ポール・ローマーと経済成長の謎
知識が経済にどのような影響を及ぼすかを、ポール・ローマーの有名な論文を中心に描いたもの。もとの論文を読んだ人には読む価値がないが、知識や情報が経済学でどのように扱われてきたかという経済学史の読み物としては、わかりやすく書かれている。

経済成長の最大のエンジンが技術革新であることは、アダム・スミスやマルクスの時代から認識されていた。価値の本源的な源泉は労働力(人的資本)だが、単なる肉体労働では価値は蓄積されない。それが物的資本として蓄積され、知識が技術進歩として実現することで、経済は成長するのだ。

マルクスのいう資本の有機的構成の高度化は、労働価値説でこの問題を明らかにしようとした最初の試みだった。技術進歩で労働力を節約すれば、利潤が上がる。職人が手作業で服を縫うより、その技術を自動織機に置き換え、職人をなくせば成長できるのだ。

これは当たり前の話だが、新古典派経済学は「完全情報」の世界を仮構して、知識の問題を無視してしまった。新古典派成長理論は、技術進歩を(理論的に説明できない)残差としてモデルの外に出したが、実証研究で明らかになったのは、皮肉なことに、成長の最大の要因がこの「残差」だということだった。

知識の「収穫逓増」

このパラドックスを解決し、技術革新を内生的に説明したのが、ローマーの論文である。そのポイントは、情報は「非競合的」な資源だから、技術情報が社会全体に「スピルオーバー」することによって、研究開発の効率が高まる、という考え方である。

初期の新古典派成長理論では資本と労働だけを考え、物的資源配分の効率性が成長を決めると考えたが、それだけなら「無政府的」な資本主義より資源を重化学工業などの戦略分野に傾斜配分できる社会主義のほうがすぐれている。しかし1950年代までは西側諸国をしのいでいたソ連の成長率は60年代に西側に抜かれ、その後も大きく低下した。

その原因は、物的な生産要素よりもイノベーションのほうが重要になってきたたためと考えられる。初期の新古典派成長理論では技術進歩を外生的に仮定するだけだったが、内生的成長理論はこれを理論的に説明した。ローマーのモデルのエッセンスは、次の動学方程式にある:

 ⊿A=δHAA

ここでAは社会全体に蓄積された知識の量、δは生産性パラメータ、HAは研究開発に使われる人的資本である。つまり知識の増分⊿Aは社会全体に蓄積された知識のストックAの増加関数だから、社会に蓄積された知識が大きくなると成長率が高まる収穫逓増が起こる。資本は蓄積される一方で減耗するが、知識が減ることはないのだ。

人的資本への投資が成長の源泉

これは「成長の源泉は人への投資である」という自明の話で、Lucasはこれを「人的資本の蓄積」として定式化した。こっちのほうが理論としてはエレガントだが、1990年代にローマーのモデルが大流行した。

上の式のAは狭い意味の技術革新とは限らず、シュンペーターの「新結合」という意味でのイノベーションである。Aghion-Howittは、そういうロジックを説明する内生的成長理論を提唱している。

他方、技術がすべて公開されてしまうと、知識に投資するインセンティブがなくなるので、ローマーはこれを独占的競争のモデルで考えた。Acemogluなどは、知的財産権の保護や民主主義の成熟などの制度的要因を強調している。

このようにイノベーションを説明する経済理論には、まだ定説といえるものはないが、共通認識としていえるのは、先進国では物的資本の蓄積より人的資本の質の向上のほうが重要だということである。

この意味では教育に重点を置く成長戦略は間違っていないが、今の大学に投資しても人的資本は蓄積できない。技術開発も、特定の分野への補助金より、労働市場を柔軟にして成長分野に労働人口を移動させ、起業や対内直接投資でイノベーションを促進することが効果的だろう。