教科書を書評するのは初めてだが、本書はそれぐらいの価値がある。これが著者のような大御所の初めての著作権の教科書というのは意外だが、今後のスタンダードになるだろう。しかし大御所の教科書にありがちな前例踏襲型ではなく、時代の急速な変化に著作権法が追いついていないことを認識し、それをどう是正するかという未来志向型で書かれている。たとえば序章で、著者はこう問いかける:
デジタル化の波は著作権法制に極めて大きな影響を与えていると考えられる。著作権法を所有権法制の枠内で捉え、その微修正でその場しのぎをしている現状は大きく変更されなければならないのかもしれない。万人が著作物の複製・改変をし、発信をする時代において、著作権法システムが従来のように所有権のドグマに捕らわれていたのでは、情報の利用にとってマイナスとはならないのか。(p.9、強調は引用者。以下も同じ)
この「所有権のドグマ」についての著者の問題意識は一貫しており、第3章では著作権が物権的な構成になっているのは、たまたまそれを借用しただけだとしている。
現行著作権法は物権法から多くの概念を借用しており、物権的構成を採用してはいるが、それはあくまでも便宜上のものであるということを忘れてはならない。立法論的には物権的構成が唯一のものではなく、対価請求権的な構成も可能である(p.205)
対価請求権とは、当ブログでも何度か提案した包括ライセンスのようなしくみである。また「著作権は他人の行為を禁止するものであるため、他人の表現の自由を妨げる」(p.342)という緊張関係をふまえ、問題の保護期間については、
独占は創作へのインセンティヴを与えるのに必要にして十分な期間を認めるべきであり、それ以上の期間は却って社会厚生へのマイナス要因となる。[・・・]死後50年以上も経済的価値を維持している著作物はごく少数であり、かつ死後50年も経済的価値を維持している著作物は、既に十分な利益を得ているごく一部の著作物(例えばミッキーマウスの絵)と考えられ、それらに更に利益を与える必要はないであろう。(p.343)
と明快に言い切っている。おととい発足したMIAU(私も賛同者のひとり)が文化庁と闘うときも、強い味方になるだろう。文化庁も「国際協調」という名の横並びばかり気にするのではなく、所有権のドグマを超えて、日本からデジタル時代にふさわしい新しい著作権制度を世界に提案するぐらいの志があってもいいのではないか。