2009年06月

本気で巨大メディアを変えようとした男

きわもの的なタイトルで損をしているが、内容は島桂次会長時代を中心に、戦後の放送史の一面を内側から書いたもの。著者は島の側近だったので、やや好意的なバイアスもあるが、島を通してNHKの組織としての欠陥と戦略の誤りを的確に指摘している。

島は超大物の派閥記者で、大平政権や鈴木政権では閣僚名簿をつくり、局長のころからNHKの会長人事を決める実力があった。私も現役時代に話を聞いたことがあるが、一見めちゃくちゃのようで、実は先見性があった。当時の経営委員長だった磯田一郎(住友銀行頭取)が、「NHKの経営陣の中で民間企業も経営できる能力のあるのは島さんだけだ」と評価していた。

ある意味では、島のような人物が絶大な力をもったことが、NHKの欠陥をよく示している。戦後初のNHK会長は民間人からなる「放送委員会」によって選ばれたが、その後は実質的に首相官邸と郵政省によって選ばれるpolitical appointeeになった。これがNHKの最大のアキレス腱となり、自民党からの圧力をつねに受け、国策に振り回されて独自の経営戦略をとれない原因となった。このため島のように自民党を「押える」力をもつ人物が大きな力をもったのだ。続きを読む

パロール・ドネ

くだらない雑用で頭が窒息状態になったときは、本書のような人類の数千年の営みに思いをはせる本を読むのが精神衛生にいいかもしれない。本書は20世紀最大の知的巨人の30年以上にわたる講義の内容を要約したもので、その膨大な業績を一望するには便利だが、それを400ページ足らずの訳本に圧縮することは不可能なので、彼の著書を読んでいない人には難解かもしれない。

全体として描かれているのは、冷たい社会の人々が謎に満ちた世界を理解し、社会の存在する意味を見出す努力の跡である。圧倒的に巨大な自然の闇の中で微小な存在でしかない人間が、そのささやかな秩序を守るためにつむいできた神話や親族構造が、詳細に分析される。それを通じて見えてくるのは、荒々しく不確実な自然の中で、人間の築いた文化がいかに無力で壊れやすいものかということだ。

しかし人類は、いつからかこういう静的な秩序を守るのをやめ、自然を征服して不確実性をなくすテクノロジーを開発するようになった。このようにつねに変化し膨張し続ける熱い社会は、人類の恐れてきた死や病の闇を何年か先送りすることには成功したが、それをなくすことはできない。そして彼らも結局は、生きる目的を見出せないまま、自然に帰るのである。

選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか

前に紹介した、Caplanの行動経済学を投票行動に応用した研究の訳本が出た。経済学の知識をもっている人が読んでも「マスコミ=大衆はバカだな」と思うだけだろうが、次のような命題が正しいと思っている人には読んでほしい:
  • 現在の不況や格差の原因は、すべて「小泉・竹中改革」にあるので、その改革をやめれば経済問題は一挙に解決する。
  • 労働者を保護するため整理解雇を全面的に禁止し、すべての契約労働者・派遣労働者を正社員に登用すべきである。
  • 現在の不況は「100年に1度」の非常事態なので、日銀は通貨供給を3倍ぐらいに増やしてインフレを起こせ。
この手のバイアスは群衆心理や進化心理学である程度は説明がつくが、こういう「非合理的選択」を主張するのが一般大衆だけでなく、政治家や自称エコノミストにも多いのは困ったものだ。

コンビニが「定価」を強要するのは違法行為

セブン・イレブンがフランチャイズ(FC)の値引き販売を制限していた問題で、公取委が排除措置命令を出したが、これは単なる弁当の売れ残りの問題ではない。そもそも本部側が主張するように「対等の契約」であるなら、なぜコンビニの商品はすべて「定価」でしか売っていないのか。

FCとの契約には定価販売の義務はないので、どんな商品を安売りしようとFCの自由なはずだ。さらに奇妙なのは、本部は何のために安売りを禁止するのかということだ。FCが本部に支払うロイヤルティは、

 (売り上げ-仕入れ原価)×0.4~0.5

だといわれるが、売れ残っても返品できないので、本部に払う仕入れ原価は変わらない(正確にいうと「廃棄損」の算入によって若干ちがう)。ロイヤルティは売り上げから原価を引いた粗利の一定率で計算するので、売れ残りを捨てても安売りしてもロイヤルティは変わらない。

