Unto Others: The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior (English Edition)
遺伝子を共有する個体を守る行動を説明したのが「ドーキンスの利己的な遺伝子」だと思い込んでいる人が多いが、これはドーキンスの理論ではなく、ハミルトンの有名な論文(1964)によって確立された血縁淘汰の理論である。ドーキンス(1976)は、その理論を「利己的な遺伝子」という不正確なキャッチフレーズで普及させただけだ。

群淘汰(あるいは集団選択)は、利他的行動を説明するために生物が集団を単位として淘汰されるとしたWynne-Edwardsなどの理論で、1960年代にハミルトンによって葬り去られたと考えられていた。集団内では、利他的な個体は利己的な個体に食い物にされてしまうからだ。実証的にも、生物は集団に奉仕するのではなく、自分と同じ遺伝子をもつ親族を守っていることが明らかになった。

しかし1990年代になって、ハミルトンの理論で説明できない現象が報告されるようになった。中でも有名なのは、細菌の感染についての実験である。細菌が宿主に感染している場合、その繁殖力が大きい個体ほど多くの子孫を残すが、あまりにも繁殖力が強いと宿主を殺し、集団全体が滅亡してしまう。

したがって、ほどほどに繁殖して宿主に菌をばらまいてもらう利他的な個体が生き残る、というのが新しい群淘汰(多レベル淘汰)理論による予測だ。これに対して血縁淘汰理論が正しければ、繁殖力が最大の利己的な個体が勝つはずだ。

これは医学にとっても重要な問題なので、世界中で多くの実験が行なわれたが、結果は一致して群淘汰理論を支持した。繁殖力の強い細菌の感染した宿主は(菌もろとも)死んでしまい、生き残った細菌の繁殖力は最初は強まるが後には弱まり、菌の広がる範囲が最大になるように繁殖力が最適化されることを本書は証明した。

個々の細菌にとっては、感染力を弱めて宿主を生かすことは利他的な行動だが、その結果、集団が最大化されて遺伝子の数も最大化される。同様の集団レベルの競争は、社会性昆虫のコロニーなどにも広く見られる。

もちろん個体レベルの競争(血縁淘汰)も機能しているので、淘汰は集団と個体の二つのレベルで進むわけだ。これが多レベル淘汰と呼ばれる所以である。E.O.ウィルソンによれば、遺伝子を共有する親族の利益をBk、集団全体の利益をBe、血縁度(relatedness)をr、利他的行動のコストをCとすると、

rBk + Be > C

となるとき、利他的行動が起こる。ここでBe=0とおくと、ハミルトンの理論になる。つまり多レベル淘汰理論は、血縁淘汰理論の一般化なのだ。

これは経済的な行動を説明する上でも重要である。新古典派経済学では、「合理的」とは「利己的」の同義語で、利他的に行動することは不合理な感情的行動としてきたが、そういう経済人は進化の過程で淘汰されてしまうので、合理的とはいえない。行動経済学や実験経済学の結果をこうした「進化心理学」で説明しようという実証研究は、現在の経済学のフロンティアである。