「1940年体制論」というのは、野口悠紀雄氏の著書などでおなじみだ。戦時中の「国家総動員体制」に対応して、銀行中心の金融市場などができたという話だが、マスメディアにも「戦時体制の遺産」があることは、あまり知られていない。

特に顕著なのは、新聞である。「マスコミ不信日記」からの孫引きだが、桂敬一氏によると、1937年には全国で1420紙も新聞があったのに、検閲の手間を省くため、各県1紙に統合されたのだという。戦前は、新聞配達もあったが、一つの販売店が複数の新聞を配達する「合売店」だった。それが新聞の寡占化にともなって、現在のような「専売店」になった。だから新聞の再販がなくなると崩壊するのは「活字文化」ではなく「新聞専売店」にすぎない。

同じ理由で、出版の取次は2社に集約され、通信社も2社になった。電通が独占的な地位を得たのも、戦時中である。放送(ラジオ)は、もちろん国営放送として、国民を戦争に駆り立てるもっとも効果的な道具となった。こうしたメディアで「戦意発揚」の旗を振ったジャーナリストの多くは、戦後追放されたが、新聞社や放送局は残った。

1940年体制の中心だった銀行の護送船団行政は、1990年代に崩壊したが、こうしたメディアの戦時体制は、まだ残ったままだ。そして新聞は、部数の減少のなかで、大した意味もない特殊指定を死守しようとし、NHKは減少の一途をたどる受信料収入にすがりついている。彼らが競争を恐れるのは、無理もない。70年間市場経済を知らなかったソ連国民と同じように、彼らは自由競争というものを一度も経験したことがないのである。