2008年10月

CIA秘録

CIA秘録上Legacy of Ashesの訳本が来月出る。原著は全米図書賞を受賞した。アメリカの戦後史は、CIAの実態を知らずには理解できない。そして不幸なことに、岸信介だけでなく佐藤栄作正力松太郎までCIAのエージェントだった日本の戦後史も、CIAを知らずには理解できないのである。

Remix

レッシグの新著は副題にもあるように、commercial economyとsharing economyの"Hybrid Economy"がテーマだ。特に第2部で両者の関係を論じているが、その内容はほとんどBenklerの焼き直しで、両者の論理的な関係が不明なので、「バランスが大事だ」という無内容な結論になってしまう。

経済学的にいうと、両者の関係は単なるハイブリッドではない。いま話題の派生証券をみればわかるように、理論的には所有権はcontingency contractに解消できる。永遠の未来にわたるすべての資源に競争的な市場が存在すれば、必要なときだけ設備を賃借する契約を結べばいいので、新古典派の一般均衡理論には「資本」の概念はない。

もちろん現実には、事前に将来の資源利用についての詳細な契約を結ぶことは困難なので、将来の不確実性にそなえて契約の当事者の1人に残余コントロール権を独占させることによって事後的な再交渉を封じるのが、所有権の本質的な機能である。いいかえれば、それは双務的な契約を一方的な命令に置き換えることで市場の不完備性を補う制度だ。

しかし所有権によるコントロールは、Hart-Mooreの意味で次善である。すなわち交渉問題によって最適な契約は実現できない。もっとも効率的なのは、資源を共有するコモンズ(common pool resources)だ。特に資産が非競合的な情報の場合には、共有が望ましい。しかし初期のインターネットのように完全にオープンになっていると、共有資源を過剰利用したり破壊したりする行為が避けられない。また資源が共有されることが事前にわかっていると、過少投資(コモンズの悲劇)が生じる。

これを解決する一つの方法として考えられるのは、クラブ財として特定の資源を利用する「会員権」を売り、入会した者は資源を共有できるシステムだ。ISPなどに定額料金を払う現在のインターネットは、コモンズというよりクラブ財に近い。Cloud computingもハードウェアを所有しないでネットワークで必要なときだけ利用し、一括して課金するシステムである。

しかしこのような一括利用は、コンテンツのように個別の生産者に還元することがむずかしい。その解決策として考えられるのは、取引費用(契約費用)を下げてマイクロペイメントによって契約ベースで解決することだ。これはiTunes Storeのようなproperty ruleでもよいし、仲介機関によるliability ruleでもよい。DRMが標準化されれば、ccライセンスのような電子契約によって課金することも可能になろう。

資源を公共財として開放し、広告などで収益を上げる方式は、利用効率はもっとも高いが、過少投資も起こりやすい。高い収益を上げているのは、地上波テレビや検索エンジンのように独占性の高い場合に限られる。オープンソースのように完全な非営利事業として成立するものは、さらに少なく独占性も最も高い。

このように不完備契約のもとでのコントロール権の違いとして商業経済と共有経済をとらえれば、どういう場合にどういうシステムが望ましいかの分類学も可能だろう。昔そういう論文を書いたことがあるが、もう少しきちんと考えてみる必要があるかもしれない。

自然利子率

FRBがFF金利を1%に下げ、さらに「追加利下げ」を示唆している。FRBはすでに激しく「量的緩和」を行ない、バランスシートを1ヶ月で倍にふくらませた。NYタイムズは、ゼロ金利も近いと予想している。まるで10年前の日本の悪夢がよみがえったようだ。

しかしEconomistも指摘するように、金融緩和の効果は限定的だ。経済が収縮して通貨需要のない状態でいくら供給を増やしても、「銀行はFRBに通貨を置いたままにする」から、FRBは市中に流通するマネーストック(M2)をコントロールできない。余った通貨は国債などの安全資産に向かうだろう。これも日本と同じだ。

