人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)
人類史上最大の革命は、産業革命でも情報革命でもなく、1万年前に遊動生活から定住生活に移った「定住革命」だった。普通これは農耕による食糧生産にともなうものと考えられ、「新石器革命」などとよばれているが、著者はこの通説を批判し、漁業や食糧の貯蔵が定住生活のきっかけだったと論じる。つまり農耕は定住の原因ではなく、結果なのである。

1万年ぐらいの間では遺伝的な変化はほとんどないので、われわれの本能は遊動時代のノマド的な生活に適応していると考えられる。しかし1万年間の定住生活によって、農業・漁業に適応した文化が形成された。この遊動的本能と定住的文化の葛藤が、人間社会の根底にある。

その一つが、公平の感情である。行動経済学でよく知られるように、たとえば1万円を2分割する提案をし、相手がその提案を拒否したら両方とも0円になる最後通牒ゲームでは、「合理的」な提案は相手に1円を与える(自分が9999円とる)ことだが、実験ではそういう行動は(相手の気持ちがわからない)自閉症の患者と経済学部の学生にしか見られない。そんな提案をしたら、相手が「むかついて」拒否するに決まっているからだ。

この提案を拒否するのは(新古典派の意味では)合理的ではない。たとえ1円でも、もらうほうが得だからである。しかし、すべての相手がそういう提案を拒否し、それを予期する多くの提案者は5000円対5000円を提案する。こういう「非合理的」な行動の原因は、公平性についての感情が共有されているためと考えられる。昨今の「格差社会」への反発も、そういう感情に根ざすものだろう。

公平を好む感情は、かつて数十人のグループで狩猟生活を送っていたころの環境に適応したものだろう、と著者は推定する。獲物をだれが得るかは不確実で、そのとき獲物をとった者がそれを独占したら、餓死者が出るかもしれない。飢えに迫られた者は、獲物をとった者を襲うかもしれない。こうした紛争が頻発したら、グループそのものが崩壊し、全員が死亡するだろう。それを避けるために、公平な分配を求める感情が遺伝的に進化したと考えられる。

人類が狩猟の武器を持ったときから、それをグループ内のほかの個体に向けて紛争が起こるリスクが発生した。その攻撃性を抑制するために利他的な感情が進化し、エゴイストはきらわれ、他人に思いやりのある人が好まれるようになったのだ。これは前にも紹介した群淘汰の一種である。

こうした人類学的なスケールで見ると、利己的な行動を「合理的行動」と称して肯定し、独占欲に「財産権」という名前をつけて中核に置く資本主義の基礎は、意外に脆いかもしれない。ハイエクもシュンペーターも、資本主義が崩壊するとすれば、その原因はこうした倫理的な弱さだと考えていた。情報を共有するインターネットの原則が資本主義にまさるのは、感情的に自然だという点だろう。