きのう開かれた教育再生会議の第1回会合で、「教育バウチャー」が話題になったようだ。しかし日本では、これまでほとんど論じられたことのない政策が唐突に持ち出された印象が強く、当惑している委員も多い。またメディアにも「市場原理主義」といった類型的な反応が多いので、ここで基本的なことを少し解説しておこう。
バウチャーのアイディアは、そう新しいものではない。これを提案したのは、1962年に書かれたフリードマンのCapitalism and Freedomである(訳書は絶版)。フリードマンの主眼は、アメリカで深刻な問題である公立学校の荒廃をどう解決するかということだった。貧しい黒人地域で生まれた子供は、たとえ才能があっても、近くの低レベルの公立学校へ行かざるをえない。その結果、格差は固定され、さらに貧しい地域の学校はますます劣化するという悪循環が生じる。学校の荒廃は、日本でも深刻化している。これを防ぐために、消費者が学校を選べるようにしようというのがバウチャーである。
またバウチャーは、今までにない制度でもない。たとえば奨学金は、学生に補助金を支給するバウチャーの一種だ。規制改革会議で提唱されたのも、現在のように私立学校だけに教職員の数に応じて補助金を出すのではなく、公立も私立も同じ扱いにして、生徒の数に応じて補助するということである。経済学でいえば、これは従量制の「生産補助金」であり、市場メカニズムを歪めないぶん、公立学校のような「配給制度」よりも望ましい。
しかし欧米でも、バウチャーの導入には抵抗が強い。特にアメリカでは、宗教学校への州政府の支出が憲法違反だという訴訟が各地で起こされ、連邦最高裁は2002年に違憲ではないという判決を出したが、対応は州ごとにまちまちだ。ブッシュ政権も、大統領選挙でバウチャーの導入を公約したが、議会の反対が強く、2002年の「包括的教育法案」ではバウチャーを引っ込めざるをえなかった。民主党は、教職員組合の支援を受けてバウチャーに強く反対しており、全国レベルで実施される見通しは立たない。
バウチャーへの反対論として、「教育を競争原理にゆだねると、学校がつぶれて地域が荒廃する」といったお決まりの批判があるが、バウチャーの目的は、競争圧力によって公立学校にも教育環境を改善するインセンティヴを与えることであり、つぶす必要はない。奨学金で大学がつぶれないように、これはバウチャーのチューニング次第でどうにでもなる問題だ。「格差が拡大する」という類の反対論もナンセンスだ。上にのべたように、バウチャーはむしろ格差をなくすために発案されたのである。
学校への導入に抵抗が強いなら、イギリスのように、まず保育所に導入してはどうだろうか。現在の保育料は、親の所得税額で決まる方式になっており、税金を払っていない自営業者がベンツで子供を無料保育所に迎えに来る、といった問題がよく指摘される。また保育時間が勤務実態に即していないため、「無認可保育所」が多いが、これは補助を受けられないので高コストでサービスの質が悪い。これを一定の基準を満たした保育所に子供の数に応じたバウチャーを出すようにすれば、サービスも改善されるだろう。
バウチャーのアイディアは、そう新しいものではない。これを提案したのは、1962年に書かれたフリードマンのCapitalism and Freedomである(訳書は絶版)。フリードマンの主眼は、アメリカで深刻な問題である公立学校の荒廃をどう解決するかということだった。貧しい黒人地域で生まれた子供は、たとえ才能があっても、近くの低レベルの公立学校へ行かざるをえない。その結果、格差は固定され、さらに貧しい地域の学校はますます劣化するという悪循環が生じる。学校の荒廃は、日本でも深刻化している。これを防ぐために、消費者が学校を選べるようにしようというのがバウチャーである。
またバウチャーは、今までにない制度でもない。たとえば奨学金は、学生に補助金を支給するバウチャーの一種だ。規制改革会議で提唱されたのも、現在のように私立学校だけに教職員の数に応じて補助金を出すのではなく、公立も私立も同じ扱いにして、生徒の数に応じて補助するということである。経済学でいえば、これは従量制の「生産補助金」であり、市場メカニズムを歪めないぶん、公立学校のような「配給制度」よりも望ましい。
しかし欧米でも、バウチャーの導入には抵抗が強い。特にアメリカでは、宗教学校への州政府の支出が憲法違反だという訴訟が各地で起こされ、連邦最高裁は2002年に違憲ではないという判決を出したが、対応は州ごとにまちまちだ。ブッシュ政権も、大統領選挙でバウチャーの導入を公約したが、議会の反対が強く、2002年の「包括的教育法案」ではバウチャーを引っ込めざるをえなかった。民主党は、教職員組合の支援を受けてバウチャーに強く反対しており、全国レベルで実施される見通しは立たない。
バウチャーへの反対論として、「教育を競争原理にゆだねると、学校がつぶれて地域が荒廃する」といったお決まりの批判があるが、バウチャーの目的は、競争圧力によって公立学校にも教育環境を改善するインセンティヴを与えることであり、つぶす必要はない。奨学金で大学がつぶれないように、これはバウチャーのチューニング次第でどうにでもなる問題だ。「格差が拡大する」という類の反対論もナンセンスだ。上にのべたように、バウチャーはむしろ格差をなくすために発案されたのである。
学校への導入に抵抗が強いなら、イギリスのように、まず保育所に導入してはどうだろうか。現在の保育料は、親の所得税額で決まる方式になっており、税金を払っていない自営業者がベンツで子供を無料保育所に迎えに来る、といった問題がよく指摘される。また保育時間が勤務実態に即していないため、「無認可保育所」が多いが、これは補助を受けられないので高コストでサービスの質が悪い。これを一定の基準を満たした保育所に子供の数に応じたバウチャーを出すようにすれば、サービスも改善されるだろう。
子供の数に応じて親に現金を配るなり減税するなりすれば、預ける必要のない人は現金だけもらって保育所を使わないので必要な人が預けやすくなるし、保育所を使えない人への子育て支援も出来て、このような問題がおきません。
大学などへの補助金や奨学金も同様の問題があると思います。補助金や奨学金のおかげで、学費が安くなって必要のすくない人までたいしたことを教えない大学に進学して就業率を下げてしまいますし、進学しない人には支援がないわけです。
このような用途を限定した補助金で教育産業だけ優遇するのは市場の効率性をゆがめる可能性があるのではないでしょうか。政府は子持ち世帯に現金だけ配って保育所や塾や学校などをどれくらい使うかは自由にさせてしまったほうがいいでしょう。