2009年11月

デフレとどう闘うか

けさの朝日新聞に「デフレとどう闘うか」というテーマで、池尾和人氏と岩田規久男氏の主張が紹介されている。世間では「構造改革派vsリフレ派」と見ているのかもしれないが、両者の事実認識は次の点ではそれほど大きな違いはない:
  1. 現在の日本はデフレ状況にあり、これは好ましくない
  2. 日銀がインフレ目標を設けることには意味がある
  3. 量的緩和などの非伝統的な金融政策には一定の効果がある
違うのは日銀の政策についての評価で、次のように主張するのは岩田氏だけだ:
  1. 日銀はデフレを放置し、「デフレ誘導」を行なっている
  2. 「日銀は何もできない理論」によって日銀は対策をサボってきた
  3. 国債の日銀引き受けによって通貨供給を増やすべきだ
1は明らかに事実誤認である。日銀が意図的にデフレ誘導を行なった事実はない。こういう悪意ある表現が、日銀が彼の話に耳を傾ける気を失う原因になっているのではないか。3のような非伝統的金融政策については、彼の著書でも「円キャリーがアメリカの住宅バブルの一因だった」と認めているのだから、副作用にも言及しないとバランスを欠く。他方、池尾氏だけが主張するのは次のような点だ:
  1. 日銀がインフレ目標を宣言すればインフレ予想が起こるとは限らない
  2. 非伝統的な金融政策には副作用があり、慎重に行なうべきだ
  3. 本質的な問題は労働生産性を高めて潜在成長率を上げることだ
3の不況の主要な原因が短期の景気循環なのか長期の潜在成長率の低下なのかという論点について、池尾氏は後者だと見ているようだが、岩田氏にはそういう論点そのものが欠けている。「まずデフレを止めてから成長戦略を考えればよい」ということなら、いつまでもデフレが止まらなかったら生産性を上げなくてもいいのだろうか。

ただ岩田氏が繰り返しいうように、日銀のデフレについての表現が慎重すぎることは事実だろう。日銀はいつも金融業界のプロとしか接していないので、一般国民向けのコミュニケーションがへただ。過去に激しく量的緩和をやった割には大した効果がなかったことがトラウマになっている面もあるが、白川総裁ももう少し明るい顔で記者会見したほうがいいのではないか。首相官邸だけでなく、日銀にもメディア戦略が必要だろう。

開かれた政府という暴力装置

事業仕分けが「財務省支配」だという論評が多いが、これはある意味では正しい。霞ヶ関にほとんど足場をもっていない民主党としては、財務省と組まざるをえないからだ。これは当面の戦術としてはやむをえないが、「官僚支配を脱却する」という民主党の戦略とは矛盾する。細川内閣のときも、小沢一郎氏が斎藤大蔵次官と組んで増税を強行しようとしたことが、政権を空中分解させる結果になった。

先日みんなの党の勉強会に招かれたとき、渡辺喜美氏も「鳩山政権の司令塔は財務省だ。彼らが公務員制度改革も埋蔵金もつぶし、一部の予算の事業仕分けだけでごまかそうとしている」と批判していた。国家戦略局は財務省主計局に代わるものだったはずだが、藤井財務相が予算編成権を渡すことを拒否して宙に浮いてしまった。だから「内閣予算局」を設けて主計局を内閣に移すというのが、みんなの党の政策だ。

これは戦略としては正しいが、それをどう実現するのかという戦術がはっきりしない。戦後マッカーサーによって軍も内務省も財閥も解体されたときでさえ、大蔵省だけは残り、その一元支配はかえって強まった。渡辺氏によれば、このときGHQの押しつけた職階法を大蔵省が換骨奪胎し、給与法で年功序列システムをつくったことが、今の「**年入省」ですべてが決まる硬直的な年功序列システムの始まりだという。

予算編成権を内閣に取り戻す試みとして、唯一ある程度の成果を上げたのが、小泉内閣の経済財政諮問会議だった。概算要求の前に「骨太の方針」で内閣が予算の重点を決め、「工程表」にしたがって政治主導でリードしてゆく方式は、一定の成果があった。民主党の国家戦略局は、実はそのときの諮問会議をモデルにしたのである。しかし諮問会議のパワーは小泉=竹中コンビの属人的要因に依存しており、小泉内閣が終わると財務省支配が復活してしまった。

