Googleがテストを開始したWikipediaに似たサイト、knolが話題を呼んでいる。以前から書いているように、私は現在のWikipediaは「無法者の楽園」に堕していると思うので、競争が起こるのは歓迎だ。特に注目されるのは、このプロジェクトの責任者であるUdi Manber(技術担当副社長)が、knolのコンテンツが署名入りで書かれる点を強調していることだ:
ウェブの成長期には、匿名性が参加者の心理的な障壁を下げ、規模の拡大に貢献したことは確かだが、今ウェブに必要なのはこれ以上の規模の拡大ではなく、信頼性を上げることだ。Wikipediaから2ちゃんねるに至る匿名サイトが発信する膨大なノイズがウェブ上の言論の質を下げ、「ウェブは怖い」という印象を与えるようになった。その大きな要因は、匿名による誹謗中傷だ。
最近、注目されているFacebookもLinkedInも、実名が原則だ。ブログの成長が減速し、SNSや携帯に移行しているのも、同じ理由だろう。現実には、本当に匿名でないと発言できない重要な情報(内部告発)はほとんどないし、そういう情報はそもそもウェブには出てこない(最近の食品偽造事件のきっかけはほとんど電話による内部通報だ)。匿名で利益を得るのは、質を問わないでアクセスを稼ぎたいサービス提供者だけであり、そのコストは中傷される被害者が負う。
しかし実は、こういう質の低い言説のコストは、サービス提供者も負っているのだ。先日の情報ネットワーク法学会でも指摘されたように、記事の質を保証できないブログには、コンプライアンスにうるさい大企業は広告を出稿しないため、利益が出ない。「バカ」とか「死ね」といった言葉の横に、それに関連する企業として広告が表示されることは、むしろ企業イメージにはマイナスだ。だからmixiは収益を上げているのに、はてなはIPOさえできない。
きのう有罪判決の出た池内ひろ美事件のように、ネット上の脅迫も刑事訴追されるようになり、「犯罪を暗示する表現」を禁じるサイトも増えた。2ちゃんねるのようにアダルトサイトの広告でもうけると割り切らないかぎり、記事の品質管理をしない匿名サイトは市場で淘汰されるだろう。
このプロジェクトの鍵となるアイディアは、著者を明記することである。本でもニュースでも学術論文でも、著者がだれであるかは明記されているが、なぜかウェブは著者を明記する強力な標準なしで進化してきた。誰が書いたかを知ることは、読者が内容を判断する上で重要な助けになるとわれわれは信じる。匿名は、インターネットの原則ではない。初期には、E2Eの原則によってIPアドレスとユーザーは1対1に対応していたし、ネットニュースの投稿も署名入りが基本だった。しかしウェブになるのと同時に、ハンドルネームを使うAOLなどのBBSが大量にインターネットに合流し、ISPのNATでE2Eの対応が崩れたため、匿名が当たり前になってしまったのである。
ウェブの成長期には、匿名性が参加者の心理的な障壁を下げ、規模の拡大に貢献したことは確かだが、今ウェブに必要なのはこれ以上の規模の拡大ではなく、信頼性を上げることだ。Wikipediaから2ちゃんねるに至る匿名サイトが発信する膨大なノイズがウェブ上の言論の質を下げ、「ウェブは怖い」という印象を与えるようになった。その大きな要因は、匿名による誹謗中傷だ。
最近、注目されているFacebookもLinkedInも、実名が原則だ。ブログの成長が減速し、SNSや携帯に移行しているのも、同じ理由だろう。現実には、本当に匿名でないと発言できない重要な情報(内部告発)はほとんどないし、そういう情報はそもそもウェブには出てこない(最近の食品偽造事件のきっかけはほとんど電話による内部通報だ)。匿名で利益を得るのは、質を問わないでアクセスを稼ぎたいサービス提供者だけであり、そのコストは中傷される被害者が負う。
しかし実は、こういう質の低い言説のコストは、サービス提供者も負っているのだ。先日の情報ネットワーク法学会でも指摘されたように、記事の質を保証できないブログには、コンプライアンスにうるさい大企業は広告を出稿しないため、利益が出ない。「バカ」とか「死ね」といった言葉の横に、それに関連する企業として広告が表示されることは、むしろ企業イメージにはマイナスだ。だからmixiは収益を上げているのに、はてなはIPOさえできない。
きのう有罪判決の出た池内ひろ美事件のように、ネット上の脅迫も刑事訴追されるようになり、「犯罪を暗示する表現」を禁じるサイトも増えた。2ちゃんねるのようにアダルトサイトの広告でもうけると割り切らないかぎり、記事の品質管理をしない匿名サイトは市場で淘汰されるだろう。