では、なぜ安売りを制限するのか。その理由は、本部の公式見解に正直に書かれている(強調は引用者):
(3)安易な見切り販売をした場合の懸念:
  1. お客様のセブン-イレブンの価格に対する不信感
  2. ブランドイメージの毀損
  3. 価格競争:ディスカウントストアやスーパー等との価格競争・値下げ競争に巻き込まれる可能性

要するに、他店や他のFCとの価格競争が始まることを恐れているのだ。価格競争が行なわれるのは市場経済の原則であり、安売りを制限するのは独禁法で禁じられた「再販売価格維持行為」である。公然と行なわれることは少ないので、ヤミ再販と呼ばれる(もちろんこれも違法行為)。コンビニがもうかっているのは、巧妙にヤミ再販を続けてきたからなのだ。

NECは、1988年にパソコンのヤミ再販について公取委から警告を受けた。これは私の制作した番組をもとに公取委が内偵して摘発したもので、私も事情聴取を受けて証拠を提供した。公取の担当者は「再販は昔は堂々とやっていたが、このごろは手口が巧妙化して摘発しにくい。今回はNHKさんのおかげで助かった」と言っていた。

「定価」という表示は、今は独禁法で禁止されている。「希望小売価格」はあくまでも売る側の希望であり、それを小売店に押しつけることはできないのだが、人々の脳内には、日本で長く続いてきた商慣習がしみこんでいる。

しかし消費者もバカではない。最近、うちの近所のセブン・イレブンの隣に100円ショップができ、セブン・イレブンと同じ商品をすべて数十円安く売っている。当然、客は100円ショップに集まり、セブン・イレブンはガラガラだ。日本でも、もう一度、流通革命が必要だ。こんど破壊されるのは、かつての革命の主役だったチェーン店である。

悩む力

先週、次の次の本の企画を編集者と話していて、「『悩む力』は75万部ですよ。ああいう本は書けませんか?」といわれたので、ブックオフで買って読んでみたが、途中で投げ出した。本書の主人公はウェーバーと漱石だが、きのう紹介した週刊東洋経済の特集でも、いまだに『プロ倫』を古典と信じている人が多いので、基本的な事実関係だけコメントしておこう。

前の記事でも書いたように、『プロ倫』には事実誤認が多い。フランクリンは、カルヴィニストではなく理神論者(Deist)だと自分で書いている。イギリスでも資本家にはアングリカンが多く、カルヴィニストは少数派だった。またウェーバーによれば、資本主義が西欧で生まれたのは19世紀ということになっているが、最初の株式会社ができたのは17世紀であり、イギリスで財産権の概念が公認されたのは13世紀だ。

ウォーラーステインの見方でいえば、資本主義的な近代世界システムは16世紀に始まった。その師匠ブローデルは、17世紀以前の地中海地方(もちろんカトリック地域)における資本主義の発達を詳細に描いたあと、ウェーバーの議論をこう評価する。「カルヴァンは、いかなる門をも力ずくで押し開いたのではない。門は久しい以前から開かれていたのである」。

近代資本主義が何によって生まれたのかというのは、いまだに決着のつかない難問である。その答はたぶん一つではなく、多くの偶然が重なったのだろう。その一つとしてカルヴァン派の教団組織が株式会社の成立に貢献した可能性はある、とBermanは書いているが、せいぜいその程度が現在の宗教史の教科書でのウェーバーの扱いである。

だから『プロ倫』を『こころ』と並べて人生論を語る姜尚中氏の戦略は、ある意味では正解だ。どっちも「お話」として聞く分には害はないが、「本来の資本主義精神」なるものをでっち上げて「新自由主義の強欲」を批判する陳腐なお伽話はやめてほしいものだ。


安心ネットワークと信頼ネットワーク

3年ぐらい前からFacebookのアカウントはもっていたのだが、海外の友人にメールを出すときぐらいしか使っていなかった。しかし最近、Gmailのアドレス帳にある全員をFacebookが自動的に招待する機能ができ、私がうっかりそれを承認してしまったため、多くの人に招待状が届いたようで、申し訳ありません。

おかげで一挙にたくさん日本人のFacebook friendsができ、日本語と英語のメッセージが混在するようになった。比べてみると、日英のコミュニケーションの違いがわかっておもしろい。英語のメッセージは、オバマ政権の批判などの意見が多いが、日本語のほうは圧倒的にmixi的な日記だ。

