Divided Sun: Miti and the Breakdown of Japanese High-Tech Industrial Policy, 1975-1993 (I S I S STUDIES IN INTERNATIONAL POLICY)
最近、TRONが再評価されているという。「日本発の国際標準」となるはずだったのに、通商交渉で米国がスーパー301条の制裁対象の候補にしてつぶしたというのだ。これは坂村健氏がいまだに繰り返している話だが、嘘である。当時、彼と仕事で1年もつきあわされた被害者として断言するが、TRONがものになる可能性なんて万に一つもなかった。

本書は通産省の産業政策の失敗を分析した研究だが、その最大の失敗例が第5世代コンピュータとTRONである。それは坂村氏が「日の丸OS」として通産省に売り込み、だまされた官僚がメーカーと文部省を引っ張り込んで学校用コンピュータの標準にしようとしたが、MS-DOSと互換性のない国内規格をまじめに開発する企業はなく、物を実際に作っていたのはパソコンで出遅れた松下だけだった。

今でも工業用のITRONは使われているので、組み込みシステムとして地味にやればよかったのに、風呂敷を広げすぎて自滅した。セールストークは派手だが、設計は凡庸で、パソコン用のBTRONの中身はMacOSの物まねにすぎない。CPU(Gマイクロ)も、互換性がないのだからせめてRISCにして処理速度を上げればよかったのに、平凡なCISCで結局、商品にはならなかった。

BTRONはエミュレーションの「張り子細工」だった

当時「BTRONマシン」として発表されたのは、80286によるエミュレーションで、デモだけが動く張り子細工のようなものだった。当時の日経産業新聞(1989/6/13)はこう伝えている:
BTRON仕様のOSを開発したのは松下1社だけで、他の11社は松下から調達した。しかし関係筋によると各社の試作機に多くのバグ(ソフト上の誤り)があって、改良に手間取り、88年度中に完了する計画だったCEC(コンピューター教育開発センター)の内部評価もまだ終わっていない状態だ。

計画の遅れの原因を単純化すれば(1)コンピューターの実績に乏しい松下依存のOS開発(2)トロン協会の仕様書が大ざっぱだったこと(3)坂村氏個人のリーダーシップの欠如――に尽きる。[....]こうしている間に教育現場からは「すでに10万台も導入済みのパソコンとの継承性を最優先すべきだ」という声が再度強まっていた。そこへUSTRのトロン批判が加わり、CECが標準規格づくりを断念したわけだ。

USTRがTRONを「不公正貿易慣行」としたのは誤解だった。TRON協議会には、IBMなど外資系企業も入っていたからである。しかしUSTRが要求したのは、「学校用のパソコンに特定の規格を強制するのはおかしい」ということで、これは実は当時の文部省の主張と同じだった。

「口先標準」にすぎないBTRONを全国の学校に配備することなど、できっこなかったのだから、米国の脅しは、いやいや参加していたメーカーが手を引く絶好の口実だったのである。結果的には、TRONは制裁対象にはならなかったのに、あっという間に消えてなくなった。

NECでさえ、最後まで公式にはTRONに反対だとはいわず、TRON協議会に入ったばかりか、CECにTRON仕様のパソコン(もちろん松下のOEM)を納入までしているのだ。撤退の経緯について、本書にはおもしろいことが書いてある。
松下は、BTRONから撤退するにあたって、BTRONが通商摩擦を引き起こし、海外のパナソニック製品の売り上げに影響することを理由にした。これは、日本語でいうタテマエだった。松下は、BTRONに未来がないと公式に宣言することによって、坂村と自社の顔をつぶしたくなかったのである。(p.145)

坂村氏は、とにかく目立ちたがり屋である。マスコミが大好きで、CPUもOSも何もない段階で、NHKに「TRONの特集番組を作ってくれ。カネはTRON協議会の参加企業が出す」と売り込み、「マルチメディア」でもうけようとしたNHKがまんまとだまされて、1億円以上の赤字を出した。支援しているはずのメーカーが、1社もカネを出してくれなかったからである。要するに、役所におつきあいする「保険」にすぎなかったのだ。

歴史を偽造して教訓を学ばない産業政策

こういう経緯は、当時の関係者はみんな知っており、坂村氏が知らないわけがない。それなのに、昔のことをよく知らないマスコミに嘘をついて、失敗を外圧のせいにするのは、歴史の偽造であり、「政府が技術開発に介入すると失敗する」という真の教訓を見失わせる。役所もメーカーも、失敗だとは認めたくないので、こういう嘘がまかり通っているのである。

TRON計画の残骸であるITRONが生き延びたのを「TRONは外圧に負けないで成功した」と思っている向きもあるようだが、ITRONはPDCという携帯電話の日本ローカル規格の「おまけ」にすぎない。世界の携帯電話のシェアの77%は欧州規格のGSMであり、PDCは1.5%にすぎない。

ITRONも、裸のPDC端末にブラウザをつけるインターフェイスとして使われただけで、それ以上の複雑なことはできない。ドコモも、第3世代ではLinuxを採用する。PDCもITRONも、PC-9800のような過渡的な規格であり、むしろ国際標準化の失敗の産物なのだ。「日本発」などということは、標準を選択する際の基準にはなりえない。

坂村氏は最近、また「ユビキタスID」というのを提唱しているが、その実態は日立のICタグしかない、あいかわらずの口先標準である。彼は「日本の国益が大事だ」などとナショナリズムをあおっているが、ICタグの国際標準としては、すでにAuto-IDがある。TRONをつぶしたのはアメリカではなく、このように政府がコンピュータ産業に介入する産業政策だったのだ。

追記:週刊ダイヤモンドの私の記事に対して、坂村氏からの手紙が編集部に届いた。便箋(!)3枚にわたって綿々といいわけがつづられ、わざわざ「誌面には載せなくてよい」と書いてあるが、上述の事実関係は否定していない。彼も自分の嘘は自覚したようだから、もうこれでやめておく。