2008年11月

フレーミングと参照点

伝統的な経済学では、人間は財から得られる「効用」を最大化する計算を行ない、効用関数を微分した限界効用が価格と一致するように行動すると想定されている。これは経済問題を条件つき最大化問題として数学的に定式化するための方便で、実証的には否定されている。
 
カーネマンやトベルスキーが実際の消費行動の実験から得た結論は、人間は絶対的な効用を最大化するのではなく、参照点(reference point)からプラスかマイナスかに反応するということだ。基準点の設定が意思決定に影響を及ぼす現象をフレーミングと呼ぶ。有名なのは、次のような実験である。

アメリカ政府が600人が死ぬと予想されるアジアの珍しい伝染病の流行を予防しようとしている。あなたなら次のふたつの方法のどちらを選ぶか?

 ・Aを採用すると、200人が助かる
 ・Bを採用すると、600人が助かる確率が1/3で、誰も助からない確率が2/3

この質問に対して、被験者の72%がAを選んだ。ところが別の被験者に

 ・Aを採用すると、400人が死亡する
 ・Bを採用すると、誰も死なない確率が1/3で、600人が死ぬ確率が2/3

という選択肢を与えると、78%がBを選んだ。通常の期待効用理論で考えると、AもBも死亡する確率は同じなので、これは質問の仕方が答に影響を与えたことを示している。
 
このように参照点に依存して行動が決まる効果は、アンカリングと呼ばれる現象にもみられる。これは出発する基準が変わると評価が変わる現象で、たとえばいつも1000円で売っている品物を特売品のコーナーに置いて「定価2000円のところ本日に限り半額セール!」と表示すると、売れ行きが上がる。これは定価というアンカーを参照点にして「1000円安い」と考えるからだ。
 
同様の現象に初期値効果がある。これは不確実な現象について予測するとき、最初にある値を与えると、そこからの差分で判断する傾向のことだ。たとえば日本では臓器提供意思表示カードをもつ人は10%しかいないが、フランス、オーストリア、ベルギーなどでは98%がもっている。この原因は、日本では臓器提供の意思表示をしない限りカードが交付されないが、欧州の多くの国では臓器提供を拒否しない限りカードを交付するためだ。
 
同じような現象に保有効果というのもある。これは保有しているものの価値を高く評価するバイアスで、カーネマンはひとつのグループの被験者にマグカップを与え、もうひとつのグループに同じ価格のチョコレートを与えて実験をした。マグカップをもらったグループにチョコレートと交換するかどうかを質問すると、89%がマグカップを選んだが、チョコレートを与えたグループに同じ質問をすると90%がチョコレートを選んだ。
 
このように変化をきらい、既定値を基準にして行動する傾向は、おそらく進化の過程で、敵の襲撃に備えるために身につけた習性だろう。動物が動く対象にだけ注意を向けるのと同じである。人間も含めて、動物は常に生命の危険にさらされて生きてきたので、得ることより失うことへの関心が強く、何も起こらない限り従来どおりに行動しようとするのである。

理性は感情の奴隷

初期の脳科学では、脳は複雑なコンピュータと考えられていたが、日常言語の理解のような単純な記号処理も十分できていない。現代のコンピュータの処理能力は脳をはるかに上回るが、そのしくみが根本的に違うからである。
 
特に大きな違いは、コンピュータは感情をもっていないということだ。かつては感情は複雑な論理操作のひとつで、正しい答を出すさまたげになるものと考えられていたが、最近では逆に感情(システム1)が論理的思考(システム2)の必要条件だと考えられるようになった。
 
それを示す症例として有名なのが、ダマシオの示したある建設労働者のケースである。彼は工事現場の事故で、図表4のように脳を鉄骨が貫通したのだが、奇蹟的に一命を取り留めた。意識もあったが人格が一変し、仕事のやり方は覚えているのだが、最後までやり遂げられない。気まぐれなのに頑固で、あたりかまわず喧嘩を売るため、どこの職場にもいられなくなった。歩行や食事などの動作は普通にできるのでホームレスのような生活を続け、38歳で発作を起こして死亡した。