だからダイヤモンドオンラインで渡辺氏もいうように、公務員制度改革が行財政改革のコアである。しかしこれにもっとも強硬に反対しているのが財務省だ。現在の人事システムを解体するということは、給与法によって全省庁の人事も握っている財務省の権力を奪うことになるからだ。だから財務省支配を脱却するには公務員制度改革が必要だ・・・という循環論法になってしまう。

この悪循環を脱却するのは容易ではないが、そのヒントが今回の事業仕分けにあるような気がする。衆人環視の中で予算を査定するのは、行政刷新会議の事務局も「一種の暴力装置」といっていたぐらい官僚にとっては恐い。いくら予算書が形式的に整っていても、官僚の説明を聞いていると「この人は自分の仕事を信じてないな」というのが伝わってしまう。スパコンのときも、仕分け人の金田康正氏(東大教授)が「スパコン開発を決めたときの4つの目的は何か」と質問したのに対して、文科省の官僚は答えられなかった。

恐いのは査定する側も同じで、GXロケットのように財務省の資料が間違っていたりしたら命取りになる。今年は民主党が概算要求の再提出を求めて1ヶ月半も時間を空費したためドタバタになり、プロジェクトベースの事業しか仕分けの対象にできなかったが、2011年度予算の編成では概算要求の前に人件費や行政経費や特別会計を含めた「骨太の仕分け」をやってはどうだろうか。

公務員制度改革についての議論もすべて公開すれば、誰が妨害しているのかがはっきりする。国家戦略室が(前の国会で流れた)民主党案をもう一度出し、それに反対する各省庁と討論会をやってネット中継すればいい。官僚が国益を守ろうとしているのか省益や私益を守ろうとしているのか、顔色を見ればすぐわかるのが映像の恐いところだ。「開かれた政府」という暴力装置をいかにうまく使いこなすかというメディア戦略が、民主党政権の命運を左右するような気がする。

民主党の意図せざる革命

先日の「事業仕分けという人民裁判」という記事に対して、民主党関係者から「誤解があるようなので、現場を見ていただきたい」という申し入れがあった。せっかくのお招きなので、きょう3セッション見学した。

結論からいうと、「人民裁判」は言い過ぎだった。実際の事業仕分けは、むしろ退屈なぐらい淡々と質疑応答が行なわれ、仕分け人も遠慮がちな人が多い。特に国税庁のKSK(国税総合管理システム)についての追及は甘かった。これは佐々木俊尚氏も書いているように、税務署間の単なる連絡網に4000億円も費やし、年間600億円の維持費がかかる怪物的なプロジェクトだ。

KSKの元請けになっているのは、文祥堂という文房具屋。これは日本IBMのダミーで、そこに国内のITゼネコンが後から加わって6社のジョイントベンチャーになり、建て増しに建て増しを重ねて、建屋を担当している国交省も「誰にも全容のわからないお化け屋敷」という状態だ。これを「オープン化」するのに68億円使うというのが財務省の要求だが、これはまた建屋を一つ増やすだけだ。68億円もあれば、KSKを廃止してウェブベースのシステムが構築できる。

それなのに、結論は「10%縮減」だった。仕分け人からは「文祥堂とは何か?文房具屋にシステム開発ができるのか?」という質問も出たが、財務省はごまかして逃げ切った。配布された資料の「論点整理」も、他省庁の予算には突っ込みどころが書いてあるのに、財務省の資料は要求側とほとんど同じ。当たり前だ。財務省が要求側なのだから。

ただ最大の収穫は、次世代スパコンの凍結である。始まって2年以上たち、建屋もできたプロジェクトを「見直す」という結論が出たことは画期的だ。国内最高速のスパコンが3800万円でできる時代に、それと大差ないマシンに1200億円もの税金を投入することは正当化できない。

