日の丸検索エンジンを批判すると、「対案を出せ」といわれることがある。こういうとき「役所は何もしないのが一番いいんだ」という答もありうるが、私はそうは思わない。いま発売されている『諸君!』にも書いたことだが、日本経済の問題は、高度成長期にうまくいった製造業型の産業構造が情報産業に適応できないことにある。これは企業組織や系列関係などの問題なので、市場メカニズムで是正することはむずかしい。この古い産業構造を解体する負の産業政策が必要ではないか。
製造業と情報産業の最大の違いは、リスク管理の性質である。製造業の場合には、不良品のリスクを最小化するために、品質管理を行うことがもっとも重要だ。一つでも品質の劣った部品があると全部だめになるので、すべての部門や下請けが緊密に連携して品質の水準をそろえる必要がある。このような関係を、工程に補完性があるという。ここでは各工程の不良品リスクは掛け算になるので、全体の質が平均的に高いことが重要で、一つの工程だけ突出して高くても意味がない。
日本企業の長期的関係にもとづくシステムは、こうした製造業ではうまく機能した。社員は長期雇用で会社にしばりつけられているので、一度でもミスをしたら人生が台なしになるから、あらゆる問題を事前にチェックしてリスクを排除する。横並びで出世して平均的なレベルを高め、問題を起こす異分子は「村八分」にして、組織から排除する。製品の目的(小さく速くなど)はわかっており、問題はそれを実装することだけなので、特に天才的な人材は必要としない。
これに対して、情報産業では工程はモジュール化され、各モジュールのリスクは他に影響しないので、不良品リスクは足し算にしかならない。質の悪いモジュールが見つかったら、他のモジュールに交換すればいいので、工程全体で品質管理をする必要はない。その代わり、ここで問題なのは有望なプロジェクトが埋もれるリスクである。ソフトウェアやウェブの世界では、何が成功するかは前もってわからないので、GoogleやYouTubeのように、最初はほとんどの人にバカにされる突飛なプロジェクトの芽を摘まないことが重要である。ここでは平均的に質が高いことには意味がなく、ひとりでも天才的なアイディアを出せば、それをビジネスとして実現できる身軽さが重要だ。
つまり製造業では、悪い因子を排除する(分散を最小化する)ことが重要だが、情報産業ではよい因子を排除しない(オプション価値を最大化する)ことが重要なのだ。日本のITゼネコンのように大組織にエンジニアを囲い込むと、不良品のリスクは最小化できるが、社内の稟議で突飛なアイディアは埋もれてしまう。とりあえずやってみて、失敗したらやめるということができないからだ。
仙石浩明氏のブログで、日本のソフトウェア振興策は「大企業の一つをつぶして、死蔵していた優秀な人材を放出させることである」と結論しているのがスラッシュドットなどで話題になっているが、同じ趣旨は彼が当ブログへのコメントでも書いていた。政府が企業を文字どおりつぶすことはできないが、FNHのうちFには経営危機説が流れたことがあるし、Nにはいま流れている。Hは大赤字だ。かつての通産省のようにこういう企業を救済するのではなく、政府系金融機関がLBOを行って会社整理し、コア部門以外は売却してはどうだろうか。
製造業と情報産業の最大の違いは、リスク管理の性質である。製造業の場合には、不良品のリスクを最小化するために、品質管理を行うことがもっとも重要だ。一つでも品質の劣った部品があると全部だめになるので、すべての部門や下請けが緊密に連携して品質の水準をそろえる必要がある。このような関係を、工程に補完性があるという。ここでは各工程の不良品リスクは掛け算になるので、全体の質が平均的に高いことが重要で、一つの工程だけ突出して高くても意味がない。
日本企業の長期的関係にもとづくシステムは、こうした製造業ではうまく機能した。社員は長期雇用で会社にしばりつけられているので、一度でもミスをしたら人生が台なしになるから、あらゆる問題を事前にチェックしてリスクを排除する。横並びで出世して平均的なレベルを高め、問題を起こす異分子は「村八分」にして、組織から排除する。製品の目的(小さく速くなど)はわかっており、問題はそれを実装することだけなので、特に天才的な人材は必要としない。
これに対して、情報産業では工程はモジュール化され、各モジュールのリスクは他に影響しないので、不良品リスクは足し算にしかならない。質の悪いモジュールが見つかったら、他のモジュールに交換すればいいので、工程全体で品質管理をする必要はない。その代わり、ここで問題なのは有望なプロジェクトが埋もれるリスクである。ソフトウェアやウェブの世界では、何が成功するかは前もってわからないので、GoogleやYouTubeのように、最初はほとんどの人にバカにされる突飛なプロジェクトの芽を摘まないことが重要である。ここでは平均的に質が高いことには意味がなく、ひとりでも天才的なアイディアを出せば、それをビジネスとして実現できる身軽さが重要だ。
つまり製造業では、悪い因子を排除する(分散を最小化する)ことが重要だが、情報産業ではよい因子を排除しない(オプション価値を最大化する)ことが重要なのだ。日本のITゼネコンのように大組織にエンジニアを囲い込むと、不良品のリスクは最小化できるが、社内の稟議で突飛なアイディアは埋もれてしまう。とりあえずやってみて、失敗したらやめるということができないからだ。
仙石浩明氏のブログで、日本のソフトウェア振興策は「大企業の一つをつぶして、死蔵していた優秀な人材を放出させることである」と結論しているのがスラッシュドットなどで話題になっているが、同じ趣旨は彼が当ブログへのコメントでも書いていた。政府が企業を文字どおりつぶすことはできないが、FNHのうちFには経営危機説が流れたことがあるし、Nにはいま流れている。Hは大赤字だ。かつての通産省のようにこういう企業を救済するのではなく、政府系金融機関がLBOを行って会社整理し、コア部門以外は売却してはどうだろうか。



池田先生は、優秀な人材が大企業に独占されていて、死蔵されていると主張されています。
しかし、偏差値エリートだけを優秀な人材とすることは浅薄だと考えています。
ノーベル賞の小柴教授は、自らを東大の末席卒業者と評し、受動的学習力と能動的学習力があり、学校では受動的学習力であって、社会人になってからは、能動的学習力が専らになり、新たな勝負が始まるのだから、学校で成績が振るわなかった人も劣等感を感じることはないと主張しています。
競馬でも、逃げ馬と追い込み馬、重場場に強い馬、重場場に弱い馬などさまざまな馬がいて、どれが勝つか分からない。だから、競馬ファンは、三点買いなどをするわけです。
いまの学歴社会は、逃げ馬ばかりを企業が求めるようになっている。そう感じています。
総合大学を目指してきた日本の教育機関たちが、単一の尺度で人材を計る傾向を助長してきた。まず、それを改めなければならない。
職のモジュール化も必要であるが、就職時の人間評価軸に多様性を持たせることが重要であると感じています。
関連エントリーをすでにあげています。 ご参照いただければ幸いです。
http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/diary/200612030000/