2002年2月1日

広瀬道貞様

突然のお手紙で、失礼します。広瀬さんは、かつて朝日新聞の政治記者として活躍しておられましたね。あなたが20年前に書かれた『補助金と政権党』という本は、公的な補助金が政治家の私的な集票装置として利用され、民主主義を腐らせてゆく過程を、詳細なデータと冷静な分析によって明らかにし、政治学の研究書でも引用される名著です。

そうした大ジャーナリストが社長になれば、日本の民放のレベルも少しは上がるかと思ったのですが、あなたの今年の「年頭あいさつ」を見ると、どうやら逆のことが起こっているようですね。テレビ朝日のホームページには、こう書かれています:
・・・第一は、通信と放送をめぐる安易な制度改革には断固反対していくということです。コンテンツとインフラの分離、テレビ局に対する電波の割り当てを止める案―こんな改革は断固阻止すべきだと信じています。第二は、地上波のデジタル化の件です。いわゆるアナアナ変換計画には大きな支障がでています。しかし、デジタル化は技術の進歩からいって避けることのできないものであり、放送事業者のサービス・仕事の領域を拡張していく事ができます。計画の円滑な推進を政府に求めていきたいと思います。
ここで「断固反対」しておられるのは、昨年末に政府のIT戦略本部に提出されたIT関連規制改革専門調査会の提言、「IT分野の規制改革の方向性」のことだと思われますが、これが「安易な制度改革」だというのはどういう意味でしょうか。今回の提言では、通信と放送の融合を進める一方、コンテンツとインフラを分離する政策が提言されています。すべての情報がインターネットに乗る時代には、情報の中身を通信とか放送とか区別する意味はないので、インフラを開放してサービスの規制を撤廃しようというものです。これは既存の通信・放送業界の秩序を根底から変える抜本改革で、とても「安易」に実現するものではありません。

「テレビ局に対する電波の割り当てを止める」とありますが、IT戦略本部が提唱しているのは、電波の「有効利用」です。地上波デジタル放送に使うことになっているUHF帯では、現在の携帯電話に割り当てられている2倍もの周波数が、20年以上あいたままほったらかしです。これをブロードバンドに有効利用すべきだという議論が出るのは当然でしょう。これに「断固反対」するのは、あなたがかつて指弾した「公の資産を利用した私的利益の追求」ではないのでしょうか。

地上波デジタル放送は、周波数を変更する「アナアナ変換」に総務省の補助金600億円を引き出したものの、いざやり始めると2000億円もかかることが判明して、計画は完全に破綻してしまいました。「計画の円滑な推進を政府に求めていきたい」というのは「補助金をもっとよこせ」ということでしょうか。まさか補助金の弊害をあれだけ克明に分析されたあなたが、民間企業の中継局に国費を投入する(違法の疑いが強い)補助金をこれ以上要求するおつもりではないでしょうね。

BSデジタル5社の赤字は、今度の3月期で合計300億円を超えると予想されています。資本金数百億円の会社がこんな赤字を毎年垂れ流していたら、数年で消滅するでしょう。設備投資がNHK・民放あわせて1兆円を超える地上波デジタルの赤字は、これより一桁大きくなると予想されます。日本テレビの氏家社長(民放連会長)も認めるように「地上波デジタルは事業としては成り立たない」のです。このまま突入したら、あなたはテレビ朝日の経営破綻の引き金を引いた経営者として歴史に残るでしょう。

最後に残った大義名分は「電波の有効利用」ですが、そのために10年もかけて引越しする必要なんてありません。今すぐUHF帯を無線インターネットに開放すればよいのです。その際、必要であれば既得権としてテレビ1チャンネル分(毎秒4メガビット)ぐらいは枠を認めてもよいでしょう。なにしろ今のUHF帯を開放すれば、数百社が無線インターネットを使って毎秒50メガビット級のブロードバンド放送を行うことも可能ですから、4メガビットぐらいはお安い御用です(もちろんVHF帯は返却するのが条件です)。

これは「電波の割り当てを止める」のではありません。インターネット時代には、そもそも「電波の割り当て」なんていらないのです。くわしいことは私の本に書いてありますが、簡単にいうと、広い帯域を全ユーザーが共有してデータを流す「スペクトラム拡散」という技術によって、特定の周波数を占有する意味はなくなったのです。

あなたは、民放連の放送計画委員長として「NHKのインターネット放送規制」を主張しておられますが、NHKの「肥大化」がけしからんというのなら、民営化せよというべきではありませんか。規制の撤廃や特殊法人の民営化を唱えるテレビ朝日も、自分の業界だけは規制を強化してほしいというのでは、あなたの批判する土建業界と大して変わりませんね。既得権益を擁護している印象を避けるため、ことさらに新聞の社説的な論調で政府を批判しておられるところに、かえって胡散臭さを感じます。正直に救済を求める土建業者のほうが「正義」を装わないだけましです。

ブロードバンドがテレビの敵だと思っておられるのかもしれませんが、これは逆です。ブロードバンドは、むしろ放送局にとってはテレビの放送開始以来の大ビジネス・チャンスなのです。テレビの映像を全国に放送するコストは、無線インターネットを使ったIPマルチキャストなら数百億円ですから、アナアナ変換のコストを転用するだけで電波が「デジタル化」できます。そして、コンテンツの競争で優位に立つのは、多くの番組資産を持つテレビ局です。ブロードバンドで最大の資産となるのは、電波ではなく制作・編成能力なのです。

もっと深刻な問題は、今回の補助金によって民放が事実上「国営放送」になることです。一昨年の秋、森内閣の中川官房長官の録音テープが一部の民放で放送されたとき、自民党郵政族のドンは「こんなテレビ局に補助金を出す必要があるのか」と発言しました。その直後にアナアナ変換の補助金850億円からキー局の分だけが減額され、日本テレビは民主党の選挙コマーシャルの放送を「自粛」しました。あなたが『補助金と政権党』で書かれたように、「補助金は、財政を悪化させ、国民の税負担を重くするばかりでなく、民主政治の根っ子を侵食しつつある」のです。

そもそも政府から免許をもらっているなんて言論機関としては半人前だ、と新聞記者はテレビを軽蔑してきたのではありませんか。その免許行政のくびきからテレビ局を解放し、NHKも民放も外資も同じ土俵で競争することによって多様なコンテンツの自由な流通を実現しようという改革に、あなたが反対される理由がわかりません。かつての大ジャーナリストも、言論の自由より独占利潤のほうが大事なのでしょうか。

私も元同業者ですから率直にいいますが、テレビ局はインターネットについて最も無知な業界の一つです。あなたも「裸の王様」になっておられるのではないでしょうか。しかし客観状況を取材すれば、あなたが今回の改革の意味と放送業界にとってのメリットを理解できないはずはありません。テレビ局が先頭に立って電波を国民に(あるいは世界に)開放すれば、IT産業ばかりでなく日本経済の活性化にも大きな力となるでしょう。

失礼な言葉をお許しください。敬具。