またプロフィールをみると、欧米人は100人とか200人とか友人がいるのに対して、日本人は10~20人。これはもちろんFacebookが英語ベースだという理由があるだろうが、「友人」の概念に違いがあると思う。欧米で飛行機や長距離列車などに乗り合わせると、よく隣の人が「日本から来たの?」などと話しかけてくる。未知の人とのコミュニケーションの敷居が低いのだ。これに対して、日本では「赤の他人」に話しかける習慣はない。

これは山岸俊男氏の一連の研究でもおなじみの定型的事実で、ゲーム理論で合理的に説明できる。日本のような安心社会では「一見さん」を仲間に入れないことが長期的関係のレントを維持する上で重要なのだ。しかしこれはネットワークを広げる上では不便なので、まず相手を信頼して取引し、裏切り者は法的に処罰するのが欧米型の信頼社会である。

Greifの研究によれば、こういう2種類のネットワーク(マグレブ型とジェノア型)が混在するときは、ネットワークがグローバルに広がるにつれて後者(信頼ネットワーク)が前者(安心ネットワーク)を駆逐してしまう。さてFacebookの信頼ネットワークは、日本で広がるだろうか?

マルクス・ブーム

このごろ都内の本屋に「マルクス・コーナー」が目につく。『資本論』が、去年の4倍も売れているという。この週刊東洋経済の特集で識者が推薦している本も、『資本論』が多い。たしかに今でも、資本主義の本質をもっとも深いレベルで明らかにした古典だろう。少なくともこれを読まないで「ネオリベ」を罵倒したり「階級闘争」をあおったりするのは、物笑いのたねになるだけだ。

とはいえ、これを通読した人もほとんどいないだろう。その解説本も今年たくさん出てきたが、読む価値のあるものは、私の立ち読みしたかぎり1冊もない。最悪なのは、三田誠広『マルクスの逆襲』だ。作品を死後70年も私有財産として独占しようとする利権オヤジに賞賛されていると知ったら、マルクスは怒るだろう。『資本論』を中心にしてマルクスの思想をやさしく紹介した入門書としては、廣松渉が晩年に書いた『今こそマルクスを読み返す』をおすすめする。

この他に、私が週刊ダイヤモンドの4月の特集で紹介した本はほとんど入っている(書評の仕事ばかり来るのも困ったものだ)。今回の特集では、私はあえて『資本主義と自由』を推した。ハイエクもフリードマンも読まないで「新自由主義は終わった」などと言っている連中にこそ読んでほしいからだ。

経済書以外では、『カラマーゾフの兄弟』をあげる人が多い。最近の亀山訳は5巻で100万部を超えたそうだが、ちょっと軽い。私は昔の米川訳のドロドロした感じのほうが好きだ。あと読み物としておもしろく読める古典としては、『福翁自伝』、『阿Q正伝』、『ジョセフ・フーシェ』、『裏切られた革命』ぐらいか。ちなみに多くの人が推薦している『プロ倫』は、ウェーバーの思いをこめた歴史小説みたいなもので、経済史の実証研究としてはほぼ否定されている。

何も破壊しない日本が破壊される

最近ブログ界では日本に見切りをつける話が流行しているが、Economist誌も日本には匙を投げたようだ(要約はいつもの通り適当):
日本はながく業界を守る「護送船団行政」を続けてきたが、今回も史上最大のバラマキによってそれを続けようとしている。欧米諸国でも似たような政策は行なわれているが、それは例外であり、きびしい批判にさらされている。しかし日本では、税金を「ゾンビ企業」に資本注入することが当たり前のように受け入れられている。

これはきわめて有害である。日本には、利益の出ない会社が多すぎる。たとえば携帯電話メーカーは8社もあり、そのほとんどは赤字だ。こういう企業は自分の首をしめているだけでなく、貴重な資本と人材を浪費しているのだ。おかげで日本企業のROEはアメリカの半分しかない。

この大不況にあっても、日本企業の廃業率は英米の半分しかなく、倒産は15%しか増えないと予想されている。欧州では30%、アメリカでは40%増えると予想されているのだが。もちろん倒産が少ないのは普通はいいことだが、今のような場合は粉飾の疑いが強い。そしてこのようなゾンビ企業の延命によって柔軟な労働市場起業が阻害されている――この二つの分野こそ、日本がもっとも改革を必要としているものだ。

9月までに日本は総選挙を迎えるが、政治家は与野党ともに誰ひとりとしてこのつらい問題を語ろうとしない。このような無責任な政治家によって、戦後築かれてきた日本の繁栄は台なしにされるだろう。いまバラマキ財政の誘惑に負けそうな他の国々にとって、日本の失敗は資本主義には破壊が重要だという貴重な教訓である。
Economist誌は10年以上、同じようなことを日本に言い続けてきたが、今や「何をいおうと日本は変わらない」というのが世界の常識になったようだ。このまま何もしないで日本が丸ごと破壊されれば、世界の歴史に大きな貢献ができよう。

