2010年02月

老人支配の構造

拙著の「希望を捨てる勇気」というタイトルが、このごろ「日本経済をダメにする悲観論」の代名詞として使われるので、ひとこと弁明しておこう。

最後まで読んでいただけばわかるが、これは「古い経済システムを延命すれば何とかなるという希望」を捨てないかぎり、長期停滞を抜け出すことはできないという意味である。経済システムという言葉が抽象的なら、労働市場といってもよい。中高年の「終身雇用」や年金の負担を若年層に押しつけ、おまけに所得再分配の原資まで国債で調達して将来世代から1人7000万円も収奪する老人支配が問題の本質なのである。

若者は老人から財産を相続しており、これまでの世代の築いた豊かな社会の恩恵を受けているので世代間格差はそれほど大きくないという批判もあるが、深刻なのは所得よりも雇用である。先日、人事コンサルタントに「雇用規制を緩和しろという池田さんの意見には賛成だが、もうそういう局面ではない」といわれた。企業は雇用規制を回避して賃金を実質的に切り下げるテクニックを熟知しており、団塊世代の社員が大量に定年退職する欠員を契約社員で埋める労働人口全体の非正規化が進んでいるという。

この背景には、賃金コストを下げたい経営者と正社員の既得権を守りたい労働組合の結託があるので、前者を代弁する自民党も後者を代弁する民主党も、この不公平を隠して「構造改革が格差を拡大した」などと宣伝する。「コンクリートから人へ」というのは目くらましで、公共事業もバラマキ福祉も、現在世代の消費のコストを将来世代に転嫁する点では変わりない。それは国債が課税の延期であるということがわかりにくい財政錯覚を利用して、老人の既得権を丸ごと守る戦術である。

だから財政の問題は、老人支配の縮図である。現在の増税の対義語は「無駄の削減」ではなく、将来の増税なのだ。国債によって増税を延期することは、老人に収奪される若者からさらに多く収奪し、不公平を拡大することに他ならない。デフレの原因は、このような将来への不安が大きくなって消費が沈滞し、企業が投資しないで貯蓄する(自然利子率が負になる)ためであり、その不安は正しい。

かつて銀行が不良債権の処理を先送りした結果、日本の金融システムが壊滅したように、政府債務の処理をこれ以上先送りすると、財政が壊滅して日本経済は回復不可能な打撃を受けるだろう。経済を建て直すには、この大きなゆがみを是正して人々の不安を払拭することが最優先の課題である。

もちろんそれは巨大な所得移転をともなうので、政治的にはきわめて困難だが、それを放置したまま、バラマキ福祉やリフレで「日本経済の問題がかんたんに解決する」などというのは幻想である。そういう偽の希望を捨て、老人支配の構造を是正しなければ日本経済に希望がないという事実を直視することが、そこから脱却する第一歩である。

デフレについての文献リスト

「デフレについてどんな本を読めばいいですか?」という質問が来た。最近の政治家や素人のデフレ論議は、10年近く前に経済学者がやった論争を蒸し返している点が多く、池尾さんもいうように既視感が強い。同じ話を繰り返すのは非生産的なので、菅直人氏には無理だろうが、官邸のスタッフや秘書のみなさんには次の本ぐらいは読んでほしい:
  • Mankiw: Macroeconomics:世界標準のマクロ教科書の最新版で、公務員試験ぐらいの基礎知識があれば読める。ただしdeflationについての言及は3ページしかなく、debt-deflationで信用不安が加速する不安定化効果と、ピグー効果で実質資産が増える安定化効果の両方があると書いている。デフレで経済が崩壊するみたいに騒いでいるのは、一部の日本人だけ。

  • 『現代の金融政策』:現役の日銀総裁が教職にあったとき書いた金融政策の教科書。ゼロ金利や量的緩和は、不良債権の最終処理を支援する上では大きな効果があったが、インフレは起こらなかったと結論している。

  • 『ゼロ金利との闘い』:かつてのデフレ論争についてまとめたもの。日銀がインフレ予想に影響を与える方法についても理論的・実証的に検討し、「時間軸政策」には一定の緩和効果があったとしている。

