現在の地球規模の問題としてもっとも重要なのは、地球温暖化でもテロでもなく、途上国の感染症である。それについての関心が最近高まってきたのはいいことだが、「ホワイトバンド」やボノが問題を解決すると思うのは大きな間違いだ。感染症の問題の根本には貧困の問題があるという点でサックスは正しいが、彼のような計画的アプローチはこれまでことごとく失敗してきた、と著者(元世銀チーフエコノミスト)は指摘する。

戦後、先進国が行った途上国の開発援助の総額は2.3兆ドルにのぼるが、それによってアフリカ諸国の一人あたりGDPは半減した。ラテンアメリカ諸国のGDPは、世銀が融資しはじめてから減少した。旧社会主義諸国を市場経済化しようとして行われた「ショック療法」によってGDPは激減し、ロシアの一人あたりGDPはいまだに社会主義時代に及ばない(この点では著者の前著もおもしろい)。

政府に資金援助しても、途上国の貧困は改善されない。それは政府が腐敗している場合だけではなく、民主的な国でも同じだ。政府が金をばらまくこと自体が、働かないで政府に頼るモラルハザードをまねいてしまうからだ(日本の公共事業と同じ)。著者は、世銀や国連のように外部の「顧問」が中央集権的な開発計画を途上国の政府に押しつける手法を批判し、現地の住民の話を聞いて改良を重ねる断片的アプローチを提案する。

特に印象的なのは、エイズ対策がなぜ失敗したのかについての分析だ。エイズ対策資金の大部分はエイズ治療薬に使われるが、これは患者の発症を数年おくらせる効果しかない。しかも感染者は発症するまでの間にHIVをまき散らすので、治療薬はエイズ感染を悪化させるのである。コンドームや性教育などによって感染を予防する対策は、治療薬よりはるかに安価で効果が高いが、アメリカやカトリック系の国はコンドームに開発援助が使われることをきらう。こうした愚かなキリスト教道徳のおかげで、毎年何十億ドルもの援助が浪費されているのである。

だから途上国の貧困を救うのは多額の開発援助ではなく、貧困の現場に立ち会って住民の望むものを把握し、それを地域の中で自律的に実現するしくみをつくることだ。それは計画的アプローチのように壮大ではなく、ロック・スターのような華やかさもないが、それよりもはるかに安価で実用的だ。ハイエクが指摘したように、何が必要かは現地の住民が一番よく知っているのだから、彼ら自身の知識を活用することが最善の策なのである。

追記:著者とサックスの因縁は、著者が『貧困の終焉』を酷評したころから始まっており、最近もサックスが「ハイエクは間違っていた」と論じたことを著者が「Salma Hayekのことか」とまぜかえしている。