大澤真幸氏のような観念論でナショナリズムを語っても意味がないのは、その実態が個々のケースでまったく違うからだ。その一例が、韓国の反日運動だ。植民地が独立したとき、ナショナリズムが高まることはよくあるが、英連邦をみてもわかるように、普通は旧宗主国と友好的な関係が維持されるもので、60年以上たっても反日運動が続いている韓国は異常である。
ソウル市の南にある「独立記念館」は、韓国の小学生が必ず遠足で訪れる施設だが、日本人が見たら気分が悪くなるような展示が並んでいる。日韓併合のコーナーには、抗日戦争で日本兵が韓国兵を大量に虐殺する巨大な立体展示があり、歴史を追って日本人が韓国人を拷問したり虐待したりする蝋人形が延々と並ぶ。このように日本人に収奪された「日帝36年」のために韓国の発展は遅れてしまった、というわけだ。

実際には、むしろ20世紀初頭の韓国では「日韓合邦」を主張する民間団体「一進会」が100万人もの会員を集め、皇帝や首相に合邦を求める請願書を出した。李氏朝鮮が破綻し、多くの餓死者が出ている状況を改革するには、一足先に明治維新を実現した日本の援助が必要だったからである。韓国政府でも、自力で近代化を行なうのは無理だと考える人々が主流だった。だから韓国併合条約は、両国の合意のもとに署名・捺印された正式の外交文書である。

もちろん、この背景には日本の圧倒的な軍事的優位があり、この「併合」が実質的には植民地支配だったことは事実である。しかし、もしも日本が撤退していたら李氏朝鮮は崩壊し、おそらく朝鮮半島はロシアに支配されていただろう。アジアにおける帝国主義戦争の焦点となっていた韓国が、わずか数千人の軍事力で独立を維持することは不可能だった。

また「日帝36年」の実態は、それほど過酷なものだったのだろうか。日韓併合された1910年には1300万人だった朝鮮の人口は、占領末期の1942年には2550万人に倍増し、この間に工業生産は6倍以上になった。ハーバード大学コリア研究所長エッカートの『日本帝国の申し子』は、「植民地時代の朝鮮の資本蓄積の90%は内地の資本によるものであり、戦後の韓国の驚異的な経済成長にも日帝時代の資本蓄積が大きな役割を果たした」と結論している。

日本が朝鮮や満州で行なった植民地支配は、一次産品を搾取した英仏などと異なり、インフラ投資を行って産業を育成するものだった。そのリターンを得る前に戦争に負けてしまったため、むしろ日本は「持ち出し」になったのである。ところが、閣僚が「日本は植民地時代にいいこともした」などと発言すると韓国政府が抗議し、野党や朝日新聞などがその尻馬に乗って更迭に追い込む、といった茶番劇が繰り返されてきた。

しかし韓国でも、ソウル大学の李栄薫教授が「暴力的民族主義が歴史論争を封殺している」などと発言するようになった。自国の問題を日本に責任転嫁して、公定ナショナリズムで「ガス抜き」しようとする点では、金正日も盧武鉉も同じようなものだ。もうそろそろ歴史を政治的に利用するのはやめ、客観的な歴史的事実を日韓共同で学問的に検証したほうがいいのではないか。