私は2年前、野中広務氏から内容証明付の手紙をもらったことがある。デジタル放送についての私の論文(ウェブでは野中氏の名前は削除してある)が彼の「名誉を著しく毀損」したので、「法的手段に訴えることもありうる」というものだった。

手紙にハンコをもらいに来た秘書は「これって、あの有名な野中さんですか?すご~い。がんばってくださいね」と励ましてくれたが、研究所と経産省はパニックになった。理事長に呼び出され、顧問弁護士と打ち合わせをし、東洋経済とも協議して丁重に返事を出し、結果的にはそれで終わったが、このときは野中氏(当時は橋本派の事務総長)の力の大きさを痛感した。

しかし私は、ある意味で野中氏を尊敬している。私も彼と同じ京都の出身だから、被差別部落に生まれるというハンディキャップがいかに大きなものであるかはよく知っている。それを乗り越えて自民党の最高権力者になるには、単なる権謀術数だけではなく、人並みはずれた能力と努力があったはずだ。魚住昭『野中広務 差別と権力』は、そうした彼の実像を当事者への取材によって克明に描いている。

私が野中氏の政治手腕に敬服したのは、2000年の接続料交渉のときだ。USTRのわけのわからない値下げ要求に対して、郵政省もNTTも値下げ幅を数%値切る交渉に全力を費やしていたが、3月末のデッドラインを超して沖縄サミットが近づいても、交渉は決着しなかった。ところが野中氏は、サミットの直前になってホワイトハウスと話をつけ、米国の要求をほぼ丸呑みする代わりにNTTへの規制を緩和する「政治決着」を実現したのである(これがのちの宮津社長のドタバタの遠因となる)。

このように日本の政治家にはまれにみる大局観をもつ野中氏も、小泉内閣への対応は誤った。小泉氏の緊縮財政の背後には、財政破綻を恐れる財務省の力があり、「弱者」を守ろうとする野中氏は、それに真正面から「抵抗」して敗れたのである。しかし自民党の集票基盤だった農協や特定郵便局は、現在では弱者を守るシステムではなく、弱者を食い物にする連中の既得権にすぎない。それを丸ごと守ることは、弱者にとって意味がないばかりでなく、自民党にとっても大した役には立たないのである。