伝統的な経済学では、人間は財から得られる「効用」を最大化する計算を行ない、効用関数を微分した限界効用が価格と一致するように行動すると想定されている。これは経済問題を条件つき最大化問題として数学的に定式化するための方便で、実証的には否定されている。
カーネマンやトベルスキーが実際の消費行動の実験から得た結論は、人間は絶対的な効用を最大化するのではなく、参照点(reference point)からプラスかマイナスかに反応するということだ。基準点の設定が意思決定に影響を及ぼす現象をフレーミングと呼ぶ。有名なのは、次のような実験である。
アメリカ政府が600人が死ぬと予想されるアジアの珍しい伝染病の流行を予防しようとしている。あなたなら次のふたつの方法のどちらを選ぶか?
・Aを採用すると、200人が助かる
・Bを採用すると、600人が助かる確率が1/3で、誰も助からない確率が2/3
この質問に対して、被験者の72%がAを選んだ。ところが別の被験者に
・Aを採用すると、400人が死亡する
・Bを採用すると、誰も死なない確率が1/3で、600人が死ぬ確率が2/3
という選択肢を与えると、78%がBを選んだ。通常の期待効用理論で考えると、AもBも死亡する確率は同じなので、これは質問の仕方が答に影響を与えたことを示している。
このように参照点に依存して行動が決まる効果は、アンカリングと呼ばれる現象にもみられる。これは出発する基準が変わると評価が変わる現象で、たとえばいつも1000円で売っている品物を特売品のコーナーに置いて「定価2000円のところ本日に限り半額セール!」と表示すると、売れ行きが上がる。これは定価というアンカーを参照点にして「1000円安い」と考えるからだ。
同様の現象に初期値効果がある。これは不確実な現象について予測するとき、最初にある値を与えると、そこからの差分で判断する傾向のことだ。たとえば日本では臓器提供意思表示カードをもつ人は10%しかいないが、フランス、オーストリア、ベルギーなどでは98%がもっている。この原因は、日本では臓器提供の意思表示をしない限りカードが交付されないが、欧州の多くの国では臓器提供を拒否しない限りカードを交付するためだ。
同じような現象に保有効果というのもある。これは保有しているものの価値を高く評価するバイアスで、カーネマンはひとつのグループの被験者にマグカップを与え、もうひとつのグループに同じ価格のチョコレートを与えて実験をした。マグカップをもらったグループにチョコレートと交換するかどうかを質問すると、89%がマグカップを選んだが、チョコレートを与えたグループに同じ質問をすると90%がチョコレートを選んだ。
このように変化をきらい、既定値を基準にして行動する傾向は、おそらく進化の過程で、敵の襲撃に備えるために身につけた習性だろう。動物が動く対象にだけ注意を向けるのと同じである。人間も含めて、動物は常に生命の危険にさらされて生きてきたので、得ることより失うことへの関心が強く、何も起こらない限り従来どおりに行動しようとするのである。
特に大きな違いは、コンピュータは感情をもっていないということだ。かつては感情は複雑な論理操作のひとつで、正しい答を出すさまたげになるものと考えられていたが、最近では逆に感情(システム1)が論理的思考(システム2)の必要条件だと考えられるようになった。
それを示す症例として有名なのが、ダマシオの示したある建設労働者のケースである。彼は工事現場の事故で、図表4のように脳を鉄骨が貫通したのだが、奇蹟的に一命を取り留めた。意識もあったが人格が一変し、仕事のやり方は覚えているのだが、最後までやり遂げられない。気まぐれなのに頑固で、あたりかまわず喧嘩を売るため、どこの職場にもいられなくなった。歩行や食事などの動作は普通にできるのでホームレスのような生活を続け、38歳で発作を起こして死亡した。
彼の脳を分析した結果わかったのは、前頭葉が大きく損傷して感情のバランスを取る機能が失われたことだった。つまり感情はいろいろな感覚や行動を統合し、人間関係を調節する役割をもっているのだ。感情を理性の対立物と考えるデカルト的な合理主義とは逆に、感情による人格の統一が合理的な判断の条件であり、ヒュームが言ったように「理性は感情の奴隷」なのである。