きのうはノーベル賞受賞者6人が首相官邸を訪れて抗議したそうだが、小柴昌俊氏は「科学予算のうち、科学者に来るのは1割ぐらいしかない」と訴えたという。残りの9割を天下り官僚とITゼネコンなどの業者が山分けしている構造に気づかないで、「科学技術立国」などというスローガンを振りかざしても、納税者を説得することはできない。

「民主党は財務省の振り付けで踊っているだけだ」という批判も(私を含めて)多いが、民主党も財務省の力を利用している。行政刷新会議が財務省に招集をかけたら、全主計官が官邸に集まったという。これは霞ヶ関では前代未聞の出来事で、主計官が他省庁を呼びつけることはあっても、その逆はかつてなかったそうだ。日本郵政の人事などと結びつけて「小沢=財務省支配」などという向きもあるが、これはもはや神話化した「小沢史観」だと事務局は一笑に付していた。

民主党もすべての官庁を敵に回すわけにはいかないので、歳出削減という目的を共有する財務省と共闘するのは、戦術的には当然だ。今のところ両者の利害は一致しているが、今回は除外された特別会計に仕分けが及ぶと、対立が表面化する可能性もある。加藤秀樹事務局長もいうように、今回の事業仕分けはスケジュールに余裕のない状態で行なわれた変則的なもので、来年度は概算要求の段階でもう少し戦略的な予算編成が行なわれるだろう。

最大のショックを受けたのは、予算を説明する官僚だったようだ。これまでは主計官との人間関係や省庁間の「貸し借り」で押し切れた話が、まったくそういう仕組みが使えなくなり、プレゼンテーションですべてが判断される。横で見ていると、農水省の官僚が「農業情報化システム」を説明しているときなどは、自分で「これは落とされるだろうな」と思っているのがわかる。原田泰氏が「地図データベースなんてGoogle Earthでもできるんじゃないんですか?」と質問したら、農水省の担当者は何も答えられなかった。

事業仕分けについてのもっとも的確なコメントは、Tobias Harrisのブログ記事だ。彼もいうように、国家予算の査定をすべて国民に公開するというのは世界初で、ほとんど革命的な出来事である。取材に来た海外のメディアも、みんな驚いていたという。もちろんこれは人民裁判になって感情に流されるリスクもあるが、スパコンのように過去のサンクコストを考えないで合理的な判断ができるメリットもある。

民主党がそういう明確な戦略をもっていたとは思えないが、この開かれた政府は、オバマ政権を上回る過激なものだ。それは外務省の核持ち込みや沖縄返還をめぐる「密約」にも適用され、記者クラブの廃止につながるのが当然だ。日本の国民が政治に対してシニカルになっている大きな原因は、その手続きの不透明性による疑心暗鬼だから、各省の審議会なども徹底して公開するという民主党の方針は、意外に大きな変化を日本の政治にもたらすかもしれない。

もう「NTT問題」を卒業しよう

きのうの慶応のシンポジウムの3回目のテーマは「NTT再々編」。最初はいささか気が重かった。私は1985年にNTTが民営化されるとき「巨大企業への転進」というNHK特集を担当し、半年ぐらいNTTに出入りしていたので、「NTT問題」とはそれ以来20年以上のつきあいだが、こういう非生産的な政治問題に大きなエネルギーを費やしてきたことが、日本の通信業界をだめにした大きな原因だからである。

しかし始まってみると、出席者の意見は意外に似ていて、「もうこういう不毛な論争は卒業しよう」という点は一致していた。かといって、これは総務省の正副大臣がいうように、NTTを現状のまま放置することを意味しない。NTTに政府が出資して特殊会社として規制する変則的な経営形態をやめ、完全民営化するには、それなりの制度設計が必要だ。それが情報通信法だったはずだが、最近は来年の国会に出すという話が消えたようだ。

「日本版FCC」のときも議論したように、組織いじりから入ると問題を見誤る。NTTの経営形態なんて手段にすぎない。本質的な問題は、日本の通信業界がこのままでいいのかということだ。世間ではNTTが勝ち組だと思っているのかもしれないが、グローバルに見ると、NTTを含めた日本の通信キャリア全体が負け組だ。特にひどいのは携帯で、端末もサービスもまったく国際競争力がなく、最大の成長市場である中国からもベンダーがすべて撤退した。

