チョムスキー入門~生成文法の謎を解く~ (光文社新書)
私は学生のころ一時、言語学を志したことがある。もともとは哲学に興味があったのだが、ソシュールやヴィトゲンシュタインなどを読むうちに、言語こそ哲学のコアであるという感じがしたからだ。当時は文科2類からはどの学部へも行けたので、文学部に進学することも真剣に考えたが、当時の言語学科はチョムスキー全盛で、その単純な「デカルト的」理論には疑問を感じたのでやめた。

初期のチョムスキーは、言語学を応用数学の一種と考え、ニュートン力学のようなアルゴリズムの体系を完成させることを目標としていた。しかし言語を数学的に表現することはできても、そこには意味解釈が介在するため、物理学のように客観的な法則を導き出すことはできなかった。結局、「標準理論」と自称した初期の理論も放棄せざるをえなくなり、その後の理論は複雑化し、例外だらけになる一方だった。

生成文法の黄金時代は、未来のコンピュータとして「人工知能」が期待されていた時期と重なる。日本の「第5世代コンピュータ」プロジェクトでも、日本語を理解するために生成文法の一種を組み込んだパーザ(文法解析機)をつくることが最大の目標だった。しかし、このプロジェクトは、10年で300億円あまりの国費を使って、失敗に終わった。

チョムスキー学派も70年代からは分裂し、当時の対抗文化の影響もあって「生成意味論」や「格文法」など、生成文法を根本から否定する理論が登場した。これらは学派としては消滅したが、「主流派」の側も、拡大標準理論、GB理論など変化・分裂を繰り返し、何が主流なのかわからなくなった。

現在チョムスキーの提唱している「ミニマリスト理論」は、初期の生成文法とは逆に「深層構造」を否定し、文の中の拘束関係だけを普遍文法と想定する理論で、個別の文法については何もいえない。中身がほとんどないので、アルゴリズムとしても実装できない。

結局、生成文法や人工知能が示したのは人間の知能は数学的なアルゴリズムには帰着できないという否定的な証明だった(これはこれで学問的な意味がある)。本書は、こうしたチョムスキー学派の解体の歴史をたどり、「言語学に科学的な論証法をもたらすかのように見えた生成文法は、現在のままでは科学的合理性から遠ざかっていくばかりです」と結論する。

日本では9・11以後、「反ブッシュ」の論客としてチョムスキーが人気を博し、その影響で今ごろ彼の言語理論を賞賛する半可通も出てきたようだ。しかし「絶対自由のアナーキスト」を自称し、ポル・ポトを擁護したチョムスキーの政治的な発言は、欧米では相手にされていない。彼の言語理論も、同じ運命をたどるだろう。