彼の脳を分析した結果わかったのは、前頭葉が大きく損傷して感情のバランスを取る機能が失われたことだった。つまり感情はいろいろな感覚や行動を統合し、人間関係を調節する役割をもっているのだ。感情を理性の対立物と考えるデカルト的な合理主義とは逆に、感情による人格の統一が合理的な判断の条件であり、ヒュームが言ったように「理性は感情の奴隷」なのである。
 
この場合の感情は、個々の刺激によって生まれる感覚とは違い、いろいろな感覚を統合してイメージを形成する。進化的に考えても、ひとつひとつの刺激を個別に判断するのではなく、それを類型化してフレーミングを行なうことによって即時に対応できるようになるのだ。
 
他人の感情を理解するメカニズムとして、一時期の脳科学では他人の行動から感情を推論するアルゴリズムを想定したが、これでは親子の愛情などは理解できない。90年代初めに「人の気持ちがわかる」神経細胞、ミラーニューロンが発見された。猿がものをつかむと発火するニューロンを調べる実験で、猿が休んでいるとき、たまたま観察している人間がものをつかむと、同じニューロンが発火したのだ。最初その意味はよくわからなかったが、彼らはモーリス・メルロ=ポンティにヒントを得て、これを認識と身体をつなぐ器官だと考えた。
 
言語学者も実験を行ない、人がものを食うとき発火するニューロンが、小説で食事の場面を読んだときにも発火することを発見した。つまり脳の中の言語とか観念によって意思決定が(合理的に)行なわれ、身体はその決まった行動を実行するだけ、というデカルト的な心身二元論が逆転され、むしろ身体や行動からのフィードバックによって言語や観念が形成されることがわかってきたのだ。
 
「ラバーハンド実験」と呼ばれる実験では、自分の腕とマネキンの腕をついたての向こうに置いて、両方を同時に刺激する。長時間これを続けていると、マネキンの腕と自分の腕の区別がつかなくなり、マネキンの腕をハンマーでたたくと自分の腕を引っ込めるようになるという。つまり古い脳には他人の痛みと自分の痛みは区別がつかず、「これは<私>の痛みだ」というのは新しい脳によって構成された認識なのである。
 
これは進化論的に考えても当然だ。人間を含む霊長類の生活単位は個体ではなく、数十人の個体群である。特に人間の個体群では分業が発達しているので、あなたが一人で山の中に放置されたら、1ヶ月も生きていけないだろう。したがって脳は社会的につながっているのである。

[中級経済学事典] 情報の非対称性

世の中には、いかにも経済学用語っぽいbuzzwordを振り回して、一般人をたぶらかすニセ経済学者がけっこういる。彼らの話は大学1年生の教科書にはない「中級」の言葉を使うのが特徴で、経済学を知らないサラリーマンはそれが「専門知」だと思ってしまう。それだけならいいが、官僚や経営者がそれを信じて誤った政策や経営方針を決めると、多くの人が迷惑する。そこで不定期に「中級経済学事典」と題して、こうした間違いをただすことにした。

最近の経済危機にからんで、情報の非対称性という言葉がよく使われる。たとえば金子勝氏は、いろいろな著書で繰り返し次のように書く:
市場には、プレーヤー同士がお互い情報を完全に知りえないという「情報の非対称」がつきまとっています。
慶応大学では、こんな初歩的な間違いを授業で教えているのか。教師の品質管理は、どうなっているのだろうか。情報の非対称性(私的情報)とは「お互いが知らない」ことではなく、principal-agent関係で代理人だけが知っていて依頼人が知らないことである。この場合、依頼人が代理人にだまされる(モラル・ハザード)ことがあり、それを恐れて取引をしない(逆淘汰)こともある。

