道路公団をめぐる談合事件は、元理事が逮捕されるに至り、公団職員の関与も疑われている。しかし財界の動きはにぶく、経団連の奥田会長も「長年の慣習で、簡単にはやめられない」などと歯切れがよくない。これは談合に(少なくとも主観的には)一種の合理性があることを示唆している。

談合は、ゲーム理論でおなじみの「フォーク定理」で合理的に説明できる。1回かぎりの入札では抜け駆けで得をしても、それによって業界から追放され、指名入札に入れてもらえなくなったら、長期的には損をするからだ。しかし談合の場合には、この「サブゲーム完全均衡」は犯罪であり、ばれたら全員が最悪の状態になる。つまりここでは、通常の囚人のジレンマとは逆に、非常にリスクの大きな「協力」=談合に全員がトラップされているのである。

こういう「逆囚人のジレンマ」を壊すのは簡単である。すべての工事を一般競争入札にして、抜け駆けできるアウトサイダーを入れればいいのだ。しかしこういう解決法では、手抜き工事が行われる可能性があるので、工事の監視をきびしくするなどの事後的な行政コストが高くなる。談合は、業界内で互いに監視して品質を管理する役割もになっていたわけだ。

こういう「自主監視」のしくみは、終戦直後のような混乱した時期には必要だったかもしれない。しかし工事の質が上がり、行政による監視も厳重になった現在では、談合の積極的な意味はもう失われたのだ。奥田会長のいう「自由競争にしたら弱い会社が生き残れない」というのは理由にならない。競争が長期的には会社を強くすることは、トヨタがいちばんよく知っているはずだ。