現職の日銀総裁が、その手の内を明かすことはまずないが、本書は期せずしてそういう本になった。ファイナンス業界のみならず、経済学業界にも必読書だろう。分量は多いが、内容はそう高度ではない。むしろ日銀の実務や、金融政策の目標・効果などを網羅した教科書だ。私は金融政策プロパーにはあまり興味がないので、第?部「近年の金融政策運営をめぐる論点」だけを拾い読みしてみた。

全体としては、日銀の「本流」的な考え方に近い。基本的に金融政策というのは受動的なもので、リアルな経済の変動を緩和することはできるが、バブルを防ぐこともできないし、その崩壊を止めることも期待しないでほしいという立場だ。特におもしろいのは、経済学者の批判するバブル崩壊後の金融政策がテイラー・ルールにほぼ沿っていたという反論だ。

1989年に日銀が行なった利上げを、日経新聞が「自分勝手な利上げ競争は回避せよ」などと3度にわたって批判した社説をBOXとして載せるなど、皮肉もきかせている。同じ日経が、バブル崩壊後は「平成の鬼平」のバブルつぶしを応援して、メディアがpro-cyclicalな役割を果たしたことは、そう些細な問題ではない。

最大の論点はデフレ対策、特に量的緩和の効果とインフレ目標の是非だろう。この点でも、著者の見解は日銀の主流だ:デフレといっても大恐慌のときのような10%を超えるものではなく、1%以内のマイルドなもので、「デフレ・スパイラル」も起きなかった。デフレは一部の経済学者が主張したような不況の原因ではなく、結果である。

量的緩和については「時間軸効果」を通じて一定の効果はあったとみているが、インフレ目標については「インフレ予想を高める効果を有したものではない」。中央銀行がインフレを起す手段をもたないのに、その「言葉」だけで人々がインフレを期待するという呪術のような議論にもとづいて中央銀行が行動するわけには行かない。

インフレ期待というのは、最近の言葉でいえば、行動経済学的な検証の対象だ。世論調査によると、国民は「量的緩和」という政策の存在すらほとんど知らなかった。期待という心理的な問題を、実験も調査もしないで、都合よく「合理的に」仮定する理論は、20世紀で終わりだ。

著者も指摘するように、中央銀行の目標は物価上昇率だけではなく、資産価格や金融システムの健全性など広範囲にわたるので、物価上昇率だけを基準にしてあらゆる資産を無限に買うといった無責任な行動は取れない。事実、それを提案したバーナンキ自身が、今に至るもインフレ目標を設定していない。

むしろ90年代の教訓としてもっとも重大なのは、銀行監督行政の失敗だろう。著者も「バブルの発生の危険に対して公的当局が対応するとすれば、その手段は金融政策ではなく、銀行監督政策である」とし、「中央銀行と銀行監督当局は密接に協力する必要がある」と書いている。量的緩和の効果も、不良債権処理にともなうシステム危機の緩和という意味が大きかった。

しかし肝心の大蔵省が、銀行の過少引き当て(粉飾決算)を指導して問題を隠蔽していたのだから、話にならない。90年代の悲劇を繰り返さないために必要なのは、財政と金融の分離とともに金融政策と監督政策(日銀と金融庁)の統合だと私は思う。

また著者は典型的なshy mathematicianなので、政治家との交渉などの生臭い仕事には不安が残る。その意味でも、空席になっている副総裁に銀行行政の経験者が入ることは(財務省出身でも)必ずしも悪くない。

追記:白川氏の後任の京大の仕事は、私の大学の同級生、早川英男氏(日銀名古屋支店長)が非常勤で勤めることになった。学者のほうが向いてると思うよ。

追記2:さっき知ったが、白川総裁は私のゼミ(浜田ゼミ)の5年先輩だ。世の中は狭い・・・