これは個別には大した問題ではないが、社会全体で一斉に起こると大変なことになる。それが今回の状況だ。投資銀行のつくった複雑な金融商品は、原則としては中身が透明だが、その目論見書は何百ページもあり、普通の投資家にはリスクがわからない。ふだんはAAAという格付けを信じて取引しているが、それが信じられなくなると全面的な逆淘汰が起きて、市場が崩壊してしまうのだ。

情報の非対称性は、分業の行なわれる社会では避けられない問題であり、ゼロにする必要もない。依頼人が代理人よりよく知っているなら、自分でやればよい。一定の情報を代理人が自分で処理するのは当たり前で、そういう自律性をもたせることによって代理人のインセンティブが上がる。依頼人は報酬体系の設計によって、ある程度はインセンティブの歪みをただすことができる。

しかし代理人が必要以上の非対称性を作り出すようになると、有害な結果をもたらす。今回、問題になっている「ストラクチャー」と呼ばれる金融商品は、建て前上は投資家の好みにあわせてカスタマイズするためということになっているが、実際は「邦銀は何も知らないので、好みなんてない。目的は複雑なストラクチャーでコテコテに囲い込んで逃げられないようにするため」(外資系投資銀行の関係者)のものだ。これはITゼネコンが役所をだます手口とよく似ている。

金融機関は、もともと企業の財務内容についての情報の非対称性を解決するため、その企業の内容を知っている銀行に預金するしくみだ。ここでは銀行が自分で融資すことによって、その企業が健全だというシグナリングを行うことがキモだが、貸付債権が証券化されて譲渡されると、このシグナリングがきかなくなる。そのリスクを測定するのが格付け会社だが、彼らは証券を発行する企業から手数料をもらっているので、高く評価するバイアスがある。

だから格付け会社をスケープゴートにして規制を強化しても、問題は解決しない。特に財務格付けはsolvencyを評価するもので、今のような状況でのliquidityを保証するものではない。本質的な問題は、資本市場のインフラを整備して金融商品の透明性や流動性を高め、非対称性を減らすことである。

大麻は合法化して規制すべきだ

「大麻汚染」をめぐる過剰報道が続いているが、さすがに一部のメディアは日本の刑罰が異常だということに気づいて、トーンが変わってきた。けさの朝日新聞には、リードで「時代にそぐわなくなった法律を改正する時期に来ている」という「捜査関係者」の話を紹介する一方で、「タバコ・酒より有害」という「厚労省」の話を囲みで紹介する分裂した記事が出ている。産経も社説では「安易な姿勢厳しく戒めよ」と書いているが、「正論」には竹内久美子氏の「大麻はタバコと同様に有害」という記事を載せ、多くの先進国が事実上合法化したことを紹介している:
こうした続々の解禁。それは1995年にイギリスの医学雑誌『ランセット』に発表された、30年にわたる調査で、大麻を長期使用しても健康に問題はないとの見解が示されたことが一番大きいだろう。『ランセット』は、『ネイチャー』に匹敵するくらい格式の高い医学雑誌である。
これが世界の常識だ。知らないのは日本のメディアだけである。大麻が「タバコと同様に有害」なら、論理的にはタバコと同様に合法化して規制するか、タバコを非合法化するかのどちらかだろう。ところが彼女の結論はこうなる:
タバコがもし、日本人にとって未体験の品だったとして、しかも健康への影響がこんなにもはっきりわかっているとする。政府は解禁するだろうか。おそらくしない。となれば大麻も解禁すべきではないだろう。
この原稿は論理が破綻しているが、産経の編集部が手を入れた可能性もある。厚労省の記者クラブで「大麻撲滅に協力する」といった非公式の協定が行なわれ、各社とも現行法に疑問を呈するような記事は出さないことに決まったのではないか。しかし朝日や産経の分裂した記事は、厚労省と世界の常識の食い違いが顕在化してきたことを示している。お笑いなのは、毎日の社説だ:
[大麻は]より悪性が強い薬物の乱用を防ぎ、注射針の使い回しによるエイズ感染を防止するための次善の策として黙認されている。覚せい剤、コカインなどへ薬物依存が進む人も少なくなく、密売で暴力団などが資金を調達している現実もある。規制緩和などは、およそ現実的ではない。
問題は大麻そのものではなく、こうした非合法の流通ルートが暴力団の資金源になり、犯罪の温床になることだ。禁酒法がマフィアを育てたのと同じである。合法化して販売を規制し、高率の税金をかければ、酒やタバコで暴力団が出てこないのと同じように、こうした弊害は防げる。大麻の害はタバコとほぼ同じ(かそれ以下)なのだから、取り扱いもタバコと同等にするのが当然である。大麻取締法の改正が政治的に困難なら、罰金ぐらいの軽い処分にとどめるべきだ。種子の所持ぐらいで逮捕するのはバランスを欠いている。

