立花隆氏が、故・宮沢元首相にインタビューしたときの印象について興味深い記事を書いている。
ところが日本では、宇沢弘文氏や浜田宏一氏などのケインズ派が主流で、シカゴ派は皆無だった。宇沢氏は「合理的期待をやっている奴は水際で止める」と公言し、浜田氏(私のゼミの先生)は「上野の駅前には失業者がたくさんいる。フリードマンにはそういう人々への同情がない」と嘆いていた。そういうパターナリズムが「良心的知識人」の証しだったのだ。
彼らの論敵はシカゴ派ではなく、大蔵省の均衡財政主義だった。日本の戦後の財政は、好況のときは財政を緩和し、不況になると緊縮財政をとるpro-cyclical政策だった。それに対してケインズ派が「内国債は将来世代の負担にならない」と説得していた。つまりアメリカでは1930年代に終わった論争を、日本ではその50年後にやっていたわけだ。
そうこうしているうちに「円高不況」がやってきた。これに対して大蔵省は、またも緊縮財政でのぞみ、ケインズ派は金融緩和を主張した。その結果が資産バブルだった。そしてバブル崩壊後の1991年に首相に就任したのが、日本国民にとって不運なことに、ケインズ派の宮沢氏だったのである。
彼の持論は「資産倍増論」で、日本は社会資本が不足しているので、インフラ投資で景気も回復させようというものだった。先進国でケインズ政策が否定された中で、日本だけがジャブジャブの財政出動を行なったのだ。この政策は、彼が小渕内閣で蔵相に起用されたときまで続き、先進国で最悪の財政赤字をつくっただけで、不況脱出には何の役にも立たなかった。
立花氏によれば、宮沢氏は最後まで、自分がどこで間違ったのかわからなかったようだ。彼は、賢明なエリートが国民を導かなければならないというHarvey Roadの前提を信じていた。たしかに宮沢氏は聡明だったのだろう。しかし市場経済は、彼よりもはるかに賢明に問題を自律的に解決できるようになったのだ。彼は聡明であるがゆえに、最後までそれに気づかなかった。
[立花氏が]「ひと昔前なら経済財政政策は、ケインズ理論にのっとってやっていれば、まちがいなかった。だけど、いまはもうそういう時代じゃないでしょう。いまはどういうプリンシプルにもとづいて経済を運営しているんですか」これは1980年、前年にサッチャー英首相が就任し、翌年にはレーガン米大統領が誕生し、反ケインズ政策が流行していたときの話だ。経済学の世界でも、フリードマンの「自然失業率」理論がケインズ的な財政政策の無効性を証明し、ルーカスの「合理的期待」理論によって「ケインズ派vsシカゴ派」の論争はほぼ終わっていた。
と聞いた。すると、この質問を聞くまでは、丁寧にいろんな質問に答えていた宮沢が、突然表情を変えて、キッとなった。
「いえ、ケインズ政策の時代が終わったなんてことはありません。いまでもぼくはケインズ理論が基本的にいちばん正しいと思っています。ケインズに代わる理論はありません」
ところが日本では、宇沢弘文氏や浜田宏一氏などのケインズ派が主流で、シカゴ派は皆無だった。宇沢氏は「合理的期待をやっている奴は水際で止める」と公言し、浜田氏(私のゼミの先生)は「上野の駅前には失業者がたくさんいる。フリードマンにはそういう人々への同情がない」と嘆いていた。そういうパターナリズムが「良心的知識人」の証しだったのだ。
彼らの論敵はシカゴ派ではなく、大蔵省の均衡財政主義だった。日本の戦後の財政は、好況のときは財政を緩和し、不況になると緊縮財政をとるpro-cyclical政策だった。それに対してケインズ派が「内国債は将来世代の負担にならない」と説得していた。つまりアメリカでは1930年代に終わった論争を、日本ではその50年後にやっていたわけだ。
そうこうしているうちに「円高不況」がやってきた。これに対して大蔵省は、またも緊縮財政でのぞみ、ケインズ派は金融緩和を主張した。その結果が資産バブルだった。そしてバブル崩壊後の1991年に首相に就任したのが、日本国民にとって不運なことに、ケインズ派の宮沢氏だったのである。
彼の持論は「資産倍増論」で、日本は社会資本が不足しているので、インフラ投資で景気も回復させようというものだった。先進国でケインズ政策が否定された中で、日本だけがジャブジャブの財政出動を行なったのだ。この政策は、彼が小渕内閣で蔵相に起用されたときまで続き、先進国で最悪の財政赤字をつくっただけで、不況脱出には何の役にも立たなかった。
立花氏によれば、宮沢氏は最後まで、自分がどこで間違ったのかわからなかったようだ。彼は、賢明なエリートが国民を導かなければならないというHarvey Roadの前提を信じていた。たしかに宮沢氏は聡明だったのだろう。しかし市場経済は、彼よりもはるかに賢明に問題を自律的に解決できるようになったのだ。彼は聡明であるがゆえに、最後までそれに気づかなかった。


