ご存じの著者による、政治家と官僚の関係の現状についての報告。彼は元政治学者だから、専門的な分析を期待したのだが、中身はよくも悪くも一般向けで、あまり深い議論はない。ただ少し考えさせられたのは、「最大の敵は『みのもんた』」という話だ。この「みのもんた」というのは、メディアのポピュリズムの比喩で、派閥が崩壊してしまった自民党では、「民意」が最大派閥になっているという。

著者が「みのもんた」の例としてあげるのが、貸金業法の改正だ。当ブログでも論じたように、上限金利を下げたら貸金業界が崩壊して消費者がかえって困ることはわかっていたのに、みのもんたは(規制強化を主導した)後藤田正純氏をゲストにまねいて、彼を正義の味方とたたえた。

当ブログで紹介してきた進化心理学の言葉を借りると、みのもんたが代表しているのは、感情をつかさどる「古い脳」である。同情は、人類の歴史の99%以上を占める小集団による狩猟社会においては、集団を維持する上できわめて重要なメカニズムだ。感情は小集団に適応しているので、「高金利をとられる人はかわいそうだ」といった少数の個人に対する同情は強いが、規制強化で市場から弾き出される数百万人の被害を感じることはできない。

これに対して「金利を無理に下げたら資金供給が減る」というのは、経済学ではきわめて初等的な理論だが、「新しい脳」に属す論理的推論を必要とし、多くの人にはそういう機能は発達していない。話し言葉がだれでも使えるようになるのに、書き言葉が教育を必要とするように、経済学の非直感的な理論は、人々の自然な感情にさからうのだ、とPaul Rubinは指摘している。

では規制緩和を唱えるメディアは、合理的に思考しているのだろうか。著者は、ふだん「官民癒着」を批判している某局の有名キャスターが、デジタル放送を税制で優遇してくれと陳情に来て驚いたと書いている。実は、彼らも自分たちの電波利権という身の回りの利益は感じても、国民経済の大きな利益は感じていないのだ。彼らの反政府的な言論も、強い者をたたいて古い脳に訴えるマーケティングにすぎないのである。