  • 『デフレの経済学』:リフレ派の教祖の本。一般向けの本なので、どういうモデルで論じているのかがはっきりしないが、基本的にはIS-LMのようだ。ケインズ理論には予想形成が入っていないので、日銀がインフレ予想にどう影響を与えるのかというメカニズムについての説明が弱い。

  • 『この金融政策が日本経済を救う』:著者は中川秀直氏や渡辺喜美氏に強い影響を与えているので、彼らが何を勘違いしているかを理解するにはいいだろう。本書にも「マネーストック」も「マネタリーベース」も出てこず、「マネーサプライ」を日銀が自由自在にコントロールできるという話になっている。

  • 『失われた10年の真因は何か』:構造改革派のリーダー林文夫氏とリフレ派の論争。今となってはHayashi-PrescottのハードコアRBCモデルには無理があるが、素朴ケインズ理論ではなく動学マクロで問題を定式化し、論争の理論的レベルを上げた意義は大きい。
これ以外に、論争の発火点となったクルーグマン論文も必読。彼の「自然利子率がマイナスになっていることが日本経済の根本問題だ」という指摘は正しく、実質金利をマイナスにするためにインフレを起こすというアイディアもおもしろいが、日銀がインフレ予想をどうコントロールするかについては「経済学の範囲外だ」と書いている。その後、彼自身がリフレ政策を否定し、今回の経済危機では財政政策を推奨している。

なお4月上旬に『使える経済書100冊』(仮題)という本をNHK出版から出す予定。

ポスト・フォーディズムの限界

鳩山内閣が迷走する一つの原因は、政権中枢に社会主義者や労組出身者が多く、市場経済を理解している人がいないことにある。その失敗を理解する上で、菅氏や仙谷氏などの出発点となった構造改革派を理解することは意味がある。

構造改革は、イタリア共産党の創立者であるグラムシやトリアッティが、マルクス=レーニン主義へのアンチテーゼとして提唱した思想で、その主な柱は議会主義による政権奪取と労働者管理による経営である。これはプロレタリアートの武装蜂起による革命を基本方針とするコミンテルンの方針とは異なるため、構造改革は国際共産主義運動の中では異端であり、日本でも左翼の主流となることはなかった。

議会主義は今となっては当然だが、重要なのは労働者管理である。これは19世紀のサンディカリズム以来、社会主義の主流であり、マルクスが構想したのもレーニン的な国家社会主義ではなく、労働者が資本を共有して生産をコントロールする「自由な個人のアソシエーション」だった。その意味では、構造改革はマルクスの思想のすぐれた後継者であり、「ユーロコミュニズム」として欧州の社民勢力に強い影響を与えた。今でも欧州には、企業への労働者参加が制度化されている国が多い。

グラムシの生きた20世紀前半は、彼の命名したフォーディズムの時代だった。労働者が機械の一部とされ、資本家の命令によって管理されるオートメーションは、「人間疎外」の元凶であり、工場の管理を労働者が取り戻し、みずからの主人になるという工場評議会の思想は、大量生産型の巨大企業に対するすぐれた批判であり、1968年の「5月革命」の思想でもあった。

しかし結果的には、工場評議会運動は挫折した。日本でも、終戦直後に行なわれた「生産管理闘争」は労働者管理を求める運動だったが、GHQによって弾圧された。だが「会社は労働者のものだ」という考え方は広く受け入れられ、日本の「労使協調」による経営の基礎になった。この意味で、しばしば指摘されるように、一時期までの日本企業は世界でもっとも成功した労働者管理企業であり、トヨタはポスト・フォーディズムのモデルとなった。

いま日本が直面している問題は、このような労働者管理企業の限界である。それは市場全体が拡大を続けているときは、配置転換や系列関係などのネットワークによって環境変化に柔軟に対応できるが、市場が収縮してネットワーク自体の存続がおびやかされると、意思決定が麻痺してしまう。労働者管理企業は全員のコンセンサスによって動くので、組織の一部を犠牲にして中枢が生き残る戦略的な判断ができないのだ。

資本主義が労働者管理企業よりすぐれているのは、残余コントロール権者としての株主がリスクもリターンも取るため、撤退や売却などの意思決定が容易なことだ。これは80年代以降の産業構造の変化にもっとも早く対応したのが、アメリカ企業だったことでも証明された。株主価値を基準にして企業を再構築する株主資本主義は、こうした大規模変化に強いのである。

