政党崩壊―永田町の失われた十年―(新潮新書)
1993年6月18日、宮沢内閣の不信任案が可決された歴史的瞬間を、テレビ局で国会中継を担当していた私は、現場の中継車で見ていた。三八年間続いた自民党政権が終わるという事件を、議決の瞬間までだれも信じられなかった。その後の解散・総選挙によって連合政権ができ、細川首相が誕生したとき、「これで日本が変わる」と多くの人が思ったことだろう。

ところが、その細川政権がわずか八ヶ月で倒れてから、日本の政治は混迷を重ね、現在に至るまで「永田町の失われた十年」が続いてきた。本書は、その十年間の多くの政党の離合集散を裏方で見てきた著者のメモをもとにしたドキュメントであり、複雑な経緯を手際よくまとめている。

この混乱の主役は、いうまでもなく小沢一郎氏である。宮沢内閣を倒し、細川護煕氏を首相にしたときまでは、小沢氏の決断はすべて図に当たったが、細川内閣が倒れてからの彼の判断はすべて裏目に出た。最大の失敗は、社会党を連立政権から追い出し、自社さ連立によって自民党の復権を許してしまったことだ。

著者によれば、細川政権ができた直後から、自民党の社会党に対する工作は始まっていたという。変化をきらうことで一致する自社両党の野中広務氏と野坂浩賢氏らが「国対」ルートで連携し、それを武村正義氏が政治的野心に利用して、「小沢つぶし」で手を組んだのである。

著者もいうように、非現実的な政策を掲げて自民党の長期政権を支えた社会党こそ戦後政治の諸悪の根源であり、この「万年野党」を解体することを標的にした小沢氏の戦略は正しかった。しかし彼の戦術は、側近で固めて裏取引で合従連衡を進める派閥的な手法で、その独善的な体質が反発を招いて、混乱の最大の原因となった。

自民党の打倒を唱えながら「自自連立」を行う小沢氏の矛盾した行動の背景には、自民党が分裂しない限り安定した二大政党はできないという「保守二党論」があったという。これに対して自民党には理念も戦略もなかったが、そのしたたかさは一枚上だった。政権につくためには社会党の委員長にも投票するという奇策は、小沢氏には想像もつかなかっただろう。

こういう「野合政権」はすぐ崩壊すると小沢氏はみたが、崩壊したのは新進党のほうだった。彼に、社会党を取り込んで食いつぶした自民党のような老獪さがあれば、度重なる分裂・抗争は避けられたはずだ。この十年は、小沢氏のよくも悪くも原則的な政界再編の戦略が、「雑食動物」のような自民党に飲み込まれてしま う過程だった。

この十年を総決算する選挙が近づいているが、著者も嘆くように、この間に政党は何も成長しなかった。政治改革は選挙制度に矮小化されてしまったが、日本の政治の最大の欠陥は、政策の立案・実行装置としての政党が機能していないことだ。

小泉政権のように、首相が改革を唱えても閣僚が反対するような状態で、公約を「マニフェスト」といい換えただけで実行できるはずもない。その原因は、これまで自民党が政策を官僚機構に「丸投げ」してきたことだ。野党に至っては、細川政権のように逆に官僚機構に操られるだけだ。いま必要なのは、著者のいう「ビジョン」を描くだけではなく、それを実行するための新しい政治の「インフラ」を作ることだろう。