今回の金融危機は日本の90年代と性格が違うが、その後のdebt overhangはよく似ており、おそらくその原因は30年代とも共通だ。企業のdeleveragingによって純投資が負になり、物価を安定させる自然利子率が負になっているのだ。これを簡単な図で示すと、自然利子率はIS曲線と均衡所得水準Y*の交点で決まる。投資意欲が極度に減退するとIS曲線が図の破線のように内側にシフトし、自然利子率i'が負になる。現実の実質金利が正であるかぎりi'より高くなり、デフレが起こる。

インフレになっていれば、実質金利(名目金利-物価上昇率)を負にして自然利子率と一致させることは可能だが、9月のアメリカのCPIは0%で、現在はデフレになっている可能性が強い。このような状況では、名目金利の非負制約があるかぎり、実質金利を負にすることはできない。通常の(期待を含む)マクロモデルでは、何らかの方法で中央銀行がインフレ期待を作り出すことができれば望ましいという点でほぼ一致しているが、デフレ状況では期待を操作するcredible commitmentは困難だという点でも一致している(Eggertsson-Woodford)。

これはインフレ目標が望ましいかどうかという論争とは別の問題である。かりにインフレ目標が望ましいとしても、デフレ状況ではそれを達成する手段が中央銀行にはないのだ。その原因は、人々の期待に経路依存性があり、forward-lookingな最適水準で決まらないからだ(決まるなら最初からデフレにならない)。これをなんとか操作しようと日銀が試みたのが「時間軸」政策で、これは一定の成果を収めたというのが白川総裁の自己評価だが、劇的な効果があったとはいいがたい。

この問題はきわめて困難で、しかも国際的に共通点が多いので、日銀はFRBに助言できるだろう。まずいえることは、バーナンキの持論だった(最近はいわなくなった)インフレ目標や「非正統的な金融政策」は無意味だということだ。消費や投資が萎縮し、通貨が供給過剰になっている状況で、いくら通貨を追加供給しても人々の心理を変えることはできない。

さらに本質的な問題は、かりにマイナス金利が可能だとしても、それは投資需要が負の状態で物価を安定させるだけで、金融政策だけで不況を脱却することはできないということだ。根本的な解決策は、早く不良債権を清算してdeleveragingを終わらせ、前向きの投資を始める(IS曲線を外側に動かす)ことしかない。金融政策は、その短期的な補助手段にすぎないのである。

ヘリコプター・マネーという愚民政策

定額減税が、2兆円の「給付金」という珍妙な形で行なわれることに決まった。これは経済学でよく冗談でいわれる「ヘリコプター・マネー」をほとんど文字通り実行する漫画的な政策である。

あなたが市役所に行くと、1世帯4万円のクーポン券をもらえる。これが他人の金だったらうれしいだろうが、その財源はあなたの税金だ。「埋蔵金」を使うなどというのはまやかしで、そのぶん国債の償還財源が減るのだから同じことだ。つまり4万円の税金で4万円のクーポンを買うだけなので、あなたが合理的ならバラマキ財政政策に効果はない――というのが中立命題としてよく知られている理論だ。

しかし実証的には、この理論は厳密には成り立たない。それは人々が近視眼的で、将来の課税より現在の現金の価値を高く評価するからだ。朝三暮四というやつだ。つまりバラマキ政策は、国民が猿のようにバカであればあるほど効果の大きい愚民政策なのである。

だが先進国の最近の経験は、国民がそれほどバカではなくなってきたことを示している。特に財政赤字が大きくなると、目の前の財政支出が将来の増税をまねく因果関係がわかりやすくなるため、「乗数効果」が小さくなる。さらに北欧などでは、財政赤字を削減することによってかえって消費が増える非ケインズ効果も観察されている。

つまり合理的に考えれば財政政策の効果は中立だが、心理的な効果を考えるとプラスにもマイナスにもなりうる。今の日本のように財政赤字が拡大しているときのバラマキは、非ケインズ効果のほうが大きいだろう。逆にいうと、与謝野馨氏など「財政タカ派」の主張する増税論が消費を拡大する可能性もある。どっちにしても財政政策の効果は心理的要因に左右されるので、もっとも重要なのは政府への信頼である。