この意味で、民主党が法制審に諮問した公開会社法は、日本企業が労働者管理を脱却しなければならないとき、労働者参加を法的に義務づける時代錯誤である。おまけに労働分配率と配当性向を取り違えて、日本の会社の「株主保護が行き過ぎている」などという話は、ナンセンスというしかない。いま日本に必要なのは、トヨタに代表されるポスト・フォーディズムの挫折を超えて、普通の資本主義を導入することである。

宗教戦争と法の支配

Law and Revolution, II: The Impact of the Protestant Reformations on the Western Legal Traditionいま日本の直面している変化は、人々が自覚している以上に大きなものである。それは伝統的な共同体から日本人が継承した長期的関係によるガバナンスから、近代西欧に特有の契約社会への移行だ。本書は、この問題を宗教史の大家がまとめた大作の第2部である。

第1部では、11世紀にカトリック教会によって西欧文化圏が統合されて普遍的な教会法の支配が成立したことが、近代社会の決定的な要因だったとしている。本書ではそれに続いて、宗教改革によって自律的な個人の契約(covenant)による組織としての株式会社ができたことが、西欧の成功の原因だったと結論している。他方、ファーガソンもいうように、株式によってリスクを分散する契約としての株式会社も重要なイノベーションだった。

近世の欧州で続いた宗教戦争の原因は、経済システムが契約ベースに変わったのに対して、カトリック圏の伝統的文化が適応できず、それが宗派間の争いとして表面化したことにあった。著者が強調するのは、経済的な土台が法的な上部構造を規定するというマルクス以来の図式を逆転し、宗教的文化が法的な規範の基礎となり、それが経済システムの構造を決めるということだ。

ゲーム理論的に見ると、商圏が拡大するにつれてグライフの描いたマグレブ商人(長期的関係)からジェノヴァ商人(契約)への覇権の移行が起こったわけだが、「下部構造」としての宗教が変わらないまま「上部構造」としての経済だけが変化すると社会全体にひずみが生じ、それがイデオロギー対立を生み出す。

現代の日本でも、デジタル革命によって労働者を企業に閉じ込める日本型企業コミュニティの優位性がなくなり、20世紀初頭以降、一貫して続いてきた企業の大規模化のトレンドが逆転し始めている。「クラウド・コンピューティング」によってインフラの固定費がなくなり、契約ベースのビジネスが増える状況は、こうした変化を加速するだろう。

著者も指摘するように、契約ベースの社会は、生まれたときから快適なものではなかった。それは人々を不断の競争にさらし、貧富の格差を広げ、伝統的な社会を破壊する。それを神の秩序に反するものとして攻撃したカトリック教会のイデオロギーは、今日「市場原理主義」を攻撃して貧しい人々に施しを与えようとする民主党に似ている。

しかし経済圏がグローバルに広がるときは、両者の効率の圧倒的な差によって、このシステム間移行は避けられない。それはかつては100年以上にわたる宗教戦争を引き起こしたぐらい大きな変化であり、平和裡に進むとは限らない。おそらく日本でも、もっとも大きな変化はこれから来るだろう。

共産党化する民主党

鳩山首相が、共産党の「内部留保課税」の提案に対して、前向きに検討すると答えたことが波紋を呼んでいる。支持率の低下に苦しむ鳩山内閣は、いよいよ共産党と手を組むのだろうか。

共産党の提案は磯崎さんも指摘するように単純なナンセンスで、企業に「内部留保」という現金がうなっているわけではない。しかし問題は内部留保のうち預金が異常に多いことで、世界中で企業部門が貯蓄超過になっているのは日本だけだ。企業というのは、借り入れによって設備投資を行ない、そのリターンで借金を返すシステムだから、企業の貯蓄が借り入れを上回るというのは異常な状態で、企業活動が実質的に収縮していることを意味する。

企業の配当が多すぎるという藤末健三氏の議論は、分母が間違っている。GDP比でみると日本の配当は3.5%と、利益の規模が同程度のドイツに比べても1/4である。藤末氏の主張とは逆に、日本の企業は株主を軽視して利益を彼らに還元せず、貯蓄に励んでいるのだ。脇田成氏も指摘するように、デフレの最大の原因はこのように企業が金を借りない(貸している!)ことで、この状態でいくら通貨供給を増やしても銀行貸し出しが増えるはずがない。