これは日本の成長戦略を考える上で、深刻な問題である。コモディタイズした製品は中国など新興国には勝てないので、日本は付加価値の低い製造業から撤退して、中国と競合しないサービス業にシフトするしかない。その中でも金融・医療と並んで付加価値が高いのはITだが、日本のコンピュータ産業はすでに世界市場では壊滅状態だ。通信機器も、アジアではノキア、モトローラとファーウェイ(華為)が競っており、日本のキャリアもベンダーも、ひもつきODAがなくなったら終わりだ。

この根っこにあるのが、NTTファミリーに代表される系列下請け構造だ。いま問題になっている次世代スパコンに象徴されるように、日本のITゼネコンは、客を特注のソフトウェアで囲い込んで「シャブ漬け」にするビジネスがおいしすぎて、シャブ以外の商品が作れなくなってしまった。NTTの最大の問題は経営形態でもインフラでもなく、電話時代のままのレガシー産業構造がイノベーションを阻害していることなのである。

さらに不毛なNTT論争が問題を複雑にした。かつてはNTTも政府に「再々編論争」をいどむ気概があったが、最近は事業会社が実質的に一体化し、悩みの種だった県間通信も事実上OKになったので、「寝た子は起こさない」のが持株会社の方針だ。これはNTTにとっては合理的な経営方針だが、レガシー構造が残ったままでは日本の通信業界全体が沈没するおそれが強い。

つまり根本問題は、日本経済がこれから何で食っていくのかという成長戦略の欠如なのだ。「ではどうすればいいのか」という質問もあったが、残念ながらこれにも簡単な答はない。ただ3回のシンポジウムで収穫だったのは、問題の所在についての認識が出席者の間で意外なほど一致していたことだ。インターネットの引き起こした激しい変化の波は、否応なく全産業を飲み込む。20年前と同じ議論を繰り返して立ち止まっている者は、世界から置き去りにされるしかない。その危機感を少しでも多くの人々が共有することが、解決の道をさぐる第一歩だろう。

人生の出口戦略

きょうの磯崎さんのアゴラ起業塾は、すごい熱気で私も驚いた。講師の話も濃密だったが、100人近い満員の聴衆が、具体的に起業のノウハウを求めて食い下がるのが印象的だった。失礼ながら、船が傾くと鼠が逃げ出す光景を連想してしまった。特に今の30代以下には、「終身雇用」という言葉は建て前以上の意味をもたない。40過ぎてつぶしがきかなくなる前に出口をさがさなければ、手遅れになるという感覚が広がっているようだ。

これは今日の磯崎さんの話の内容から考えると、グッド・ニュースではないだろうか。彼の説明によれば、日本の個人金融資産1400兆円はじゃぶじゃぶに余っており、VCの資金は1兆円しかないのに投資先に困っている。けさの記事にも書いたように、ボトルネックは資金ではなく投資機会なのだ。投資機会とは、つまるところ人である。優秀な人材が官庁や大企業の沈みゆく船に乗ったまま、降りるに降りられない状況が、本人も日本経済も不幸にしている。

磯崎さんのセミナーの一つのテーマは「いかにexitするか」ということだが、これは人生にもいえるだろう。彼も私も30代で会社をexitしたわけだが、結果的には沈む船に乗っていた同僚よりハッピーだった。しかし一般的には、世間でいう一流企業を途中でやめることは非常にリスクが高いため、優秀な人材が船と一緒に沈んでゆく。金は余っているのだからリフレなんて笑止千万で、流動性を高めるべきなのはマネーストックではなく人材である。

こういう問題は、実は新しくない。1980年代のアメリカでも、恐竜化した企業にロックインされた人材と資金をいかに動かすかが深刻な問題だった。Jensenは、企業買収(特にLBO)が、老朽化した企業を売却してexitさせる出口戦略なのだと論じた。ムーアの法則によって半導体のコストが10年で1/100になる時代には、残りの99は過剰設備になり、そこに張り付いている要員も余剰になる。こうした余剰設備・人員を効率的な用途に再配分するための装置としてLBOは機能したのだ――という彼の説は、当時は拝金主義を正当化するものとして非難されたが、今日ではおおむね通説になっている。