霞ヶ関のカフカ的状況

d8797b34.jpg本書の最初に、埴谷雄高のソ連の「カフカ的光景」についての描写が引用されている。空港事務所の事務員が電話しているが、その電話線は実は切れている。彼女はそれを知っているが、いつまでも電話のふりをしている。他に仕事がないので、仕事のふりをするのが仕事なのだ。

これを読んで、私もかつて霞ヶ関で体験した出来事を思い出した。国家公務員共済組合には毎年1回「検認」という手続きがあり、すべての公務員が健康保険証や「被扶養者申告書」や給与所得証明書などを提出しなければならない。それをしないと翌月以降、保険証が無効になる。共済組合の事務員に「こんな手続きは民間にはない。変更するとき申告するだけで十分でしょう」というと、彼は「私もそう思いますが、これは国家公務員全員がやっているので、経産省だけやめるわけには行きません」と気の毒そうに答えた。

そこで「検認」についての財務大臣通達を見せてもらったところ、これは1958年から毎年やっており、対象は公務員・独立行政法人など110万人にのぼる。事務作業は膨大だが、すべてハンコをついて返すだけで、提出された書類も見ない。共済組合は全国に職員が1万3000人もおり、当時の理事長は元大蔵省銀行局長の寺村信行氏だった。

公務員の仕事の7割は、こうしたカフカ的な作業である。コンピュータで一元管理できるペーパーワークに各地方ごとの出先機関があり、そこに国家公務員33万人のうち21万人がいる。かつてケインズは「大蔵省が古い瓶に紙幣を詰めて廃鉱に埋め、それを掘り出す事業を作り出せば失業はなくなるだろう」と書いたが、それは冗談ではないのだ。著者がいくら「こんな支局は必要ない」と激しく追及しても、官僚は譲歩しない。彼らは自分たちの職を守るという崇高な使命感でやっているからだ。

本書は半分以上が地方分権改革推進委員会の議事録で読みにくいが、このカフカ的状況を実感するにはいいかもしれない。地方分権委については麻生首相が「地方農政局の廃止」を打ち出して注目されたが、いまの迷走状態では実行できるか心配だ。しかしこれが改革の本丸である。

医師会には社会的常識が欠落している人が多い

麻生首相の「失言」が次々に問題になっている。きょうは「医者には社会的常識が欠落している人が多い」という発言が槍玉に上がっているが、これは文脈を無視した引用である。もとの発言は、朝日新聞によれば、
(医師不足が)これだけ激しくなってくれば、責任はお宅ら(医師)の話ではないですかと。しかも「医者の数を減らせ減らせ、多すぎる」と言ったのはどなたでした、という話を党としても激しく申しあげた記憶がある。
というもので、これは正論だ。小倉秀夫氏も指摘するように、かつて「医師過剰」の是正を繰り返し求めたのは日本医師会出身の議員だった。たとえば1993年に参議院文教委員会で、宮崎秀樹議員(当時)は
次は、大学の医学部、医科大学の学生定員の問題でございます。これに関しましてはいろいろ定員削減という方向で文部省と厚生省との話し合いができておりまして、一〇%削減、こういう目標を立ててやっているのですが、実際にはそこまでいっていない。[・・・]例えば昭和六十三年には十万対百六十四人だった。これが平成三十七年には三百人になるんです。三百人というのはいかにも医師の数が多過ぎる
と医学部の定員削減を求めている。宮崎氏は日本医師会の副会長を歴任した。