実践 行動経済学

実践 行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択Nudgeの邦訳。行動経済学の本は山ほど出て食傷気味だが、本書はこれを政策に応用しているところがおもしろい。人々が合理的に行動すると仮定して制度設計すると、2000年の欧州の周波数オークションのように大失敗することがあるので、人が限定合理的に行動すると仮定して制度設計しようというものだ。

これは特に霞ヶ関の人々に政策を実行させるときは重要で、彼らには「自分たちは民間より頭がいい」と思い込むバイアスがあるので、「民間を指導して産業を振興する」政策が好まれる。また効率性には関心がなく、公平性に強いこだわりをもつ。これは実験経済学でも世界的に広く観察される結果で、政治家にはこのバイアスがもっとも強い。だから雇用問題にしても不況対策にしても、「人的資本の配分効率化」や「潜在成長率の向上」などといってもだめで、同じことでも「不公平の是正」や「老後の安心」といったわかりやすい言葉で説得しないと、経済学者の合理的な提案は一人相撲に終わるだろう。

政治案件

日本郵政の障害者特例を悪用した事件は、厚生労働省の局長が逮捕される異例の事態に発展した。この事実関係には疑問も多いのでコメントは控えるが、「政治案件」という言葉にはピンと来た。私も似たような事件に巻き込まれた経験があるからだ。これについては当時、朝日新聞(2004/1/24)が社会面トップで報じた。
経済産業研究所(岡松壯三郎理事長)が、個人情報保護法案に反対するアピールの賛同者を募ったとして、幹部研究員を懲戒処分(戒告)したことがわかった。同省から「処分方針」の報告を求められた同研究所が新たに明文規定を作り、さかのぼって適用、処分した。処分を受けたのは池田信夫・上席研究員(50)。処分は昨年6月にあり、理事長や所長も管理責任を問われて訓告、副所長も厳重注意とされた。

同省や研究所によると、池田研究員は昨年4月初め、同研究所の研究員のほか政府関係者や大学教員、メディア関係者20人が参加する「インターネットを規制する個人情報保護法案に反対する」との内容の「緊急アピール」を掲載。所長やほかの研究員数人も賛同者になったが、「執筆者個人の責任で発表し、研究所としての見解を示すものではない」とただし書きがあった。

ところが経産省の大臣官房は研究所に「是正措置や関係者の処分方針」の報告を求め、事実上処分を促す文書を出した。同省や研究所によるとこうした文書は異例という。池田研究員は「最初の段階で、これは署名運動ではないと副所長に説明し、了解も得ていた。明文規定を作った後にさかのぼって処分したのは法治主義の原則に反する」と反論している。(強調は引用者)
この「異例の文書」を出したのが北畑隆生官房長(のちの事務次官)だった。この内部規定にも根拠のない強権発動に当時の研究員は全員反対し、数ヶ月にわたって本省と研究所が対立した。所長も研究部長も私を守ったが、岡松理事長(天下り)は私に「始末書」を書くよう強硬に求めた。この背景についても朝日新聞が書いている:
個人情報保護法案に反対する池田氏の動きについては国会の特別委員会で取り上げられ、細田博之IT担当相[現・自民党幹事長]が経産省に事実関係を問い合わせた。このあと処分を促す文書が出された。

池田氏は処分後、知人のキャリア官僚から「よくあることだ」と慰められた。官僚の世界では、政治家などのメンツを立てるために処分を「利用」すると知人から解説され、「自分も経産省の身内としてこの枠組に組み込まれたのか」と池田氏は感じた。
「事実関係を問い合わせる」というのは、「池田という奴を処分しろ」という命令の婉曲話法で、こういう意をくんで迅速に対応するのが「能吏」の条件だ。官僚にとっては、政治家は形式的には尊重するが、実態は法案を通す上での障害物にすぎないので、それを取り除くためには障害者団体の偽造ぐらい大した話ではない。今回それが結果として刑事事件になったのは不運だったが、この程度の話は霞ヶ関では日常茶飯事だ。もちろん違法行為を擁護する気はないが、本質的な問題は「政治案件」と名がつけば無理の通る霞ヶ関の体質にある。




スクリーンショット 2021-06-09 172303
記事検索
Twitter
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