Economist誌によれば、ネオコンは死んだようにみえるが、その共和党右派への影響力は残っているという。

ネオコンの源流は、トロツキストや民主党左派にあり、彼らのめざすのは「大きな政府」である点で、共和党の本流とは違う。そのイデオロギーの特徴は、「保守主義」というよりは「価値絶対主義」である。自由主義や民主主義といった米国憲法の原則は絶対的な真理であり、米軍がイラクを征服すれば、彼らは日本人のようにそれを歓喜して迎えるだろう――という彼らの自民族中心主義は、ポストモダン的な懐疑主義へのアンチテーゼなのだ。

ネオコンの教科書ともいえるケーガンの本の原題は"On Paradise and Power"で、欧州のポストモダンが冷戦後の世界を「平和の楽園」とみるのに対して、現実は逆に民族対立やテロリズムなど「力」(権力・武力)の重要性の増す時代だという。こうした混沌とした世界では、ポストモダンのようなニヒリズムは有害であり、絶対的な「自然権」にもとづく倫理が必要だ、というのが彼らの教祖レオ・シュトラウスの主張である。

疑いえない「自然な」規範が存在するのかどうかは、法哲学の永遠の争点だが、従来は「分配の正義」を主張するのが民主党で、そういう規範の存在を否定するのが共和党という色分けだった。この意味でもネオコンは突然変異であり、ブッシュ政権の主流であるキリスト教右派と似ている。現代の米国でこうした「反動思想」が勢いを得ている原因は、ブッシュ政権だけの問題ではないし、マイケル・ムーアのような下部構造決定論でも説明がつかない。

米国憲法は、ハンナ・アーレントもいうように、独立した市民が自由や平等などの抽象的な原理によって公共空間を構築できるかどうかという実験だった。しかし、その実験は200年余りをへた今、失敗したようにみえる。人々が豊かになり、飢えや生活苦から解放されるにつれて、逆に精神的な不安は強まる。米国民の9割が神を信じている(その比率は上がっている)という事実は、人間は絶対的な自由=孤独には耐えられないという平凡な真理をあらためて示している。ネオコンの背後にあるのは、こうした価値の崩壊への不安なのである。