ミルトン・フリードマンが死去した。NYタイムズWSJだけでなく、日本の新聞まで1面で報じている。経済学者の死がこれほど大きなニュースになることは、おそらく空前絶後だろう。

私の学生時代(1970年代)には、日本の大学ではまだフリードマンは極右の特殊な学者という位置づけで、宇沢弘文氏などは口をきわめて批判していた(*)。しかしケインズ派とシカゴ派の論争は、理論的にも実証的にも70年代にほぼ決着し、80年代にはシカゴ派よりもさらに過激な「新しい古典派」が学問的には主流になった。ところが東大では、宇沢氏が「合理的期待一派は水際で阻止する」と公言して、そういう研究者を東大に帰さなかったため、日本ではケインズ派がながく生き残り、90年代には巨額の「景気対策」が行われた。

現実の政治でも、80年代にはサッチャー首相やレーガン大統領がフリードマンの理論を政策として実行したが、日本ではその理論さえ知られなかった。日本で「新自由主義」的な政策を提案したのは、小沢一郎氏である。1993年に細川政権が誕生したときは、日本でも10年遅れで改革が始まるかと思われたが、非自民連立政権は1年足らずで倒れ、自社さ連立という奇怪な政権ができたため、政策の対立軸が混乱した。小沢氏が『日本改造計画』で構想した改革は、小泉政権でやられてしまい、今度は小沢氏が社民的な「格差是正」を訴えるという奇妙な役回りになっている。

しかし、これは偽の争点である。日本では、英米で行われたような改革は、ほとんど行われていない。郵政や道路公団の民営化は、改革の名には値しない。政府の役割を洗い直して「福祉国家」を卒業することは、先進国が一度は通らなければならないステップだが、それを中途半端に終えたまま、自民党は昔の姿に戻ろうとしている。いま民主党は来年の参院選むけマニフェストを作成しているようだが、対立軸として打ち出すべきなのは90年代の小沢氏の原則である。

40年前の『資本主義と自由』を読み返すと、そこでフリードマンが提案している政策が、今でも新しいことに驚く。変動相場制は、この本で提案されたときはほとんど笑い話だった。公的年金の廃止は年金改革のなかで論じられ、法人税の廃止はブッシュ政権の政策として提案された。負の所得税は、アメリカでは勤労所得控除として部分的に導入されはじめた。教育バウチャーは、ようやく安倍政権で検討が始まっている・・・こう列挙すると、彼の提案はほとんど未来的である。

日本は市場志向の改革の洗礼も受けていないのに「市場原理主義」を罵倒する自称エコノミストがいるが、そういう人々にはフリードマンの本を読んでほしいものだ。『選択の自由』は、内容的には『資本主義と自由』の二番煎じだが、文庫で出ているので、この機会に一読をおすすめする。

(*)宇沢氏がいつも言っている「フリードマンがポンドの空売りを試みたので、フランク・ナイトが彼を破門した」というゴシップは嘘であることを田中秀臣氏が検証している。