職業免許のほとんどが資格認定で代替可能だという議論は、40年前にミルトン・フリードマンが『資本主義と自由』で主張し、経済学者には広く認められている。
フリードマンが、医師や弁護士などの職業免許は中世のギルドのなごりだとしていることは興味深い。彼はギルドを「特権を守るためのカルテル」という意味で使っているのだが、最近の経済史の研究では、中世に商人ギルドのあった地域のほうが、なかった地域よりもはるかに商業が発達していたことがわかってきた(Milgrom-North-Weingast)。
つまりギルドには、何者かわからない相手と取引するリスクを減らし、疑心暗鬼による「囚人のジレンマ」で取引が起こらない状態を避けるという意味が(少なくとも初期には)あったのだ。現代でも、中坊公平氏のように不正をやると業界から「村八分」(ostracize)にされるので、消費者保護に役立っている面はある。
しかしギルドには、こういう「情報の非対称性」を減らす機能と、既得権を守る機能が一体になっていた。両者は分離可能であり、ほとんどの場合、前者の機能は資格認定で十分である。私は、フリードマンのように医師免許も不要だとはいわないが、弁護士の無免許営業を禁止する意味は疑わしい。無資格の「ディスカウント弁護士」を使って裁判に負けるのも、消費者の自己責任だろう。それで裁判が混乱するというなら、裁判官も資格認定にし、民間のADRで決められる範囲を広げればよい。
現実の弁護士の仕事の大部分は、法廷における弁論以外の税務などの代理人業務である。そういう周辺的な業務は税理士などにまかせ、弁護士は裁判に集中してはどうか。前の記事のコメントにもあるように、不動産取引についての弁護士の評判はよくない。何より重要なのは、競争を導入することだ。かつて不便な「小荷物」しかなかった業界に宅配便が参入した結果をみればわかるように、競争こそがサービスの質の向上をもたらすのである。
フリードマンが、医師や弁護士などの職業免許は中世のギルドのなごりだとしていることは興味深い。彼はギルドを「特権を守るためのカルテル」という意味で使っているのだが、最近の経済史の研究では、中世に商人ギルドのあった地域のほうが、なかった地域よりもはるかに商業が発達していたことがわかってきた(Milgrom-North-Weingast)。
つまりギルドには、何者かわからない相手と取引するリスクを減らし、疑心暗鬼による「囚人のジレンマ」で取引が起こらない状態を避けるという意味が(少なくとも初期には)あったのだ。現代でも、中坊公平氏のように不正をやると業界から「村八分」(ostracize)にされるので、消費者保護に役立っている面はある。
しかしギルドには、こういう「情報の非対称性」を減らす機能と、既得権を守る機能が一体になっていた。両者は分離可能であり、ほとんどの場合、前者の機能は資格認定で十分である。私は、フリードマンのように医師免許も不要だとはいわないが、弁護士の無免許営業を禁止する意味は疑わしい。無資格の「ディスカウント弁護士」を使って裁判に負けるのも、消費者の自己責任だろう。それで裁判が混乱するというなら、裁判官も資格認定にし、民間のADRで決められる範囲を広げればよい。
現実の弁護士の仕事の大部分は、法廷における弁論以外の税務などの代理人業務である。そういう周辺的な業務は税理士などにまかせ、弁護士は裁判に集中してはどうか。前の記事のコメントにもあるように、不動産取引についての弁護士の評判はよくない。何より重要なのは、競争を導入することだ。かつて不便な「小荷物」しかなかった業界に宅配便が参入した結果をみればわかるように、競争こそがサービスの質の向上をもたらすのである。



もちろん、「無資格の『ディスカウント弁護士』を使って裁判に負けるのも、消費者の自己責任だろう。」という前提に立つのであれば、資格制度なんて無意味ですね。米国型の、「公選弁護人を使った以上、手抜き弁護をされて、無実の罪で死刑に処せられたとしても自己責任である」という考え方に近いというべきでしょうか?
同様に、無資格の『ディスカウント医師』を使って命を落とすのも消費者の自己責任ともいえるのでしょうね。
そういう考え方に立てば、適当にADRを使って不公正な解決が行われても、それはADRを選択した側の自己責任といえるわけですし、「自己責任」というテクニカルタームは非常に便利に使えますね。
おそらく、スタートラインが全く違うところから始まるので、溝は埋まらないような気がします。