この場合の感情は、個々の刺激によって生まれる感覚とは違い、いろいろな感覚を統合してイメージを形成する。進化的に考えても、ひとつひとつの刺激を個別に判断するのではなく、それを類型化してフレーミングを行なうことによって即時に対応できるようになるのだ。
他人の感情を理解するメカニズムとして、一時期の脳科学では他人の行動から感情を推論するアルゴリズムを想定したが、これでは親子の愛情などは理解できない。90年代初めに「人の気持ちがわかる」神経細胞、ミラーニューロンが発見された。猿がものをつかむと発火するニューロンを調べる実験で、猿が休んでいるとき、たまたま観察している人間がものをつかむと、同じニューロンが発火したのだ。最初その意味はよくわからなかったが、彼らはモーリス・メルロ=ポンティにヒントを得て、これを認識と身体をつなぐ器官だと考えた。
言語学者も実験を行ない、人がものを食うとき発火するニューロンが、小説で食事の場面を読んだときにも発火することを発見した。つまり脳の中の言語とか観念によって意思決定が(合理的に)行なわれ、身体はその決まった行動を実行するだけ、というデカルト的な心身二元論が逆転され、むしろ身体や行動からのフィードバックによって言語や観念が形成されることがわかってきたのだ。
「ラバーハンド実験」と呼ばれる実験では、自分の腕とマネキンの腕をついたての向こうに置いて、両方を同時に刺激する。長時間これを続けていると、マネキンの腕と自分の腕の区別がつかなくなり、マネキンの腕をハンマーでたたくと自分の腕を引っ込めるようになるという。つまり古い脳には他人の痛みと自分の痛みは区別がつかず、「これは<私>の痛みだ」というのは新しい脳によって構成された認識なのである。
これは進化論的に考えても当然だ。人間を含む霊長類の生活単位は個体ではなく、数十人の個体群である。特に人間の個体群では分業が発達しているので、あなたが一人で山の中に放置されたら、1ヶ月も生きていけないだろう。したがって脳は社会的につながっているのである。
カーネマンやトベルスキーが実際の消費行動の実験から得た結論は、人間は絶対的な効用を最大化するのではなく、参照点(reference point)からプラスかマイナスかに反応するということだ。基準点の設定が意思決定に影響を及ぼす現象をフレーミングと呼ぶ。有名なのは、次のような実験である。
アメリカ政府が600人が死ぬと予想されるアジアの珍しい伝染病の流行を予防しようとしている。あなたなら次のふたつの方法のどちらを選ぶか?
・Aを採用すると、200人が助かる
・Bを採用すると、600人が助かる確率が1/3で、誰も助からない確率が2/3
この質問に対して、被験者の72%がAを選んだ。ところが別の被験者に
・Aを採用すると、400人が死亡する
・Bを採用すると、誰も死なない確率が1/3で、600人が死ぬ確率が2/3
という選択肢を与えると、78%がBを選んだ。通常の期待効用理論で考えると、AもBも死亡する確率は同じなので、これは質問の仕方が答に影響を与えたことを示している。
このように参照点に依存して行動が決まる効果は、アンカリングと呼ばれる現象にもみられる。これは出発する基準が変わると評価が変わる現象で、たとえばいつも1000円で売っている品物を特売品のコーナーに置いて「定価2000円のところ本日に限り半額セール!」と表示すると、売れ行きが上がる。これは定価というアンカーを参照点にして「1000円安い」と考えるからだ。
同様の現象に初期値効果がある。これは不確実な現象について予測するとき、最初にある値を与えると、そこからの差分で判断する傾向のことだ。たとえば日本では臓器提供意思表示カードをもつ人は10%しかいないが、フランス、オーストリア、ベルギーなどでは98%がもっている。この原因は、日本では臓器提供の意思表示をしない限りカードが交付されないが、欧州の多くの国では臓器提供を拒否しない限りカードを交付するためだ。
