を隠すイナゴの行動は、「古い脳」による文字どおりの脊髄反射なのだ。
しかし、こういう匿名で群れる「部族社会」は、インターネットには適応できない。よくも悪くもE2Eの原則は、ネットワークをユーザーがコントロールする、キリスト教的な強い個人を前提にしているからである。日本人がウェブに立ち遅れている原因は、日本語の壁よりもっと深い部分にあるような気がする。