日本の「失われた20年」が長期化している一つの原因は、こうした資本市場が機能していないため、出口戦略が描けないことにある。実は、80年代には興銀や長銀が投資銀行をめざしていたことがあったが、運悪くバブルによってその路線は放棄され、長信銀は全滅した。これにこりた邦銀は昔ながらの金貸しに撤退したまま、ゆっくり沈もうとしている。

既存企業の売却・再構築によるexitに期待できないとすれば、もう一つの可能性は起業だろう。これはもちろんハイリスクだが、ウェブベースのサービスなら、情報インフラのコストは限りなくゼロに近づいているので、コンサルティングや個人メディアのようなself-employmentのリスクは小さくなっている。起業塾のみなさんの熱気をみていると、「この会社で定年まで食っていける」という希望を捨てる勇気が日本を変えるかもしれないと思った。

根拠なき強気

大西宏氏からコメントをいただいたが、「競争さえ促進すれば経済は成長するのだろうか」という問いへの答は、もちろんNOである。競争を促進しなければ成長しないが、その裏(競争を促進すれば必ず成長する)は正しくない。むしろ本質的な問題は、日本人がみんな「草食系」になってアニマル・スピリッツを失っていることだ。この点、中国人はみんな元気だ。たとえば当ブログへのコメントで趙秋瑾さんは
日本より中国のこれからを懸念する意見が多いのですが、私は中国人として、日本人が中国の将来を懸念してくれてるなんてぜ~んぜん思っていません。これらの意見は、池田先生が鳴らした警鐘に対して、そうは言ったって中国も危ないんじゃないの、日本だけが心配する必要はないんじゃないの、というモラトリアムの暗示を自分にかけているだけに見えます。
と書いている。ケインズもいったように、こういう強気が投資を生み、それが強気の予想を実現してさらに投資を増やす。それに金銭に対する執着という点でも、中国人のアニマル・スピリッツは世界一だろう。中国の旧正月に香港に行くと、「明けましておめでとう」の代わりに「恭喜発財!」と書いた垂れ幕が街中にかかっている。東南アジアでは、どこの国でも華僑が金融や財界の中枢を握っている。華僑の影響を受けていないのは、日本と韓国ぐらいだろう。

日本人も生まれつきリスクがきらいというわけではなく、80年代には世界中の不動産を日本が買い占めると恐れられたこともあった。しかしその強気が崩壊してから20年、いまだに立ち直れない。このアニマル・スピリッツの不足が日本の最大の問題で、デフレの根本原因も投資機会の不足による慢性的な需要不足だ。これを雇用規制や返済猶予などの温情主義で変えることはできないし、弱気のままで日銀がいくらお札をばらまいても投資は起こらない。「デフレのときは起業も困難だから、まずデフレを止めよう」などという話は、因果関係をまったく逆にみているのである。

では投資機会を増やすには、どうすればいいのか。これはむずかしい。アニマル・スピリッツとは、ある意味で根拠なき強気だからである。ケインズもナイトも言ったように、起業の平均リターンは(失敗した企業を含めれば)マイナスだから、起業家は不合理なrisk loverだが、そういう人口の数%のイノベーターによって社会全体が利益を得る。したがって成長のためには、リスクを取りやすい環境(資本市場や金融システム)をつくることが大事だ。ところが最近の過剰コンプライアンスは、人々をますますrisk averterに追いやっている。

もう一つは、人の流動性だ。40歳を過ぎたら労働市場では価値がないので、30代のうちに会社に見切りをつけて動けるしくみを作る必要がある。今の「会社に貯金」する年功序列システムは最悪だ。地方に対する補助金もやめて、むしろ地方から都市への人口移動を促進すべきだ。またOECDもいうように、子ども手当のようなバラマキではなく、保育バウチャーなどによって女性の就業率を高める戦略的な少子化対策が必要だろう。

