今年は、南京事件70周年。この事件と慰安婦は、よく並べて語られるが、これは誤解のもとである。慰安婦問題なるものは、慰安婦を女子挺身隊と混同した韓国人と、そのキャンペーンに乗った朝日新聞の作り出したデマゴギーにすぎないが、1937年の南京陥落の際に大規模な軍民の殺害が行なわれたことは歴史的事実である。

ところが1972年に本多勝一『中国の旅』が、中国側の主張する「犠牲者30万人」説をそのまま報じ、これに対して翌年、鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』というミスリーディングな題名の本が出たおかげで、混乱した「論争」が始まった。鈴木氏は本多氏のいう「百人斬り」がありえないことを批判しただけで、虐殺が「まぼろし」だったと主張したわけではないが、本多氏側はこれを「まぼろし派」と名づけ、大々的な反論を繰り広げた。

だから南京事件をめぐる争点は、よく誤解されるように、「虐殺があったかなかったか」ではなく、「その規模がどの程度のものだったか」にすぎない。これは今となっては厳密に立証することは不可能だが、「30万人」という数字に客観的根拠がないことは「大虐殺派」も認めている。笠原十九司『南京事件』の「十数万以上、それも二〇万近いかあるいはそれ以上」という意味不明の推定が、日本の歴史学者の出している最大の数字だ。

これに対して30万人説を否定する人々も、何もなかったと主張しているわけではない。犠牲者数の推定はさまざまだが、著者の推定は「最大限で4万人」である。これは人数としては虐殺と呼ぶに十分だが、一つの戦闘で4万人の死者が出ることを虐殺と呼ぶべきなのか、またそれが意図的な(民間人の)虐殺か軍規の乱れによる不可抗力だったのか、といった点については決着がついていない。したがって加瀬英明氏や櫻井よしこ氏のように「南京大虐殺はなかった」などと断定するのは、誤解のもとである。

ただ、この問題については中国側が反日運動を煽る方針を転換したため、最近はそれほど大きな騒動にはなっていない。彼らに迎合する国内の「大虐殺派」が(社会主義の衰退によって)鳴りをひそめたのも、結構なことだ。日本がアジア諸国と真に和解するために必要なのは、彼らの被害妄想的な宣伝を鵜呑みにしてひたすら「日帝の犯罪」を懺悔することではなく、客観的事実を学問的に検証することである。本書は「中間派」による最新情報を織り込んだ増補版で、公平なサーベイとして便利だ。