その原因は諸説あるが、一つはバブル崩壊後に行なわれた過剰債務の解消が、その後もずっと続き、それがトラウマになって「無借金経営」をめざす企業が増えていることだろう。もう一つの理由は、経済が停滞して投資機会が減るとともに、過剰コンプライアンスによってリスクが取りにくくなり、企業のアニマルスピリッツが低下していることだと思われる。

この対策としては、磯崎さんの提案するように、預金に課税するというのが一案だが、これは政治的に実現するとは思えないので、同じ効果をもたらす方法として投資減税がありうる。これも環境関連など裁量的に実施しないで、設備投資に一律に軽減税率を適用するほうがいい。法人税の引き下げも必要だが、企業が利益をため込む傾向が変わらないかぎり、投資不足を是正する効果は限定的だ。

根本的な問題はアニマルスピリッツが衰退していることで、こればかりは税制ではどうしようもない。ただ「市場原理主義」を指弾して企業への課税を強化しようとする首相の共産主義的な言動が、企業をさらに弱気にすることは確実だ。「内部留保課税」なんかやったら、大企業は海外逃避して投資はさらに細り、そのしわ寄せはもっとも弱い人々に行くということが、首相のような金の苦労を知らない人にはわからないのだろう。

舛添要一氏などが「小泉改革の継承」をとなえて新グループを結成したことは、この状況を変えるきっかけになるかもしれない。舛添氏自身は、必ずしも「小さな政府」派ではなく、厚労相だったころは派遣労働規制の旗を振ったりしていたが、少なくとも次の選挙で生き残るには「大きな政府」では危ないと気づくぐらい目先はきくのだろう。

仲介機能の失敗*

乗数効果も知らない菅財務相が、「1%のインフレ目標」に言及した。インフレ目標の支持率は、知能に反比例するようだ。

マクロ政策をこのような数値目標だけで考えるのは根本的に誤っている、というのが先日も紹介したIMF論文のメッセージである。ブランシャールたちが強調するのは、金融仲介機能が重要だという点である。これは当たり前のようだが、実は現代のマクロ経済理論には金融仲介機能は存在しない。それどころか、貨幣が存在しないのだ。

これは金融理論の最大のパズルとして昔から知られており、定性的には答はわかっている。Kiyotaki-Wrightの示すように、だれも貨幣を使わない経済(物々交換)と全員が使う経済(貨幣経済)の複数均衡があり、自分の求める財を持っている相手をさがすサーチ・コストが低い場合には物々交換が支配的となるが、財の種類や好みが多様化してサーチ・コストが一定の水準を超すと全員が貨幣経済に移行する。

このような仲介機能は貨幣や銀行だけではなく、近代社会を支えている分業の基本的なメカニズムである。分業は「他人が約束を守る」と互いに信用することで成り立っているので、誰もがその前提を疑い始めると、disorganizationが起こってシステムが崩壊してしまう。それを防ぐ信頼こそ経済のコアだ、というのがアカロフ=シラーの指摘である。

この意味で今回の金融危機の最大の教訓は、白川総裁のいうように「インフレーションターゲティングを採用しているかどうかは現在、金融政策の枠組みを議論する上で、意味のある論点、切り口ではなくなってきている」ということだろう。金融危機における最大の問題は物価でも金利でもなく、金融仲介機能の健全性なのである。

仲介機能はミクロの問題であるとともにマクロ経済にも大きな影響を及ぼし、長期的な自然水準を制約するとともに短期的な金融収縮の原因ともなる。つまり短期と長期の二分法というDSGEのセントラルドグマが反証されたのだ。もちろん考え方として自然率を理解することは重要だが、エルゴード性を満たさない複雑系では自然率は存在しない。こういうシステムは一般に解析的には解けず、数値シミュレーションのような方法しかない。

経済学が「お金」を扱う学問だというのは誤解で、それは人間の行動を扱う学問であり、定量的に分析できるのはごく一部である。ところが数学的な論文のほうが学問的な業績になりやすいので、数値化しやすい問題に研究が片寄り、中央銀行にもそういう「数値目標バイアス」がある。タレブも批判するように、金利や物価だけを見て住宅バブルを無視したグリーンスパンの金融政策は、こうした失敗の典型だ。

