日本宗教史 (岩波新書)
末木 文美士
岩波書店
2006-04-20


丸山眞男は『古事記』に日本の土着信仰の「古層」を見出したが、これは文献学的にはおかしい。『古事記』が編纂されたのは712年だが、仏教はその200年ぐらい前に日本に伝来しており、記紀神話には仏教説話の影響がみられる。記紀から仏教の影響を除去して「古層」を復元するには高度な文献考証が必要だ。

丸山のように天孫降臨の神話をそのまま「古層」と考えるのはナイーブすぎる。アマテラスのように太陽神を中心とする伝承は古代日本にはなく、これは密教から入った大日如来の影響ではないかと著者は推定している。むしろ神道は、「古層」が仏教で体系化されて生まれたのだ。

古層は「雑種文化」

丸山の講義録を読んでも、儒教のくわしさに比べて、仏教の位置づけは驚くほど軽い。思想的な内容に立ち入って論じているのは鎌倉仏教、特に浄土真宗だけで、これをキリスト教に引き寄せる解釈も常識的だ。丸山も「仏教は苦手だ」と認めている。

「古層」には古来の日本の民俗信仰も継承されているが、東アジアではよくあるものだ。文献として証拠があるのは卑弥呼のシャーマニズムぐらいで、祖先信仰はもっと後の時代とされている。アニミズムはあったと思われるが、神社はなく、御神体もあったとは思われない。

むしろそれまで各地にバラバラにあった俗信が仏教によって体系化され、「無」とか「空」という仏教思想の影響を受けて「古層」が形成された、と考えたほうがいい。丸山が日本独自の思想と考えている「つぎつぎとなりゆく」歴史意識は、大乗仏教の影響を受けたものだ。

日本独自の現象と思われている「神仏習合」も普遍的な現象で、カトリック教会はギリシャ・ローマ神話の多神教とパウロ主義の一神教が習合したものだ。クリスマスやハロウィーンなどもゲルマン民族の土着信仰をキリスト教の儀式として習合したものだ。

神仏習合の「苦しむ神を仏が救う」という信仰の起源は古代の中国にみられ、「神が仏を守る」という信仰の起源はインドにある。日本で生まれたのは、仏教をモデルにして新しい神ができる「言霊」のようなケースだが、これも平安時代以降だ。その原因は武士に脅かされる貴族の政治的な不安であり、民俗信仰ではない。

日本独自の本格的な宗教は「本地垂迹説」だといわれるが、これも六朝時代の中国にみられ、天台宗の影響で広まった。このように保守派の信じている「日本古来の伝統」なるものは、玉ねぎの皮をむいたらなくなってしまうのだ。

だから記紀や万葉集は日本人の「古層」ではなく、仏教や儒教など外来文化の影響を受けた(加藤周一のいう)雑種文化である。それは日本の伝統の価値をおとしめるものではなく、どこの国にも100%オリジナルな伝統はない。キリスト教もヨーロッパで生まれたわけではなく、セム族の宗教である。

「平和主義」の伝統

では日本人の歴史意識や倫理意識がインド人や中国人と同じかというと、どっちにも似ていない。むしろ雑多な文化を組み合わせるフレームが「古層」だったといえよう。これは行動経済学のシステム1と考えるのが、一番わかりやすい。

システム1と2の境界は相対的なもので、日本は平和が長く続いたために、このシステム1が発達し、言葉や文字にしなくても共有できるハイコンテクストになった。これも珍しい現象ではなく、アボリジニーのように孤立した環境でながく暮らしている民族は、互いにほとんど言葉をかわさないで身振りだけでコミュニケーションを行なう。

中世以降は戦争が増え、「古層」とは異質な武装集団(武士)のエートスが形成されたが、これは貞永式目がマグナ・カルタと似ていることでもわかるように、かなり普遍的な文化で、しかも世界史的にもっとも早い時期に属す。しかし16世紀以降は、この武士のエートスも「古層」に埋め込まれ、平和で停滞した幕藩体制が生まれた。

明治以降の近代化は、このように「古層」に埋め込まれた戦闘のエートスを「脱埋め込み化」して西洋思想と接合する試みだったが、ほとんど内戦は起こらず、驚くほどスムーズに革命が実現した。それは人々がきわめてハイコンテクストの慣習を共有していたからだろう。

こう考えると、『古事記』から現代まで一気通貫で語る丸山の「古層」概念には疑問があるが、仏教や儒教の影響を受けながら独自の形をつくってきた日本文化は、少なくとも江戸時代以降は一貫した平和主義(pacifism)である。その伝統は、保守派より平和ボケの左翼に受け継がれているのだ。