著作権保護期間の延長問題を考える国民会議が、11日にシンポジウムを開くそうだ。私のところにもお誘いが来たが、お断りした。著作権の延長に賛成だからではない。逆に延長が有害無益であることは自明であり、今さら「国民的な議論」をする必要なんかないからだ。延長派の人々は論理的な根拠にもとづいて主張しているのではなく、既得権を拡大しようとしているだけなので、彼らを説得するのは無駄である。

このあたりの基本的な論理が、延長反対派の人々にも理解されていないようだ。「国民会議」の発起人のひとりである田中辰雄氏は、「延長の効果についての調査は行われていないので、これからやろう」などととぼけたことを言っているが、以前にも紹介したミッキーマウス訴訟の意見書でも明らかなように、経済学では著作権の延長が有害無益であることは100%のコンセンサスである。これは「著作者の権利と消費者の権利にはトレードオフがある」という一般論ではなく、著作者の保護はすでに過剰なので、これ以上強化することは害しかないのである。

具体的にみてみよう。PCJapanのコラムにも書いたように、平均的な著者(たとえば私)の得る印税の割引現在価値は、年利5%と仮定すると、死後50年から70年に延長しても約1.7%(*)しか増えない。しかも50年後に印税が発生しているような古典の著者は1%もいないだろう。したがって社会全体では、延長によるインセンティヴの増加は1/10000以下であり、これが創作活動を高める効果は考えられない。過去の作品の複製や、それを利用した創作が禁止されることによる社会的な損失のほうがはるかに大きい。

延長によって利益を得るのは本源的な著作者ではなく、いま過去の作品の版権をもっている出版社やレコード会社などの流通業者である。たとえば「ローマの休日」の版権を20年延長することで、彼らは500円の廉価版を禁止し、4000円以上の「正式版」を売りつけることができる。この差額の3500円が彼らの独占利潤だが、これは創作のインセンティヴにはならない。したがって「文化を守るために出版社などの権利も強化すべきだ」というのは誤りである。彼らの収益構造は通常の流通業と同じであり、特別扱いする必要はない。

著作者に複製禁止権を認めるのは、彼らが媒体の所有権をもっていないため、作品が自由に複製されると、創作への投資(固定費)が回収できなくなるからだ。複製を禁止して独占価格を設定することで、固定費を回収できるようにしているのである。しかし流通業者の投資は物的な媒体の所有権で守られているので、固定費を乗せた価格をつければ通常の売買で回収できる。500円の廉価版でもDVDをプレスする費用はカバーしており、著作権が切れても流通業者は利益を上げることができるのだ。

要するに、流通業者に独占権を認めることは、競争を制限する弊害があるだけで、創作への投資を促進する効果はない。したがって、その独占権を延長することはなおさら望ましくない。肖像権やプライバシー権の類も、それを認めることによるインセンティヴ効果はなく、表現の自由を阻害するだけなので、認めるべきではない。この「国民会議」も、こうした権利のインフレに歯止めをかけるなど、テーマを広げたほうがいいのではないか。

(*)「1.5%ぐらい」という表現はアバウトなので、修正した。著者(私)があと25年(平均寿命まで)生き、その死後50年まで(つまり75年間)一定の印税を得るとする。年利5%とすると、その割引現在価値は
74
Σ1/1.05n
n=0
この答をAとし、同じ式で74を94にした答をBとすると、B/A=1.0173となる。

追記:イギリスでは、ポール・マッカートニー、サイモン・ラトルなど4000人の音楽家が著作権の延長を求める意見広告をFTに出した。レッシグも指摘するように、この名簿には死んだ音楽家まで含まれており、レコード会社がつくったものであることは明白だ。これはもう力と力の対決である。「みんなで考えよう」などと中立を装っている場合ではない。