このようなバイアスを反省して、バランスのとれた政策をとるためにはもっと幅広い政策目標が必要だ、というのがIMFと日銀の総括だ。いまだにインフレ目標が『日本経済復活の一番かんたんな方法』だなどと騒いでいる自称経済学者は、今回の危機から何も学んでいないのである。

勝間和代氏の落第答案

自分をデフレ化しない方法学年末は、憂鬱な季節である。日本語にさえなっていない答案を100枚以上、採点する仕事は精神的な拷問だ。それがやっと終わったと思ったら、本書が贈られてきた。これは日本語になっているだけましだが、内容は残念ながら「不可」である(リンクは張ってない)。間違いをチェックしたら、ほとんど毎ページにあるので、それを添削することはあきらめ、根本的な間違いだけ指摘しておこう(以前の記事の繰り返しなので、興味のない人は無視してください)。

本書の前半はデフレと無関係な自己啓発の話だが、後半は以前の記事でも紹介した国家戦略室へのプレゼンテーションの解説だ。彼女が延々と力説する「マイルドなインフレが望ましい」という規範的な目標は、日銀も含めて誰も否定していない。問題は、ゼロ金利のもとでインフレを人為的に起こせるかという実証的な問題である。彼女はこう書く:
私は政府が新たに30兆円分の国債を発行し、それを日銀が引き受ける方法がいいと思います。高橋是清と同じ方法です。国債の日銀引き受けは今は法律で禁じられていますが、財政法5条の規定により国会の決議があれば可能です。
もちろん法的には可能だが、国債の日銀引き受けに特別な効果があるわけではない。日銀が国債を買う場合も、財務省の銀行口座に資金を振り込むので、これは実は日銀が銀行から短期国債を買って銀行の準備預金を増やす普通の買いオペとほとんど変わらない(違いは銀行による国債入札がないことだけ)。国債の分だけ財政支出を増やすなら、それは金融政策ではなく財政政策である。

だから勝間氏の推奨する30兆円の国債引き受けの金融政策としての効果は、量的緩和と実質的に同じだ。「インパクトがこれまでと違う」というが、彼女のバカにしている日銀の量的緩和で35兆円の資金供給が行なわれたことを知らないのだろうか。問題は日銀がいくらマネタリーベースを増やしたかではなく、民間に流通するマネーストックがいくら増えるかである。

ところが勝間氏の本には、マネタリーベースもマネーストックも出てこない。「お金を流してみる」といった素朴な表現が繰り返されるが、彼女は日銀が30兆円通貨を発行したら、市中に30兆円の「お金」が流れると思っているのだろうか。

基本的なことだが、マネーストック=マネタリーベース×貨幣乗数である。日銀の発行した通貨が民間で3回使われると、マネーストックはマネタリーベースの3倍になるわけだ。他方、資金需要がなくて民間で金が使われないと、マネタリーベースを増やしてもマネーストックは増えない。事実、前の記事でも紹介したように、日銀が激しく量的緩和(マネタリーベースの増加)を行なった2001~6年にも、マネーストックはほとんど増えなかった。


ゼロ金利のもとでは民間企業の資金需要が飽和しているので、それ以上マネタリーベースを増やしても、銀行の日銀口座で「ブタ積み」になり、マネーストックは増えないのだ。勝間氏が手本として推奨しているようにイングランド銀行も量的緩和を行なったが、マネーストックは逆に減少し、最近中止された。FRBもバランスシートを2倍にしたが、デフレ傾向は止まらなかった。資金需要がないため、貨幣乗数が急落して1を下回ったからだ。


同様の事態は、欧米諸国で一様に観測されており、量的緩和を再開した日本でも銀行貸し出しは減った。ここ1年半に世界で大量に供給された資金は、金融システムの安定化には意味があったが、狭義の金融政策としての効果は疑わしい、というのがIMFの総括である。