実は、私もこのころ医師会に取材して驚いたことがある。カルテの開示について、社会部の記者と一緒に某常任理事にインタビューしたところ、彼は「あなたがたは勉強が足りないから教えてやる」といって演説を始めたのだ。「医者と患者は同格の立場ではない。患者は判断能力がないのだから、カルテなんか見るのは混乱するだけだ。黙って医者のいうことを聞けばいい。医師会は、インフォームド・コンセントなんてまやかしの流行には乗らない」とカメラの前でぶちまくる彼に、われわれは唖然とした。

私もいろんな職業の人とつきあったが、こんなふうに特権意識丸出しで相手を見下してしゃべるのは、全銀協と医師会だけだった。医師全体がどうかは知らないが、医師会に社会的常識の欠落した人が多いことは間違いない。医師会は官邸に抗議に行く前に、自分たちが過去にどういう政治的圧力をかけてきたのか、思い出したほうがいいのではないか。

金融危機を理解するための15冊の本

雑誌から「今年の収穫」というアンケートが送られてくる季節になった。今年ブログで紹介した本をチェックしてみて、今年の後半は推薦できる日本語の本がほとんどないことに気づいた。たぶんアメリカ発の金融危機のスケールが大きすぎ、かつそれを正確に分析した本がまだ出ていないためだと思う。そこで、とりあえず今の段階で、現状を理解するのに役立つと思われる本をリストアップしてみた:
  1. The Black Swan
  2. 市場リスク 暴落は必然か
  3. When Markets Collide
  4. The Age of Turbulence
  5. 現代の金融政策
  6. Essays on the Great Depression
  7. The Great Contraction
  8. すべての経済はバブルに通じる
  9. 資本主義は嫌いですか
  10. なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか
  11. Bad Money
  12. Fixing Global Finance
  13. Globalizing Capital
  14. Subprime Mortgage Credit Derivatives
  15. Subprime Solution
1は説明する必要はないだろう。危機の本質を、それが起こる前に的確に解明した本というのは珍しい。2も証券化のリスクを投資銀行の「ロケット・エンジニア」が分析したもので、特に金融商品をloose couplingにすべきだという提言は、いま進められている金融制度改革の方向を先取りしている。3は、今回の危機について今のところベストの解説書。翻訳が待たれる。

4は危機の「犯人」の回顧録。新版につけられた付録で「誰にも予測できなかった」と言い訳をしている(訳本は付録だけバラ売り)。5は日銀総裁による90年代の危機の総括を含む。6はFRB議長による大恐慌論で、7はその元祖となった古典。ただしSchwartzもいうように、大恐慌の最大の原因はFRBの「清算主義」的な金融政策だったので、あまり今回の危機の参考にはならない。

8と9は、今回の騒動について日本人の書いた数少ない読むに耐える本。10はこれまでに訳された中ではもっとも情報が新しいが、著者が経済学を理解していない。11はアメリカ社会のルポルタージュ。今となってはあまり目新しいことは書いてないが、投資銀行がいかにあくどいビジネスをやったかというエピソードはおもしろい。12はアメリカの消費バブルが問題の根源であることを多くのデータで分析しているが、少し古いので金融商品の話はほとんどない。