同じような現象に保有効果というのもある。これは保有しているものの価値を高く評価するバイアスで、カーネマンはひとつのグループの被験者にマグカップを与え、もうひとつのグループに同じ価格のチョコレートを与えて実験をした。マグカップをもらったグループにチョコレートと交換するかどうかを質問すると、89%がマグカップを選んだが、チョコレートを与えたグループに同じ質問をすると90%がチョコレートを選んだ。
このように変化をきらい、既定値を基準にして行動する傾向は、おそらく進化の過程で、敵の襲撃に備えるために身につけた習性だろう。動物が動く対象にだけ注意を向けるのと同じである。人間も含めて、動物は常に生命の危険にさらされて生きてきたので、得ることより失うことへの関心が強く、何も起こらない限り従来どおりに行動しようとするのである。
理性は感情の奴隷
初期の脳科学では、脳は複雑なコンピュータと考えられていたが、日常言語の理解のような単純な記号処理も十分できていない。現代のコンピュータの処理能力は脳をはるかに上回るが、そのしくみが根本的に違うからである。特に大きな違いは、コンピュータは感情をもっていないということだ。かつては感情は複雑な論理操作のひとつで、正しい答を出すさまたげになるものと考えられていたが、最近では逆に感情(システム1)が論理的思考(システム2)の必要条件だと考えられるようになった。
それを示す症例として有名なのが、ダマシオの示したある建設労働者のケースである。彼は工事現場の事故で、図表4のように脳を鉄骨が貫通したのだが、奇蹟的に一命を取り留めた。意識もあったが人格が一変し、仕事のやり方は覚えているのだが、最後までやり遂げられない。気まぐれなのに頑固で、あたりかまわず喧嘩を売るため、どこの職場にもいられなくなった。歩行や食事などの動作は普通にできるのでホームレスのような生活を続け、38歳で発作を起こして死亡した。
彼の脳を分析した結果わかったのは、前頭葉が大きく損傷して感情のバランスを取る機能が失われたことだった。つまり感情はいろいろな感覚や行動を統合し、人間関係を調節する役割をもっているのだ。感情を理性の対立物と考えるデカルト的な合理主義とは逆に、感情による人格の統一が合理的な判断の条件であり、ヒュームが言ったように「理性は感情の奴隷」なのである。
この場合の感情は、個々の刺激によって生まれる感覚とは違い、いろいろな感覚を統合してイメージを形成する。進化的に考えても、ひとつひとつの刺激を個別に判断するのではなく、それを類型化してフレーミングを行なうことによって即時に対応できるようになるのだ。
他人の感情を理解するメカニズムとして、一時期の脳科学では他人の行動から感情を推論するアルゴリズムを想定したが、これでは親子の愛情などは理解できない。90年代初めに「人の気持ちがわかる」神経細胞、ミラーニューロンが発見された。猿がものをつかむと発火するニューロンを調べる実験で、猿が休んでいるとき、たまたま観察している人間がものをつかむと、同じニューロンが発火したのだ。最初その意味はよくわからなかったが、彼らはモーリス・メルロ=ポンティにヒントを得て、これを認識と身体をつなぐ器官だと考えた。
言語学者も実験を行ない、人がものを食うとき発火するニューロンが、小説で食事の場面を読んだときにも発火することを発見した。つまり脳の中の言語とか観念によって意思決定が(合理的に)行なわれ、身体はその決まった行動を実行するだけ、というデカルト的な心身二元論が逆転され、むしろ身体や行動からのフィードバックによって言語や観念が形成されることがわかってきたのだ。
「ラバーハンド実験」と呼ばれる実験では、自分の腕とマネキンの腕をついたての向こうに置いて、両方を同時に刺激する。長時間これを続けていると、マネキンの腕と自分の腕の区別がつかなくなり、マネキンの腕をハンマーでたたくと自分の腕を引っ込めるようになるという。つまり古い脳には他人の痛みと自分の痛みは区別がつかず、「これは<私>の痛みだ」というのは新しい脳によって構成された認識なのである。
これは進化論的に考えても当然だ。人間を含む霊長類の生活単位は個体ではなく、数十人の個体群である。特に人間の個体群では分業が発達しているので、あなたが一人で山の中に放置されたら、1ヶ月も生きていけないだろう。したがって脳は社会的につながっているのである。