このように規制改革で政府がやるべきことは山ほどある。それは実は、小泉内閣でやりかけて自民党の抵抗勢力につぶされたものだ。菅氏は「小泉改革は失敗だった」と思っているようだが、私の知っている民主党の若手議員は「小泉改革が民主党の政策のモデル。自民党だからといってすべて否定するのは野党ボケだ」といっている。たぶん鳩山・菅の世代が退場しないと、本当の成長戦略は立てられないだろう。

成長戦略とは競争戦略である

日本の競争戦略菅副総理は、いま日本の成長戦略を「深く考慮中」だそうである。「小泉・竹中路線が失敗した」という評価には疑問もある(2003年以降、成長率は上がった)が、それはともかく、日本の成長戦略を考える上での必読書を紹介しておこう。

本書は、2000年にマイケル・ポーターと一橋大学のチームが日本企業の高度成長期の成功と90年代の失敗の原因を分析したものだ。特に一時「日本株式会社」などといわれて過大評価された政府の役割を検証し、次のような結論を出している:
われわれは、広範にわたる成長産業において、日本型政府モデルに通じるような政府の役割は、全くといっていいほど存在しなかったことを発見した。[自動車・家電・精密機械などの]成功産業では、政府による大規模な補助金制度は存在せず、競争への介入もほとんど存在しなかった。
日本経済の長期的な成長力(潜在成長率)を引き上げるためには、企業の国際競争力や収益性を高める必要があるが、それを特定産業の保護によって実現することはできない。政府が補助金で「育成」しても、企業が自力で競争できる力をつけないかぎり、成長を長期的に維持することはできない。むしろ農業に典型的にみられるように、政府が介入して競争を制限することは産業を壊滅させてしまう。
日本型政府モデルの根幹にある諸政策が、失敗産業においては顕著にみられる。たとえば民間航空機産業は、産業全体が実質的には一つの共同事業体のようなものであった。通産省の重点育成政策の対象であった化学産業では、価格統制が広く行なわれていた。ソフトウェア産業においては、広範な補助金と税制優遇があった。コンピュータ・サービス会社に対する融資保証は、情報処理振興協会を通じて与えられた。[・・・]これらの競争制限的な政策は、生産性向上に寄与するどころか、むしろそれらを妨げる方向に働いたのである。
この産業政策に対する全面否定には、異論もある。たとえば自動車産業には政府の補助金は出なかったが、高率の関税は60年代まで残り、興銀などの産業金融は自動車産業に重点を置いた。また繊維・造船などの構造不況業種の退出に際して、設備の共同廃棄などのカルテルによって廃業を円滑化した。これは資本市場による事業売却が困難だった時期には、生産要素を移転する役割を果たした。

いずれにせよ成長戦略とは、環境とか福祉とか特定の産業を政府がターゲティングして補助金で育成することではない。そういう政策は(主観的には善意であっても)結果的には競争を制限し、国内市場を海外から隔離し、企業の生産性を下げてしまう。スパコンを競争力のないITゼネコンから海外に売れない高価格で調達することは、ミルトン・フリードマンのいう「死の接吻」である。成長戦略とは、規制改革によって(資本・労働市場を含む)市場を競争的にする競争戦略であり、そのための予算はほとんどいらないのだ。

IPCCの「データ捏造」疑惑

気候変動データについてIPCCの科学者が議論したEメールが、イギリスの大学のサーバへのハッカーの攻撃によって外部に持ち出され、Google documentとして公開された。NYタイムズなど主要紙もこれを報じ、大学もEメールが本物だと確認している。内容は1999年から現在に至るまでの膨大なものだが、温暖化懐疑派のサイトの分析によれば、その中にはIPCCの中立性を疑わせるものがある:
From: Phil Jones
To: ray bradley ,mann@virginia.edu, mhughes@ltrr.arizona.edu
Subject: Diagram for WMO Statement
Date: Tue, 16 Nov 1999 13:31:15 +0000
Cc: k.briffa@uea.ac.uk,t.osborn@uea.ac.uk

Dear Ray, Mike and Malcolm,
Once Tim's got a diagram here we'll send that either later today or first thing tomorrow. I've just completed Mike's Nature trick of adding in the real temps to each series for the last 20 years (ie from 1981 onwards) amd from 1961 for Keith's to hide the decline. Mike's series got the annual land and marine values while the other two got April-Sept for NH land N of 20N. The latter two are real for 1999, while the estimate for 1999 for NH combined is +0.44C wrt 61-90. The Global estimate for 1999 with data through Oct is +0.35C cf. 0.57 for 1998. Thanks for the comments, Ray.