素人の勝間氏が金融を知らないのは無理もないが、この原稿は飯田泰之氏などの経済学者も見たのではないか。まさか飯田氏がマネーストックとマネタリーベースの区別も知らないとは思えないが、こんな学部学生でも落第するような答案を出版してしまう版元(文藝春秋)にもモラルが欠けている。

脱炭素化はビジネスチャンスではなくコストである



言論アリーナでロンボルグも有馬さんも強調したのは、地球温暖化対策には莫大なコストがかかるということだった。温暖化を止めるという理想に反対する人はいないが、そのコストがどれぐらいかかるのか知っている人は少ない。

おまけに脱炭素化のコストは、ウクライナ戦争で激増した。再エネをバックアップする天然ガスの価格が上がったからだ。ロンボルグの住んでいるデンマークは再エネ100%で電力を供給しているが、図のように電気代は世界一高く、日本の2倍である。

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費用対効果はどうだろうか。IEAの提唱した「ネットゼロ」のメリットは毎年4.2兆ドルだが、そのコストは毎年25.5兆ドル。コストはメリットの6倍である。温暖化対策のコストは、多くの政治家や国民が考えているよりはるかに大きく、そのメリットは先進国ではほとんどない。

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「ネットゼロ」の便益と費用

日経新聞は「カーボンゼロ」でもうかると思っているが、もし脱炭素化がビジネスチャンスだったら、各国が交渉してCO₂を削減する必要はない。ほっておけば、みんな競って脱炭素化するだろう。脱炭素化はコストであり、課税なのだ。

再エネ先進国は電気料金も最高

特に最近は、欧州のエネルギー価格の上昇が激しい。「脱炭素化を進める」といいながら、天気の悪いときはロシアから供給される安い天然ガスでエネルギー供給していたが、そのガスがウクライナ戦争で遮断されたからだ。

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イギリスのエネルギー価格

脱炭素化というが、デンマークのような小国を除くと、再エネ100%で電力を供給できる国はない。ほとんどの国では(水力を除く)再エネ比率は半分以下であり、今でも最大のエネルギー源は化石燃料なのだ。

ウクライナ戦争は、こうした「脱炭素化先進国」の実態を暴く結果になった。再エネ比率が全米で最大のカリフォルニア州の電気料金は(アラスカ・ハワイを除いて)全米一で、平均のほぼ2倍である。

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こうなった原因は再エネ100%をめざして石炭火力をやめ、ガス火力を減らしたためだ。カリフォルニアは気候に恵まれているので、太陽光や風力でまかなえる電力は多いが、それでも悪天候の日には4000万人の人口の電力をまかなうバックアップ電源が必要だ。

ところがニューサム知事は蓄電池の義務づけでバックアップをしようとしたため、電源コストが上昇したのだ。カリフォルニアでは過去に電力危機で知事がリコールされた歴史もあるため、彼は廃炉にする予定だったディアブロ・キャニオン原発の運転延長を決めた。

温暖化対策のコストは、多くの政治家や国民が考えているよりはるかに大きく、そのメリットは先進国ではほとんどない。最近ようやくイギリスのスナク首相がそれに気づいたようだが、トランプ大統領が再選されれば、世界の流れが一挙に変わるだろう。

「検察リーク」について(これで最後)

上杉隆氏との対談「検察リークと記者クラブ報道にマジレス」が終わった。すれ違いに終わるのではないかと危惧していたのだが、意外に事実認識は違わないことがわかった。主な一致点は
  • 結果としての捜査情報の漏洩という意味での広義のリークはある。それを報道することは、厳密にいえば公務員の守秘義務違反の幇助だが、これを処罰すべきではない。それをやった西山事件は、報道の自由を侵害する汚点になった。しかし2006年の最高裁判決は、取材源(公務員)を秘匿するための証言拒否を認めた。

  • 検察が民主党政権を転覆するためにメディアに情報を流して情報操作を行なう、といった狭義のリークはない。検察は捜査情報が事前にもれることを非常に警戒しており、取材はきわめて困難で、普通の官庁のように記者クラブに積極的にサービスすることはない。ただし記者が取材した場合、検察に有利なように情報に「スピン」をかけることはある。

  • 公務員の情報漏洩は世界中にあり、記者クラブとは関係ないが、日本の情報漏洩は記者クラブを介して行なわれる点が特異である。特に非公開の「記者懇」によって記者クラブの全員に情報が提供されることが多いため、加盟社全体が検察に対して「借り」を負ってしまい、それが検察に不利な情報を出さないバイアスを生む。

