きのうの記事について誤解があるようなので、少し補足。

私が「古い脳」と書いたのは、大脳生理学で辺縁系と呼ばれている部分である。これは進化の早い段階でできたもので、哺乳類全体でほぼ同じような構造だとされている。これに対して「新しい脳」である新皮質は、特に人類で発達している。前者が感情や意欲などを、後者が論理や言語などをつかさどると考えられている。ただ実際には、こうした部位によって脳の機能が完全にわかれているわけではないらしいので、比喩的に古い脳と新しい脳と表現した。

21日の記事で紹介したCaplanや、リンクを張ったRubinなどは、こうした違いを「非合理的な大衆」と「合理的な経済学者」の差とみなし、前者のバイアスが進化の過程で遺伝子に埋め込まれた「部族社会」の感情によるものだとしている。ここでは経済学者の意見が正解で、愚昧な大衆をいかに善導して経済学者に近づけるかが問題となる。

しかし、このように問題を立てている限り、経済学者の意見は社会の多数派にはならないだろう。日本で経済学者が「机上の空論」としてバカにされるのは、こうしたバイアスを考慮に入れないで非現実的な「あるべき姿」を論じているからだ。それでも官僚には経済学者に近い考え方をする人が増えてきたが、政治家はバイアスの塊のような選挙民を相手にしているので、経済学的な合理主義をまったく相手にしない。

そして、こういうバイアスを増幅するのがメディアだ。社会の中で大学を新皮質とすれば、メディアは辺縁系だが、社会を動かすのは後者である。かつては軍や官僚が社会を動かしたが、いま社会を動かすのは、(インターネットを含めた)広義のメディアなのだ。したがって、こうしたバイアスを考慮に入れない政策は、たとえ合理的であっても採用されない。

西欧近代文明の目標は、もっぱら新しい脳の機能を拡大することだったといえよう。その最高の成果が、コンピュータである。これは新皮質の推論機能だけを増幅したもので、一時はそれによって人間の知能はすべて再現できると考えられた。昔、マーヴィン・ミンスキーにインタビューしたとき、「人工知能で感情はつくれるのですか?」と聞いたら、彼が「感情は複雑な論理にすぎない」と答えたことを覚えている。

しかし人工知能は失敗した。同じように、新古典派経済学も失敗した。それは論理でとらえられない古い脳の部分を除外してきたからだ。こうした限界を、ハイエクは60年前に指摘した。彼は、人々を動かすのはデカルト的な理性ではなく感情だとし、その「感覚秩序」のモデルとして神経を考えていた。市場は、新古典派のような「均衡」をもたらすものではなく、人々がローカルな感情で動いた結果を社会全体に伝えてコーディネートするニューラルネットのようなものなのである。

その後コンピュータ・サイエンティストは、ハイエクより40年おくれてニューラルネットをモデルにし始めた。そして経済学も、今ようやくニューロエコノミックスという形で脳科学の手法を取り入れ始めている。それはまだ意味ある成果を生んだとはいいがたいが、反証可能であるだけ「限界効用」や「顕示選好」のようなトートロジーよりましだ。