13は国際金融の歴史についての本だが、大恐慌の拡大の原因が金本位制にあった(したがって今回は同様の事態は起きない)ことを明らかにした。14は金融商品についての専門書だが、なぜサブプライム証券が問題を引き起こしたかをくわしく分析している。15は、今回の騒動について経済学者の書いた今のところ唯一の本だが、内容がピンボケ。

ついでに「読んではいけない」本もあげておこう。こっちは山ほどあるが、特にひどいのは次の3冊。岩波の経済書はマル経が書いているので、すべて読んではいけない本だと思ったほうがいい。ただ竹森俊平氏のいうように、21世紀の歴史が「リーマン・ブラザーズ以前と以後」で章を改めるとすれば、以上の本はいずれも金融危機の「前史」でしかない。特に日本語で問題の全体像を系統的に解説した本が出ていないため、必要以上に不安をあおるセンセーショナルな報道が多い。そこでこの空白を埋めるべく、池尾和人氏と私の共著で、来年の初めに金融危機の本を日経BP社から出す予定である。

定額給付金を「マイナス金利」にする方法

Marginal Revolutionにおもしろい提案が出ている。すべての納税者にデビット・カード口座をつくらせ、そこに政府が一定の金額を振り込む。このデビット・カードは一定の期限が来たら無効になる、というしくみだ。これはスタンプつき貨幣に似たマイナス金利だが、税務署が銀行振り込みで電子的に行なえるので、役所で金券を渡す方式よりはるかに効率的で、安全性も高い。日本の定額給付金も、これでやってみてはどうか。

効果をもたせるには2兆円ぐらいではだめで、来年度予算で「4月から消費税を5%引き上げ、来年度の税収増10兆円を期限つきデビット・カードで全額還付する」と決めればよい。所得制限なんて必要ない。この政策の主要な効果は、人々の期待に影響を与えることだからである。効果は国会で決まった段階でただちに生まれ、まず4月から上がる消費税を避けるための駆け込み需要が発生する(これは1997年に実験ずみ)。しかし4月以降はその反動で消費が落ち込むので、デビット・カードは4月以降(たとえば)期限を1年として還付すればよい。

こういうデビット口座をつくっておけば、今後も不況のときはこの口座に税を還付すれば確実な効果が見込め、財政収支にも中立だ。マイナス金利は、フィッシャーやケインズをはじめ、多くの経済学者が賛同している政策だから、日本政府が実験すれば歴史に残るかもしれない。少なくとも、迷走して麻生政権の「マイナス選挙対策」になっている今の定額給付金よりましだろう。

J-CASTニュースからリンクが消えた

J-CASTニュースは、しょっちゅう当ブログの記事をネタにして記事を書く。それは記事へのリンクでわかるのだが、きのうの記事は明らかに私の日曜の記事のパクリであるにもかかわらず、外部リンクが消えている。このごろASCII.jpも「他社のサイトへのリンクは禁止」とかで、原稿のURLを削除するようになった。

外部リンクを張らないのは、そっちへ飛んだ読者が戻ってこないことを恐れているのだろう。しかしハイパーリンクは、ウェブの憲法である。他人の情報を利用したら、著作権なんて了見の狭いことをいわない代わり、互いにリンクを張って分散データベースをつくるのがHTTPのルールだ。

固定リンクもない新聞社サイトは、ウェブにただ乗りしてこの憲法を無視しているのだが、ウェブメディアまでオールドメディアに退行しはじめたようだ。他人の情報を利用して利潤を上げているくせにリンクも張らないのはマナー違反であり、読者にも不便だ。今後は、J-CASTが当ブログの記事をリンクなしで引用するのはお断りする。