  • したがって問題はリークの有無ではなく、それが記者クラブを介して行なわれる「日本的」な性格である。世界的には、報道の責任は記者個人が負い、記者会見の参加資格も個人レベルでチェックされるが、日本では記者クラブ加盟社の社員は無条件に会見に参加できるため、セキュリティ上も危険である。
意見が一致しなかったのは、
  • 上杉氏は「検察報道はすべて取材源を明示すべきだ」と主張したが、私はそれは不可能だし望ましくもないと言った。NYタイムズが一時そういうルールを実施し、background informationによる報道を廃止したが、報道がきわめて困難になるため、短期間でやめた。ただ海外メディアは、なるべく取材源を明示するよう努力し、日本の新聞のように「関係者」という表現は使わない。
そんなわけで、本質的な問題はリークではなく、記者懇のような不透明な形で行なわれる官民癒着だ、という点でわれわれの意見は一致した。ネット上に横行している「検察の情報漏洩は守秘義務違反だから取り締まれ」という類の意見はナンセンスであり、西山事件のような言論弾圧をまねく。検察のリークがいいか悪いかなんて、議論する価値もない。すべてはメディアの過剰報道と談合の問題である。

記者クラブのように業界団体を通じて「卸売り」で民間人をコントロールする構造は、日本的官民関係に共通の特徴である。それは高度成長期のように業界の構造が安定し、労働者が「終身雇用」で会社に拘束される社会では有効だったかもしれないが、社会の変化が激しく、個人ベースになっている現代にはそぐわない。民主党が本気で「国のかたち」を変える気なら、記者クラブによる情報独占を排して首相官邸の記者会見を一般開放することは、付け焼き刃の「成長戦略」よりはるかに大きな意味をもつだろう。

マクロ経済政策の再検討*

あちこちで話題になっているIMFの論文をざっと読んでみた。日経の記事には「平時から4%など高めの物価上昇率を容認し金利水準も引き上げることで、金融危機のような経済ショック時の利下げの余地を広げることが望ましい」と書いてあるが、この記者は明らかに原論文を読んでいない(か英語が読めない)。論文にはこう書いてある:
Should policymakers therefore aim for a higher target inflation rate in normal times, in order to increase the room for monetary policy to react to such shocks? To be concrete, are the net costs of inflation much higher at, say, 4 percent than at 2 percent, the current target range?
[...]
Perhaps more important is the risk that higher inflation rates may induce changes in the structure of the economy (such as the widespread use of wage indexation) that magnify inflation shocks and reduce the effectiveness of policy action.But the question remains whether these costs are outweighed by the potential benefits in terms of avoiding the zero interest rate bound.
と書いており、むしろ高いインフレ目標には否定的だ。そもそもこの論文の重点はインフレ目標にはなく、今までのマクロ政策の基本的な枠組を再検討することにある。もっとも重要なのは、金融政策と銀行規制を統合して金融システムを安定させることをマクロ政策の重要な柱とすべきだという提言だ。これは従来のマクロ経済理論にプルーデンス規制などがまったく入っていない点を改めるもので、きわめて重要な論点だと思う。

もう一つは、今回のような「流動性の罠」では金融政策はうまく機能しないので、財政政策の役割を再評価している点だ。ただし裁量的なバラマキはまずいので、ルールにもとづいた自動安定化装置のようなしくみを平時からつくっておく必要があるというのが、ブランシャールたちの提言である。

金融政策については、「有事」における流動性供給の意味は大きいとしているが、インフレ目標については政策手段としてはありうるとした上で、懐疑的な見方をしている。FTによれば、金利操作を超える積極的な(非伝統的)金融政策についてブランシャールは
For decades, central bankers’ only tool has been the interest rate. Some economists have suggested these should be used more actively to “lean against the wind” of credit markets. But Mr Blanchard robustly rejected such an approach. “[This] strikes me as totally stupid,” he said.
と強く否定している。リフレ派には気の毒だが、ゼロ金利における現実的なマクロ政策は金融システムの安定化と財政政策しかないというのが彼らの結論である。




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