Cheers
Phil

これはホッケースティック曲線として知られる、20世紀になって急速に地表の平均気温が上がったとするデータについての議論である。文中の"Mike's Nature trick"とは、Michael Mannが科学雑誌"Nature"に発表したホッケースティックについての論文で、「80年代以降の気温上昇を過大に見せ、60年代からの下降を隠す」工作を行なったとのべている。ホッケースティックのデータが捏造されたのではないかという疑惑については、全米科学アカデミーが調査し、IPCCの第4次評価報告書からは削除された。このEメールは、捏造疑惑を裏づけるものといえよう。

このように「初めに結論ありき」で研究が進められることは珍しくない。特にIPCCのように一つの大学に数億ドルの補助金が出るような大プロジェクトでは「結果を出す」ことが求められるので、なるべく温暖化が起きているようにデータを解釈するインセンティブが生じるが、このホッケースティックのように意図的に原データを改竄するのは、科学的な論争のルールを逸脱している。

来月、コペンハーゲンで気候変動枠組条約会議(COP15)が開かれるが、新興国は「温暖化問題は新興国の成長を抑制するために先進国の仕組んだ統制経済カルテルだ」と批判しており、IPCCのデータの信憑性についても疑問を表明している。COP15で合意が実現する見通しはないが、この事件は合意をさらに困難にするだろう。

攘夷か開国か

きのうの記事におもしろいTBをもらった。たしかに今度の政権交代は、明治維新というより幕末の混乱に似ていると思う。今の民主党は、反グローバリゼーションや規制強化を求める「尊皇攘夷」派と、構造改革の継続を求める「開国」派に分裂し、鳩山首相がイニシアティブを発揮しないために政策が迷走している。

しかし明治維新との最大の違いは、今度の「黒船」は東ではなく西から来ているということだ。日本にとって最大の脅威は中国である。日米同盟が続くかぎり、軍事的に中国が日本を征服することはないだろうが、経済的には今年、中国はGDPで日本を抜き、2026年にはアメリカを抜いて世界一の経済大国になると関志雄氏は推定している。

思えば日本は1000年以上にわたって、中国の衛星国家の一つにすぎなかった。この140年ぐらいは逆転したが、これは中国の政治的不安定に助けられた面が大きい。今も社会主義という制約は残るが、台湾や韓国のように経済的に安定すれば一党独裁はなくなるだろう。経済面では、すでに社会主義というより「国家資本主義」といったほうがいい。中国が普通の国になれば、規模でも政治力でも日本はとてもかなわない。

中国が日本に追いつき追い越す過程で起こるのは、生産要素(特に労働)の移動と賃金の均等化だ。中国より高い賃金で生産している産業は没落し、非貿易財やサービス業に労働人口が移動せざるをえない。これによって単純労働者の賃金は中国に鞘寄せされ、グローバルな格差拡大の傾向が日本でも出てくる。いま「格差」と騒いでいるのは中高年社員と非正社員の差にすぎないが、そのうちすべての年代で技能労働者と単純労働者の所得格差が拡大するだろう。

最大の問題は、経済的な力関係の逆転だ。今は日本に本社機能があって中国に工場が移転するという関係だが、今でも日本の高い法人税をきらって本社を海外移転する企業が出ている。そのうち人民元が変動相場制に組み込まれて切り上げられると、東アジア経済圏は「人民元圏」になり、本社機能を中国に移す企業が増えるだろう。このような中枢機能(コントロール権)が資本主義のコアであり、これが中国に移動すると、投資も利益も中国に集中することになる。