追記:J-CASTの記事が修正されて、リンクが追加された。

古舘伊知郎氏が「格差社会」を語る気味悪さ

15d420d6.jpg「報道ステーション」はスタジオのしゃべりがうるさいのでほとんど見ないのだが、夜遅いときは、しかたなく見る。きょうも途中まで見たが、耐えられなくてテレビを消した。GDPの速報値のニュースなのだが、彼のコメントは私の記憶ではこうだ:
景気が悪くなると、まっ先に切られるのが非正規労働者です。こういう人々の痛みを私たちはどこまで知っているのでしょうか。
古舘氏がそれを知らないことは間違いない。推定年収1億円以上の彼が、非正規労働者の痛みを知ることは不可能だ。知らないことは罪ではない。競争の激しい芸能界でここまで生き残った彼の話術は(私はきらいだが)、それなりに価値があるのだろう。しかし自分を弱者の立場に置いて、格差社会を嘆いてみせるのは偽善である。

その前のNHK「ニュースウォッチ9」も、最近は見なくなった。田口キャスターになってから、意識して「古舘的」演出に変えたからだ。どうでもいい後説(あとせつ)をいちいち入れ、青山キャスターとかけあいをやるが、率直にいって見てられない。副調(スタジオの外のディレクター席)にいた感覚が残っているのかもしれないが、はらはらする。

古舘氏はかなり自由にやっているように見えるが、彼のコメントは事前にすべて決まっており、編集長が目を通している。それを感じさせないところが彼の芸なのだが、田口氏は社会部の記者だから当然そういうスキルはないので、台本をたどたどしく読むのが丸見えだ。私がNC9のスタッフだったころは、「後説は禁止」が原則だった。たいていの後説はニュース映像でできるコメントをスタジオに振り分けているので意味がなく、テンポが落ちるだけだ。欧米のニュースでも、後説はほとんどない。

しかしこういうドライな演出は、日本では受けない。素材の情報より、スタジオでみのもんたが大げさに憤ってみせるコメントのほうを視聴者(特に女性)は喜ぶからだ。私がNHKに勤務していたころ教わったのは、「典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え」ということだった(politically incorrectだが)。

たぶん民放はもっと低く設定しているだろう。それが市場メカニズムでは正解である。1億人の知的水準の平均値は、当ブログの読者には想像もできないぐらい低いのだ。それに迎合する古舘氏の戦略は正しいが、まともな視聴者が見ていて気持ち悪いということは知っておいたほうがいい。

It's Baaack?

c1f4e355.jpgけさの朝日新聞に、クルーグマンの記者会見が出ている。いつも彼がコラムで書いているように巨額の財政出動を求めるものだが、これは危険な政策だ。図(棒グラフが経常収支、折れ線がドル/円)のようにアメリカの経常赤字はGDPの6%にのぼり、このインバランスが今回の金融危機の原因となったからだ。彼は、1998年に"It's Baaack!"と題する論文で、
伝統的な見方では、流動性トラップにおいて金融政策は無力で、財政支出の拡大だけが唯一の出口、ということになるけれど、これは考え直すべきだ。もし中央銀行が、自分たちは無責任になり、将来はもっと高い物価水準を目指します、ということを信用できる形で約束できれば、金融政策もやっぱり有効になる。
と主張した。これに日本の「リフレ派」と称するエコノミストが唱和して、日銀が異常な金融緩和を行ない、それが円キャリーを誘発してアメリカのバブルの一因となった。それなのに今回は同じ状況でインフレ目標を提案しないで、かつて「やけくその政策」とバカにした財政政策を推奨するのはどういうわけか。彼の議論が機会主義的で一貫性を欠くのは今に始まったことではないが、学者ならかつての自分の提案が間違っていたことを認め、それが日米の経済に少なからぬ悪影響を与えたことを謝罪してほしいものだ。

アメリカが財政赤字を拡大して経常収支の不均衡が大きくなると、ドルが暴落して世界経済がさらに不安定になるリスクが大きい。自国の景気回復のために保護主義で他国を犠牲にする政策が、かつて大恐慌を拡大した原因だった。おまけにクルーグマンは、GMの救済まで提案している。またポストがほしいのだろうが、オバマはこういう「無責任」な人物を政権に入れるのはやめてほしいものだ。




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