だから大きな政府か小さな政府かという論争は的はずれである。日本は(国債の償還を含めた)潜在的国民負担率でも45%と、先進国では相対的に「小さな政府」だが、世論調査では重税感が強い。北欧のように「高福祉・高負担」の関係がはっきりしている国では、日本ほど重税感はない。日本ではクロヨンと呼ばれる捕捉率の差や(1世帯あたり世界最大の)農業補助金など無駄づかいが多く、税金が有効に使われていないという不信感が強いことが最大の問題なのだ。

この意味で今回のヘリコプター・マネーは、公明党の選挙対策に自民党(財務省)が屈して行なわれるという経緯が見え見えだから、国民は「こんな政府にまかせたら税金はどう浪費されるかわからない」と恐れて、クーポンのぶんだけ現金支出を減らすだろう。これによって日本経済が回復するどころか国民の政治不信が増幅され、日本経済は収縮して、次の「失われた10年」に入ってゆくのではないか。

追記:総理会見では「3年後に消費税を引き上げる」と明言した。これでは朝三暮四にもならない。

著作権処理にもハブが必要だ

Book Searchをめぐるグーグルと権利者側の和解が成立した。それによると、著作者に許諾権を与え、一定の報酬を支払うほか、グーグルが1億2500万ドルを出して"Book Rights Registry"を設立し、ここで本の権利を集中的に処理する。同じようなレジストリを、グーグルが音楽や映像に関してもつくってはどうだろうか。

派生証券でハブができなかったのは、顧客ごとにカスタマイズされているため契約が標準化しにくく、一つ一つの契約がwholesaleで額が大きいため取引費用(契約費用)が無視できたのが原因だが、これは現在のようにシステムダウンが起こると致命的な欠陥になる。著作権の場合は逆に、一つ一つの報酬の額が小さく、発生する契約が膨大になるため、取引費用が報酬より大きくなって契約が成立しない。

このような「悪い均衡」から脱出するには、やはりハブをつくって集中的に権利のコーディネーションを行なう必要がある。電子契約によって権利を定額の請求権に標準化し、グーグルがJASRACと同じように権利処理と決済を代行するレジストリをつくればよい。そこに登録する権利者は「個別のサイトへの許諾権はグーグルに委託する」という契約を結んで、報酬請求権で処理する。YouTubeに関する苦情処理も、ここで行なえばよい。

日本ではJASRAC以外の仲介機関は、JASRACがデータベースを公開しないためビジネスが成り立たないが、グーグルならデータベースをつくるのは簡単だろう。このレジストリに登録した権利者は、すべての事務をグーグルに代行させる代わりに許諾権を放棄し、定額の報酬を利用量に比例して取る。レジストリは利用者に自由にコピーを許す代わりに、利用状況を追跡するフィンガープリントのようなしくみでliability ruleによって料金を請求すればよい(支払いが行なわれない場合は損害賠償を請求する)。

これは契約ベースなので、著作権法を改正しなくても実現できる。現在の何も取引が行なわれない状態よりも明らかにPareto betterだが、オーバーヘッドが大きいので、一定のcritical massを超えないと「よい均衡」が実現しない。通常はそれは政府の役割だが、民間企業やNGOがやってもよい。こうした権利処理は、一つ一つの取引は小さいが規模の経済によって全体としては大きな利益が期待でき、検索サービスとのシナジーも大きい。すでにウェブのハブになっているグーグル向きのビジネスだと思うのだが、どうだろうか。

フィードバック装置としての市場

けさの日経新聞の「経済教室」に、深尾光洋氏の「信用不安の元凶はCDS」という記事が出ているが、私も同感だ。投機の規模としてはそう違わなかったITバブルがアメリカの局地的な問題にとどまり、2年ほどで収束したのに対して、今回の住宅バブルがはるかに大規模な危機に発展したのは、以前の記事でも書いたように貸付債権が証券化され、その仲介機能(microstructure)に欠陥があったためだと思う。この点で今回の危機は、日本の90年代とまったく違う。

