私がNHKをやめた1990年代前半、アメリカではケーブルテレビが主役になり、「マルチメディア」が登場して、インターネットが成長し始めていた。他方で、番組の制作過程は官僚化し、社内の根回しに仕事のエネルギーの半分以上が費やされ、表現の幅がますますせばまってくる。もうこんな非生産的な仕事はいやだ。テレビなんて終わりだ――と思ったのが、NHKをやめる理由だった。

それから14年。意外に、まだテレビは終わっていないように見える。NHK受信料の支払いを義務化するかどうかが政治的な争点になり、「2割値下げしろ」という話まで出てきて、ドタバタのあげく、朝日新聞によれば、義務化も値下げも見送りになったようだ。しかし朝日新聞(朝刊)のアンケート調査では、国民の47%が「受信料制度はやめるべきだ」と答えている。NHKの支持基盤は、もう崩れているのだ。

日本の地上波局は、ケーブルテレビを妨害して多チャンネル化を防いだため、視聴率はまだ高いが、それは見かけ上の数字だ。視聴率は世帯ごとに出すので、居間にあるメインのテレビに測定装置が設置されるが(*)、テレビは世帯あたり平均2.5台ある。各部屋にあるサブテレビは、確実にPCや携帯に代替されているのだ。それがNHK受信料を20代の62%が拒否するという数字にあらわれている。

こういう状況で、見ても見なくても受信料を支払うよう義務化するのは、死んでゆくメディアに国費を投入して守るのと同じだ。かつて銀行に投入された数十兆円の公的資金が、古い金融仲介構造を温存し、日本経済の再生をさまたげているように、受信料の支払い義務化はメディアの新陳代謝を止め、YouTubeのような新しいメディアの登場を妨害する。義務化が見送りになったのは、結果的には正解だ。

わけのわからない値下げ要求は、「命令放送」や番組捏造の「再発防止計画」に続く菅総務相のスタンドプレーだろうが、その暴走をNHKが止められなかったのは、よくも悪くも自民党とのパイプが切れているためだろう。海老沢時代には考えられなかった現象だ。しかし経営陣も、もともと支払い義務化を望んではいなかったので、問題が先送りされてほっとしているだろう。彼らには、何もしないということ以外の意思決定はできない。理事は番組職人や政治家の子分ばかりで、経営者としての訓練も経験も積んでいないからだ。

こういう政治的な取引でNHKの経営の根幹が決まるのは、去年の通信・放送懇談会でNHKを民営化すべきかどうかという議論を避け、問題を政治決着させたためだ。だから私は「NHKの経営形態を議論しなおすべきだ」と朝日新聞にコメントしたが、それを議論する研究会の座長が、通信・放送懇談会を迷走させた松原聡氏では話にならない。こうなったら、もっともましな政策は、このまま国費投入もしないで、予定どおりアナログ停波を実施することだ。これは電波法で決められているので、法律を改正しない限り、2011年に電波は止まる。

業界の楽観的な予測に従っても、2011年段階でアナログテレビは5000万台以上残る。この状態で電波を止めたら、サブテレビは高価なデジタルハイビジョンに買い替えないで捨てられ、若者はPCや携帯で動画を見るようになると予想される。彼らは受信料を払う義務もなくなるので、NHKの経営基盤は崩壊するだろう。民放の広告収入は半減し、特に地方民放の経営は破綻するだろう。これって、なかなかいい未来像ではないだろうか。

(*)コメントで指摘されたが、これは私の知識が古かったようだ。今は各受像機ごと(世帯あたり最大8台)に測定されているが、分母は世帯数のままなので、視聴率の合計は最大100%を超えてしまう。つまりサンプルを2.5倍に水増ししても、視聴率は横ばいだといういうことである。