年金騒動の陰に隠れて、公務員制度改革はすっかり忘れられた感があるが、本来は年金の名寄せなんて事務手続きの問題で、選挙で争うような政策ではない。公務員法のほうも「新人材バンク」ばかり話題になっているが、本質的な問題は公務員の昇進や転職のルールである。
これは公務員だけの問題ではない。民間でも、役員が子会社に「天下り」するのは当たり前だ。さらに厄介なのは、天下りもできない窓際族だ。NHKの私の同期は、だいたい地方局の副局長ぐらいだが、仕事はといえば、地元のライオンズクラブの会合に出るとか「ふれあいイベント」であいさつするぐらいで、年収1500万円ぐらいもらっているだろう。仕事が楽で生活が安定しているという点では極楽だが、「まぁ廃人みたいな生活だよ」と同期の一人が言っていた。こういう老人の飼い殺しが、日本の労働生産性を下げているのだ。
日本ではホワイトカラーが専門職として生きられないため、一定の年齢になったら一律に管理職になる。NHKの例でいえば、大卒社員は一斉に40前後で管理職になって取材現場から離れ、サラリーマン人生の半分以上を(非生産的な)管理職として過ごす。一般職より管理職のほうが多い職場も珍しくない。他方、欧米ではラインとスタッフがわかれており、定年まで記者やプロデューサーとして過ごす人も多い。たとえばアメリカの代表的なドキュメンタリー"60 Minutes"のプロデューサーDon Hewittは、35年間そのプロデューサーをつとめた。
今度の公務員法改正のように、50過ぎた官僚を「人材バンク」で斡旋しようというのは机上プランだ。そんな人的資本の償却が終わった老人をこれまで民間が引き受けてくれたのは、彼を通じて官製談合などの利益誘導ができたからであって、そういうレントがなくなれば、老人の転職市場は、ごく少数のexecutive marketに限られる。そういう「プロの経営者」としての見識や経験をもっている人は、霞ヶ関にはいない。
だから天下りを規制するとか人材バンクを作るとかいう問題ばかり議論するのではなく、公務員のキャリアパス全体を再設計し、専門職を育ててemployabilityを高め、40前に売れるようにしないと公務員の活性化や流動化は機能しないだろう。そうすると「逆淘汰」で行き場のない役人ばかり残る、という批判もあるが、前にも書いたように、私は日本のキャリア官僚の歴史的使命は終わったので、官僚はclerkだけでいいと思っている。これについては、記事をあらためて。
これは公務員だけの問題ではない。民間でも、役員が子会社に「天下り」するのは当たり前だ。さらに厄介なのは、天下りもできない窓際族だ。NHKの私の同期は、だいたい地方局の副局長ぐらいだが、仕事はといえば、地元のライオンズクラブの会合に出るとか「ふれあいイベント」であいさつするぐらいで、年収1500万円ぐらいもらっているだろう。仕事が楽で生活が安定しているという点では極楽だが、「まぁ廃人みたいな生活だよ」と同期の一人が言っていた。こういう老人の飼い殺しが、日本の労働生産性を下げているのだ。
日本ではホワイトカラーが専門職として生きられないため、一定の年齢になったら一律に管理職になる。NHKの例でいえば、大卒社員は一斉に40前後で管理職になって取材現場から離れ、サラリーマン人生の半分以上を(非生産的な)管理職として過ごす。一般職より管理職のほうが多い職場も珍しくない。他方、欧米ではラインとスタッフがわかれており、定年まで記者やプロデューサーとして過ごす人も多い。たとえばアメリカの代表的なドキュメンタリー"60 Minutes"のプロデューサーDon Hewittは、35年間そのプロデューサーをつとめた。
今度の公務員法改正のように、50過ぎた官僚を「人材バンク」で斡旋しようというのは机上プランだ。そんな人的資本の償却が終わった老人をこれまで民間が引き受けてくれたのは、彼を通じて官製談合などの利益誘導ができたからであって、そういうレントがなくなれば、老人の転職市場は、ごく少数のexecutive marketに限られる。そういう「プロの経営者」としての見識や経験をもっている人は、霞ヶ関にはいない。
だから天下りを規制するとか人材バンクを作るとかいう問題ばかり議論するのではなく、公務員のキャリアパス全体を再設計し、専門職を育ててemployabilityを高め、40前に売れるようにしないと公務員の活性化や流動化は機能しないだろう。そうすると「逆淘汰」で行き場のない役人ばかり残る、という批判もあるが、前にも書いたように、私は日本のキャリア官僚の歴史的使命は終わったので、官僚はclerkだけでいいと思っている。これについては、記事をあらためて。