こういう問題は経済学ではほとんど論じられていないが、おそらく問題の所在をもっとも早くから指摘していたのはハイエクである。彼は「発見過程としての競争」という1968年の論文で、次のようなGarrett Hardinの言葉を引用して、市場のもっとも重要な機能は価格によって誤りを訂正するネガティブ・フィードバックだと論じている:
Long before Claude Bernard, Clark Maxwell, Walter B. Cannon or Norbert Wiener developed cybernetics, Adam Smith perceived the idea just as clearly in his Wealth of Nations. The “invisible hand” that regulates prices appears to express this idea. Smith says in essence that in a free market, prices are determined by negative feedback.
市場のフィードバック・メカニズムは単純である。価格が「正しい」水準より安いと判断したら買い、高いと判断したら売って鞘を取ることによって市場参加者は利益を得るので、差異(deviation)は縮まる。現在のように「異常」な価格が長期にわたって続くのは、このフィードバック装置が壊れているからで、それを直さないで(財政・金融などの)燃料を投入しても役に立たない。今回の場合は、深尾氏も指摘するように派生証券の「集中取引決済機関」を設置することがもっとも重要だ。

他方、差異をつくりだすのがイノベーションである。ハイエクはこの論文で、市場の機能を「インセンティブ」に求める理論を批判し、市場の本質的な機能は、努力に多くの報酬を与えることではなく、努力の方向を変えることだとのべている。ある市場で得られる利益が減ってきたら、それは(競争によって)価格が正しい水準に近づいたことを示すので、同じことを続けていてはもうからない。そのときは市場から退出して新しい差異をさがす(あるいは作り出す)ことによって利益を生み出すしかない。

しかし、この「正しい」価格は新古典派経済学が想定するような「最大値」を実現するものではなく、システムがとりあえず安定する相対的な水準にすぎない。その解はミクロ的な試行錯誤によって求めるしかなく、利益を得られるともかぎらない。各経済主体がリスクをとって、自分が正しいと思う答に賭けるしかない。したがって、この答を「マクロ経済理論」で計算することはできず、政府が正しい水準を知ることもできない。市場のひずみを訂正する最善の方法は、そのひずみを正して利益を得られるシステムにすることである。

したがって政府の役割は、市場の仲介機能を回復させてフィードバックをすみやかに機能させることに限定すべきだ。コーディネーションの失敗によって「悪い均衡」がself-enforcingになっているときは政府の介入が必要だが、それは「よい均衡」に戻すまでの過渡的な措置である。日本では金融市場が崩壊したわけではないので、やみくもに資本注入して銀行を「国有化」することは、かえって仲介機能をゆがめるおそれが強い。深尾氏もいうように、銀行の自己資本増強を政府が支援する政策にとどめるべきだ。

スティーブ・ジョブズの流儀

Inside Steve's Brainの邦訳が出た。最近、日本人ルポライターの書いた下らない「ジョブズ本」が本屋にあふれているが、それを読むよりこれ1冊を読んだ方がいい。ただし、あなたの会社の参考にはならない。

ゼロ金利政策の罪

きょうも株式市場は下がり続け、日経平均は7000円を割った。市場全体の平均PBRが0.8という異常な株価は、需給要因(特に外人の手仕舞い)もあるが、最大の要因は円高だろう。図のように日経平均とドル/円レートには強い相関がある。だがこの円高は、8月には貿易赤字を記録した日本経済の実力を反映したものとは思えない。FTは、その主要な原因は円キャリー取引の巻き戻しだと書いている。

キャリー取引の実態はよくわからないが、Gold Researchは1.2兆ドルと推定している。Economistも昨年、1兆ドルと推定しているので、それぐらいの規模だろう。これは経済的には合理的な金利裁定で、このため低金利国(日本)から高金利国(アメリカ)へ資金が流出し、ここ5年ぐらいの円安バブルをもたらした。

しかし金融危機でドルが暴落すると、キャリー取引によるインカム・ゲインより為替のキャピタル・ロスのほうが大きくなるので、巻き戻しが起こる。10年近くにわたって蓄積してきたキャリー取引が一挙に解消されるとドルが暴落し、それがさらに巻き戻しを呼ぶ・・・という正のフィードバックが起こっていると考えられる。Gold Researchは、この円キャリーの逆流が株安を世界の市場に伝播させる「破壊兵器」だとしている。

