第二次大戦で、日本軍の暗号の大部分が米軍に解読されていたことをもって「日本軍は情報戦に完敗した」とするのが通例だが、日本軍の暗号解読能力については、あまり知られていない。
実際には、日本軍の情報部門の暗号解読能力も高く、米軍のもっとも高度な「ストリップ暗号」まで解読していた、と本書はいう。問題は、こうして収集された情報がほとんど戦略決定に生かされなかったことだ。
ここで重要なのは、インフォメーション(データ)とインテリジェンス(情報)の区別だ。前者は、敵がどこで何をしたという類の事実の集積で、それ自体には価値はない。軍事的に重要なのは、作戦上の要請に応じてインフォメーションを分析し、情勢を判断するインテリジェンスである。
インテリジェンスの地位は欧米では高く、エリートの職業とされているが、日本軍における情報部門の地位は低く、その収集した情報を分析するのは作戦部門だった。日本軍は、作戦部門がすべての意思決定を行い、他の部門はそれに従属する特異な構造になっていた。これは日清・日露のような局地的な戦闘で相手に一撃を与えて和平を結ぶという戦争に適応した組織で、第2次大戦のような総力戦では補給や後方支援の途絶によって、餓死者が戦死者を上回る結果になった。
情勢分析も作戦部門が行なったため、客観情勢を無視した独善的な戦略決定が行なわれた。その最大の悲劇が、1940年に締結された日独伊三国同盟だ。情報部門は「ドイツのイギリス上陸作戦は難航している」と報告していたが、松岡洋右外相はドイツがイギリスを占領し、ソ連が三国同盟に加わるという楽観的な見通しで同盟を結んだ。
翌年にも、独ソ戦が始まるという情報をベルリン駐在大使が東京に伝えたが、松岡も参謀本部もこれを無視した。客観情勢よりも組織内の駆け引きや既成事実が優先され、政治的に優勢な勢力が、その方針にあわせてデータを都合よく解釈する情報の政治化が起こるのである。
開戦の判断に際しても、陸海軍などの官僚による「総力戦研究所」が、図上演習で「補給能力は2年程度しかもたない」と東条陸相以下に示したにもかかわらず、東条は「日露戦争は、勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからない」として、これを無視した。
日本政府がインテリジェンスを軽視する傾向は、今も変わらない。特に戦後は、日米安保体制のもとで安全保障をほとんど全面的にアメリカに依存してきたため、自前の情報網さえほとんどなく、東京は「スパイ天国」といわれるありさまだ。
昨今の「慰安婦」問題でも、政府が情報を客観的に分析しないで「謝れば片づくだろう」という主観的な判断で政治決着をはかった結果、騒ぎがかえって大きくなってしまった。これもインテリジェンスを無視した「情報の政治化」の結果である。日本が政治的に自立し、戦略的な外交を行なうためにも、その基礎となるインテリジェンスの構築は緊急の課題である。
実際には、日本軍の情報部門の暗号解読能力も高く、米軍のもっとも高度な「ストリップ暗号」まで解読していた、と本書はいう。問題は、こうして収集された情報がほとんど戦略決定に生かされなかったことだ。
ここで重要なのは、インフォメーション(データ)とインテリジェンス(情報)の区別だ。前者は、敵がどこで何をしたという類の事実の集積で、それ自体には価値はない。軍事的に重要なのは、作戦上の要請に応じてインフォメーションを分析し、情勢を判断するインテリジェンスである。
インテリジェンスの地位は欧米では高く、エリートの職業とされているが、日本軍における情報部門の地位は低く、その収集した情報を分析するのは作戦部門だった。日本軍は、作戦部門がすべての意思決定を行い、他の部門はそれに従属する特異な構造になっていた。これは日清・日露のような局地的な戦闘で相手に一撃を与えて和平を結ぶという戦争に適応した組織で、第2次大戦のような総力戦では補給や後方支援の途絶によって、餓死者が戦死者を上回る結果になった。
情勢分析も作戦部門が行なったため、客観情勢を無視した独善的な戦略決定が行なわれた。その最大の悲劇が、1940年に締結された日独伊三国同盟だ。情報部門は「ドイツのイギリス上陸作戦は難航している」と報告していたが、松岡洋右外相はドイツがイギリスを占領し、ソ連が三国同盟に加わるという楽観的な見通しで同盟を結んだ。
翌年にも、独ソ戦が始まるという情報をベルリン駐在大使が東京に伝えたが、松岡も参謀本部もこれを無視した。客観情勢よりも組織内の駆け引きや既成事実が優先され、政治的に優勢な勢力が、その方針にあわせてデータを都合よく解釈する情報の政治化が起こるのである。
開戦の判断に際しても、陸海軍などの官僚による「総力戦研究所」が、図上演習で「補給能力は2年程度しかもたない」と東条陸相以下に示したにもかかわらず、東条は「日露戦争は、勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからない」として、これを無視した。
日本政府がインテリジェンスを軽視する傾向は、今も変わらない。特に戦後は、日米安保体制のもとで安全保障をほとんど全面的にアメリカに依存してきたため、自前の情報網さえほとんどなく、東京は「スパイ天国」といわれるありさまだ。
昨今の「慰安婦」問題でも、政府が情報を客観的に分析しないで「謝れば片づくだろう」という主観的な判断で政治決着をはかった結果、騒ぎがかえって大きくなってしまった。これもインテリジェンスを無視した「情報の政治化」の結果である。日本が政治的に自立し、戦略的な外交を行なうためにも、その基礎となるインテリジェンスの構築は緊急の課題である。
>外側の世界と無関係に身内の力関係だけで「自転する」組織にあるのではないか。
戦前批判を強いられ、戦後体制を肯定しなければ弾圧される戦後言論から逃れれば、100%、先生の仰るとおりであり、それが真実に近いのではないかと、深く納得します。
先生の指摘を踏まえれば、同じ危うさの中に21世紀の日本人も立っている。
2006年、そうした日本社会の弊害を取り去るために、Web2.0の諸条件である、オープン(透明性・新規加入可能)・フラットなどの理想が語られていた。
と思うのですが、それを無闇に実行すると、内と外の境界を曖昧にし、コミュニティーの求心力を弱めてしまう。
結果、Web2.0が絵に書いた餅になっている…。
そこで、私は、求心力を失わないコミュティー内のシステムとして、「多様なアルゴリズム(意思決定システム)が並存するコミュニティー」を提案しています。
ご興味がありましたら、私のブログをご高覧いただければ幸です。
http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/
自説開陳失礼いたしました。