こういう盛衰は、どこの国も経験したことであり、いったん衰退の坂を転がり始めてから元に戻った例はほとんどない。唯一の例外はアメリカだが、これは若い国だからで、日本や欧州のように長い歴史があると既得権に足をひっぱられ、立ち直るのはむずかしい。日本が中国の「支店」になる流れは、長期的にはたぶん避けられないだろう。

だから「アゴラ」でも書いたように、日本が成長戦略を考える場合、まずこのグローバルな変化にどう対応するかという長期戦略を立て、その上で日本の成長率を上げる中期戦略を考える必要がある。雇用とかデフレはGDPの従属変数なので、成長率を上げないで短期の財政・金融政策ばかりやっても効果がない。「無駄の削減」だけで財政を再建することはできないし、GDPを上げないで「まずデフレを止めよう」なんて不可能なのだ。

明治維新との最大の違いは、こういう長期的なビジョンをもった政治家がいないことだ。幕末にも、日本が侵略される危機はそれほど切迫していたわけではないが、それを見通して手を打った政治家がいた。個人的には民主党内の開国派に少し期待しているが、これも今の「小沢体制」では動きがとれないだろう。あと何度か選挙して政党が政策にそって再編され、危機が顕在化して世論が本気で改革を求めることを期待するしかない。

追記:コメントで教えてもらったが、Economist誌も、日本がデフレを脱出するには成長率を引き上げる政策が重要だと助言している。

「国営ベンチャー」はなぜ失敗するのか

Boulevard of Broken Dreams: Why Public Efforts to Boost Entrepreneurship and Venture Capital Have Failed--and What to Do About It (The Kauffman Foundation Series on Innovation and Entrepreneurship)次世代スパコンをめぐる論議は、事業仕分けで打ち切りの方向が出てから、文科省がパブリックコメントをつのって巻き返しをはかり、科学者からも「次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明」という反対の声が上がっている。彼らは「スパコンによるシミュレーションが基礎科学に重要だ」というが、なぜそれを国産メーカーに国際相場の4倍もの価格で発注するのか、理由が説明されていない。

本書はハーバード・ビジネススクールのIT専門家であるJosh Lernerが世界各国のベンチャー振興策を調査し、その成功例と失敗例を分析したものだ。多くの政府がシリコンバレーを手本にした「国営ベンチャーキャピタル」を設置したが、その成果は惨憺たるものだ。VCの比率でいうと、アメリカを上回るのはイスラエルだけで、日本は主要国でイタリアに次いで低い。失敗の原因はいろいろあるが、著者の強調するのは次のような点だ:
  • 政府が直接VCのような仕事をしてもうまく行かない:政府は大学などの環境整備や税制などの制度設計を行なう裏方に徹すべきだ
  • ベンチャーは白紙からは生まれない:優秀な人材の集まっている地域で、得意分野に特化したほうがよい
  • 「国策プロジェクト」は失敗する:すべて自国で開発しようと考えるのではなく、なるべく国際標準にそったオープンな技術を採用すべきだ
  • 投資は内外から広くつのるべきだ:政府の出資は最小限にとどめ、なるべく民間投資でやったほうがいい。日本のように「外資」を敵視する国では、イノベーションは生まれない
今回のスパコンについての科学者の声明にあらわれている「日の丸技術」志向は、失敗のもとである。逆にイスラエルのように欧米の資本を積極的に受け入れている国では、アメリカの2倍以上の比率のVCが活動している。ただ政府の介入がすべて失敗というわけでもなく、シンガポールは外資規制を撤廃し、法人税を下げるなどの環境整備で政府が大きな役割を果たした。

基礎科学を政府が支援することは重要であり、科学的真理の探究に必ずしも実用的な成果は必要ない。しかしスパコンは研究の手段にすぎないのだから、費用対効果だけが問題だ。バカ高いハードウェアを買う予算をソフト開発(研究)に回したほうが合理的であり、調達先が国産メーカーである必要もない。このような自前主義がイノベーションの最大の敵だ、というのが本書の指摘である。



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