キャリー取引の原因は、もちろん日銀のゼロ金利政策である。低金利・円安は輸出産業への補助金となって一時的な景気回復をもたらしたが、それが回り回ってアメリカの金融危機に日本経済が直撃される原因になったのだから、自業自得だ。本来は2003年から景気が回復した段階でゼロ金利をやめるべきだったが、「リフレ派」の大合唱のおかげで金利の正常化が3年おくれたのだ。

バブルの教訓は、金融政策はGDPや物価などフローの指標だけを見ていては危険だということである。80年代後半には、低金利にもかかわらず物価は安定していたが、資産価格が急騰していた。今回は、日本のゼロ金利がアメリカでバブルを起すという、一段とわかりにくい形でストックに影響したわけだ。フローの均衡だけを基準にする「インフレ目標」では資産価格をコントロールできないので、各国が実質的にインフレ目標を放棄したのは当然だ。

このように今回の危機は、グローバルな資産価格のひずみが訂正される過程なので、日本だけでできることはほとんどない。あるとすれば流動性を供給して価格調整を促進し、均衡を早く回復させることぐらいだが、それも震源地のアメリカ経済が立ち直らないことにはどうしようもない。高度にグローバル化した経済では、財政も金融も含めて一国ケインズ政策は無力なのである。

新銀行東京への資本注入に反対する

金融機能強化法の改正による資本注入の対象として新銀行東京が有力視されているが、これは90年代の失敗を繰り返す結果になるだろう。新銀行東京は経営が行き詰まっている上に、100億円の引き当て不足を金融庁に指摘され、すでに債務超過になっている疑いが強いからだ。

資本注入のためには資産超過になっていることが条件で、債務超過の銀行に税金を投入することは、私企業に対する国費の贈与である。こんな処理をすると、1994年に2信組の破綻の際に預金保険機構が400億円を贈与したときのように、「公的資金をドブに捨てた」と批判が起こり、今後ほんとうに資本注入が必要になった場合にできなくなる。

邦銀はCDOやCDSを大量に保有していないので、欧州のような状況にはならないが、株安によって自己資本が侵食される可能性はある。この場合、株式市場で増資することが原則だが、それが困難な場合には公的資金の注入も手段のひとつだろう。しかしこうした政策が成功するには、政府への信頼が絶対条件だ。かつての大蔵省のように無原則な処理をすると、かえって破局的な結果になる。資本注入のルールを事前に明確にし、資産査定を厳格に行なうことが条件だ。

与謝野経済財政担当相は「予防的に資本増強を行なうことが危機の回避に有効だ」と考えているようだが、これは90年代の失敗から誤った教訓を学ぶものだ。1992年の軽井沢発言のときは、すでに日債銀が債務超過になっており、預金者保護のためには公的資金の投入は避けられなかった。今回はそれほど差し迫った状況ではなく、三菱UFJなどは株式市場で増資しようとしているのに、政府が資本注入するのは余計なお世話だ。

もともと再建の見通しのなかった新銀行東京に400億円の都税を投入してパーにし、さらに政府の資金を入れることは許されない。新銀行東京は清算もしくは売却し、石原都知事は一連のでたらめな処理の責任をとって辞任すべきだ。

1ドル=168円の怪

急速なドル安で、きょうの為替レートは1ドル=94円だが、洋書業界では20年前のレートが横行している。先日、Amazon.co.jpでVivesの新しい本を買おうとしたら7899円もするので、Amazon.comで調べたら46.8ドルだ。1ドル=168円はあまりにもひどいので、海外発注した。運賃こみで5728円だ。


一括検索で比較すると、紀伊国屋でも7582円。最悪なのは楽天の15600円で、定価(65ドル)と比べても1ドル=240円というプラザ合意前のレートだ。公平のためにいうと、brick & mortarの本屋もひどい。この前、丸善でうっかりMinskyの本を買ったら4129円。定価(24.95ドル)で計算しても1ドル=165円だ。

急速に為替が動いているので、ただちに値下げするのはむずかしいだろうが、為替レートだけで70%以上も利益を取るのは暴利である。円高のメリットが消費者に還元されない背景には、こういう旧態依然の流通機構がある。アマゾンよ、お前もか。




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